対談

第1回 マハティールはなぜ日本を手本にしたのか

101歳のマハティールが日本に伝えたいこと
内藤正典×久志本裕子

1981年からマレーシアの首相を務め、「ルック・イースト政策」を掲げたマハティール・モハマド。101歳を迎えた彼の思想をまとめたのが、集英社新書『マハティール 百年の思想 イスラーム、日本、脱植民地主義への道』だ。刊行を記念して、中東研究者の内藤正典氏と、本書の編訳者の久志本裕子氏が対談。日本による占領を経験したマハティールは、なぜ戦後の日本をマレーシアの手本としたのか。「日本はイスラーム的だ」という意外な言葉から、その日本観と思想の背景を読み解く。

構成:村田活彦

2025年8月7日、福岡で久志本裕子氏のインタビューに応えるマハティール氏

「日本はイスラーム的」という発見

内藤 「青春と読書」誌の書評にも書きましたけど、今の若い人に「ルック・イースト」(*)と言っても、このマハティールの政策を知らない人が増えたと思います。彼がマレーシアの首相としてなぜ「ルック・イースト」と言ったのか。その「イースト」が日本である、ということの意味を改めて今、伝える価値があるということを再認識したというのが、読んで最初の印象でした。

 ルック・イースト政策が日本に伝えられた当時、それがイスラームとどう関係があるのかまでは紹介されませんでした。かつて日本が植民地として侵略・支配した東南アジアの国の首相なのに「日本を手本に」と言ってくれている。日本人は割と単純にそれを喜んだところもありますし、それは中国などほかの国に対するけん制の意味もあったでしょう。

 しかし今回この本を読ませていただくと、それが単純にそういうことではない。マハティール自身の経験からすれば、イギリスの支配も日本の支配もどちらも冷酷残忍な支配であったことは否定しようがないわけで、その彼が戦後に政治の世界に出ていったとき、なぜ「日本を一つの手本に」と言ったか。

 私にとって一番印象的だったのは「日本にはイスラーム教徒がほぼいないのに、非常にイスラーム的である」というところですね。なぜかというと、私、最近トルコに行って同じことを言われるんです。トルコという国家は非常に厳格に世俗主義(ライクリッキ)をとって政教分離を徹底していて、国は軍を使ってイスラームが表に出ることを力ずくで押さえつけていました。しかしそれは成功しなかった。だいたい20年、30年ぐらい前に逆転現象が起きて、最終的に90年代半ばにイスラーム主義政党が選挙に勝った。そして今のエルドアン大統領の公正発展党(AKP)は、2002年から今日までずっと政権を維持しているわけです。

 そういう中で、むしろ世俗的なムスリムからは、「政治がイスラームを利用するのはもう嫌だ」という声が出てくるんです。ヒジャブを政治利用したり、イスラームを政治的なスローガンにしたりすることには、もううんざりしている。だったら、口でイスラームを唱えるより、その教えを日常で実践しているほうがよほど大事じゃないか、という話になる。そこで例えとして出てくるのが日本人なんです。「日本人を見ればいいじゃないか」と。ごみを捨てない、嘘をつかない。教えでは嘘をつくなと言いながら日常では守らない人より、イスラーム教徒ではない日本人のほうが、よほどイスラーム的に見えるというわけです。マハティールが日本に見ていたのも、まさにそこだった。この本を読んで、それは非常に新しい発見でした。

 本書には汚職の話も出てきますよね。これも典型的な例ですが、私が一橋大学から同志社大学に移った2010年頃から、緒方貞子さんが関わったPEACEプロジェクトという取り組みがありました。アフガニスタン政府の若い人たちを、留学生として日本で教育するというものです。当時の若手官僚ですから当然カルザイ政権側で、タリバンなんか大嫌いなわけです。

 大学院の勉強をしてもらう前の入門的なコースとして、私が考えたのが「京都市役所に行って働いている人たちを見てくる」というものでした。窓口業務をしている職員が朝9時から5時まで、賄賂を取らずに働いている姿を見て来い、と。彼らは「そんなことがあるんですか」みたいな顔をしていましたが。市役所の人は大笑いしながらも見学を認めてくれました。

