スズキがMotoGPから今季限りで撤退の噂は本当か?

MotoGP最速ライダーの肖像 2022

西村章

 MotoGPに参戦するスズキが今シーズン限りで撤退する、という噂が飛び出してから1週間が経過した。この原稿を書いている5月9日午後現在、スズキ株式会社からの公式発表はまだない。

粘り強いレース運びと猛烈な追い上げがスズキの持ち味。今年はさらに、強烈な「一発タイム」とトップスピードの速さも加わって、高い戦闘力を発揮しているだけに、撤退は惜しい(写真/MotoGP.com)

 この情報が流布し始めたのは、第6戦スペインGPの翌日、5月2日月曜日の夕刻だった。この日は、全チームがサーキットに居残って、シーズンの今後の戦いに向けたテスト走行を実施