 でもそこなんです。この人たちはどうして賄賂を取らずに働いていられるのか。もちろんそれでちゃんと生活が成り立つという原則があるわけです。日本にも汚職はありますが、当時のアフガニスタンに比べればはるかにましです。教義や神学、法学の枠組みとしてのイスラームじゃなく、実際の生活に根づいた価値として、イスラーム教徒のいない社会にも同じものがあるということを学んでほしいと考えました。成功したかどうかはわかりませんが、日本人が賄賂を取らないということは学んだらしいですよ(笑)。

*日本をはじめとする東アジアをマレーシア発展のモデルとする方針

内藤正典氏と久志本裕子氏 撮影:内藤サトル

日本とイスラームを結ぶ「脱植民地化」

――久志本先生は本の中で、最初にマハティールと面会したとき「日本はイスラーム的だ」という言葉に衝撃を受けたと書かれていますね。

久志本 マハティールがそういうことを言う人だというのは前から知っていましたが、ここまではっきり言うんだというのが驚きでした。

 日本を見習うということとイスラームを強調するということが、彼のなかで一致しているのも前から明らかでした。ただ、その二つをつなげる線は「脱植民地化」だと私は思っていました。いやが応にも頭の中が西洋的なものに支配されている状態から何とか脱却したい。抜け出してこそマレーシア独自の発展の在り方が見いだせる。その独自性の一つがイスラームにあり、西洋的ではないオルタナティブな発展の在り方を求めるときに「では日本はどうだ」という発想になった。そういう流れかと思っていたんです。

 西洋的な発想からの脱却というのは、精神的にも制度的にも本当に難しい。そもそも近代国民国家という発想自体が西洋のものですから。

 マハティールの自伝の中にも、イギリス支配下の時代を書いた章の最後(本書の第1章の終わり)で「そこから私の精神的な魂の自立が始まったのである」というような書き方がされています。だから「脱植民地化」というキーワードにはもう少し食いついてくれるかなと思って何回か「デコロナイゼーション」という言い方で質問したんですけれども、あまり反応してくれなくて。

 それよりも、日本がそもそもすごくイスラーム的なんだということをものすごくストレートに強調したんです。本当にそれだけなんですか、と驚くほどでした。その場には日本人がほとんどいませんでしたから、日本人へのリップサービスではなかったでしょう。

「イスラームは西洋にある」という思想

久志本 イスラーム思想を研究している方が読んだら、マハティールの言っていることは、ムハンマド・アブドゥが言っていたこととすごく重なると感じると思います。

内藤 そこをちょっと聞かせてください。

久志本 はい。ムハンマド・アブドゥは、20世紀初めに亡くなったエジプトの思想家です。アズハル(現在のアズハル大学)で伝統的なイスラーム教育をしっかり受けたあと、フランスなどヨーロッパ各地を見て回りました。そこでヨーロッパには実はイスラーム世界よりもずっとイスラームの理念にかなったものがあるじゃないかということを発見した。それをその後、イスラーム世界をもっと近代化すべきだという主張につなげていった人です。

 彼が言ったとされる有名な言葉があります。「ヨーロッパにはイスラーム教徒はいないが、イスラームがある。イスラーム世界に帰ってくると、イスラーム教徒はたくさんいるのに、イスラームがない」。本当に本人が言ったのかははっきりしない言葉ではあるのですが、アブドゥを知らない人でもその言い方は知っている、というくらい有名です。今回の本の序文で、マハティールはまさにこの言葉を引用しているんですね。

ムハンマド・アブドゥ(1849~1905)

 特に、イスラーム世界の中に正しくイスラームを実践してない人たちがいるという批判の仕方。もともとのイスラームはすごく正しかったのに、中世以降、本来のイスラームから離れてしまった。だから欧米に植民地化された。本来のイスラームを取り戻せば、イスラーム的に正しい近代化というのがあり得る、という考え方も一緒です。この話の組み立て方はイスラーム思想ではなじみのある発想で、決して新しいものではありません。

 ただ、マハティールにはマレーシア全体を発展させていくときに、これはマレーシア独自の道をなんだと国民に示す必要がありました。そこで、日本という、今までとは違う方向性のお手本を見せた。そしてムスリムに向けては「そこにこそイスラームがある」と強調して説明したのだと思います。

 一方で、マレーシアには中国系とかインド系などさまざまな民族の人たちがいます。彼らに対しては「日本がイスラーム的だから見習おう」という部分を省いて「日本を見習おう」と言っても話が成り立つ。日本には汚職がない、会社や組織を合理的に運営している、そこを見習おうと言えば、ほかの民族の人たちも反対しません。もちろん第二次世界大戦での被害の影響が強い華人の社会からの反発は見込まなければいけませんが。ものすごくうまい例の取り方をしたと思います。

内藤 そうですね。中東のイスラーム世界、アラブでも、自分たちのところがいかに駄目かという自己批判はあります。ただ、それをある方向に突き詰めていくと、サイイド・クトゥブ(*1)のように、どんどん先鋭化していってしまう。ムハンマド・アブドゥはまだ「西洋にイスラームがあった」という言い方で比較していますが、サイイド・クトゥブになると、イスラーム自身の自己改革を先鋭的に求めるようになりました。

*1 エジプトのイスラーム思想家、運動家。1950〜60年代におけるムスリム同胞団の理論的指導者。

サイイド・クトゥブ(1906~1966)

「土着か純粋か」の二項対立にならなかった

内藤 実はマハティールにとって難しかっただろうと思う点があります。マレーシアのイスラームは、語弊がありますが、すでに十分に土着化していますよね。神学的な面、法学の解釈の面で純粋なイスラームだということには多分ならない。そこへサウジアラビアなどに留学した人たちが、イスラーム復興の新しい考え方を持ち込んでくる。マハティールは別にサウジアラビア系、若い留学生たちが持ってきたほうだけを取ったわけじゃないですよね。土着のほうをちゃんとカバーしないと政治家として成り立たない。その辺り難しい選択を迫られたのではと思うのですが、いかがですか。

久志本 それはすごく重要な点です。マレーシアでは「土着のイスラーム」対「原理主義的なイスラーム」という対立にはならないんです。そこがインドネシアのイスラームがよく「土着性」をめぐる対立の枠組みで説明されるのと大きく違うところです。マレーシアでは、「土着のイスラーム」を守ろうという言い方はおそらく誰からも出てこない。それが何なのかというイメージもない。たとえばスーフィズムが盛んだったとか、聖者崇敬をしていたとか、そういうアイコンになるものがマレーシアにはないんです。

内藤 インドネシアのプサントレンのような、イスラームの学校は発達しなかったんですか。あれはやはりかなり地域に根を張りますよね。

久志本 そうなんです。インドネシアの場合は、プサントレンといういわゆる伝統的なイスラーム寄宿塾がどこに行っても必ずあります。けれどもマレーシアの場合は、そもそも伝統的なイスラーム教育の組織自体が、北部の割と田園地帯に集中していて、それ以外の地域では家やモスクで教えるのが一般的でした。

 20世紀初頭、エジプトでアブドゥ的な近代化が進みアズハル大学も近代化していった時代に、伝統的なイスラーム学校の多くがエジプトのカリキュラムを取り入れて、自分たちで近代的な学校に変革していきました。政府が推したわけではなく、そもそも中東、特にエジプトを範にとった改革を進めていたんです。ですから、その後の1970〜80年代に中東に留学する若者が増えても、彼らが中東から持ち帰ったものはそれほど新しくなかったんです。しかも、マレーシアの場合は、中東への留学はいわゆるオイルマネーよりもマレーシアの政府関連の奨学金で行っている場合が多く、マレーシアの現状に極端に批判的になって帰ってくる例はそんなになかったと言えます。

内藤 なるほど。

久志本 そのなかで、これは適切な言い方じゃないですが、いわゆる「原理主義」と呼ばれるような、「今のイスラームは間違っている」と主張する潮流が入ってくることもあります。ではなにがそれを差別化するのかというのは、そこまで明確じゃない。結局、フドゥード(イスラーム法に定められた刑罰)を実施しようとするかしないかが政治的な争点になるというぐらいで、「土着のイスラーム」対「純粋なイスラーム」の二項対立にはならないんです。

内藤 ただ、汎マレーシア・イスラーム党(PAS)に対して、マハティールは否定的だったのではないですか?

撮影:内藤サトル

久志本 マハティール率いる統一マレー人国民組織(UMNO)と汎マレーシア・イスラーム党は、政治的に対立する立場にありました。どちらの政党がマレー人の支持を得るか、そのハイライトが80〜90年代です。ただし、あくまで政治的な対立構造があったうえでのイスラーム的な争点という感じです。二つの政党が根源的に違うところは、フドゥードの実施ぐらいしか出せなかった。最終的に今は、マハティールとPASの指導者は仲よしなんです。

内藤 仲よしになってるんだ(笑)。イギリスの影響を受けたマレーシアは、トルコと比べるとよかったのかもしれません。トルコは植民地にはなっていませんが、世俗主義はフランスの影響を受けています。フランスの世俗主義、ライシテは世俗主義のなかで最も宗教に対して攻撃的ですからね。イギリスに範を取っていればああはならなかった、とトルコの知識人たちも言います。

 エルドアンやその周辺が政権を取った頃に言っていたのは、憲法に世俗主義と書いてあるのはいいが、フランスの世俗主義でなければならない必然性はないだろう、ということでした。でもトルコ国民の多くは、世俗主義に何種類もあることをまず知りません。ライクリッキ(世俗主義)という言葉はありますけど、これはライシテから取ったもので、そもそもトルコ語にその意味がない。オリジンがないので、何を意味しているのかわかっていなかったんです。

 私がトルコにいた90年代、大学の先生たちの大半はかなり明確な世俗主義者ですから、わかっているように話しますが、「世俗主義とは何かを説明してくれ」と言うと、すごく嫌がるんですよ。説明のしようがないから。具体的に言えば、政治も含めて、社会のある領分には神が手を突っ込んではいけない、ということです。人間社会のある領域にはアッラーの力が及ばないなどということを、イスラーム教徒はまったく想像できないんです。学者たちは分離できると言っていましたが、一般の人にはあまり伝わらなかったですね。

 だから、結局これは負けるだろうなと思っていたら、案の定負けたんです。私がトルコに行ったのは1990年代初頭ですので、まだ軍事クーデターの余波が残っている時代で、そんなことを口にしようものなら大学を追い出されます。ですから、私は議論をするのはやめて、ドイツなどに行って移民の研究をしていました。

 その後2002年に今の政権が出来て、軍の力を抑えていく。2016年にギュレン派によるクーデター未遂(*2)があり、その後にエルドアン政権は軍に対しても大規模な捜査をします。その後、シビリアン・コントロールが徹底されるようになりましたけど、トルコの場合、国家権力を握っている軍をどうやって民意に従属させるかが、宗教と政治の関係をめぐって非常に困難だったんです。

 なにせかつてはエルドアン自身もイスラームを賛することで社会の分断を図った罪で収監されるような国だったのですから。彼がかつて刑務所へ入れられた理由は、演説で建国時代のズィヤ・ギョカルプ(*3)の詩の一節を引用しただけです。イスラームの「イ」の字を口にしただけで捕まる時代だったんです。極端ですよね。

*2 2016年7月15日、トルコ軍の一部が首都アンカラやイスタンブールなどで武装蜂起したが失敗。在米イスラーム指導者フェトフッラー・ギュレン師を首謀者とする組織の犯行と断定された。

*3 オスマン帝国末期からトルコ共和国初期に活躍した思想家。トルコ・ナショナリズムの基礎を確立。

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プロフィール

内藤正典

(ないとう・まさのり)
1956年東京都生まれ。同志社大学大学院教授。一橋大学名誉教授。中東研究、欧州の移民社会研究。『限界の現代史』『プロパガンダ戦争』(集英社新書)、『トルコ』(岩波新書)、『となりのイスラーム』(ミシマ社)他多数。共著に三牧聖子氏との『自壊する欧米 ガザ危機が問うダブルスタンダード』(集英社新書)等。

久志本裕子

(くしもと・ひろこ)
上智大学総合グローバル学部教授。専門は東南アジアのムスリム社会、文化人類学、比較教育学。マレーシア国際イスラーム大学専任講師を経て、2019年より上智大学。共著に『東南アジアのイスラームを知るための64章』(明石書店)等。

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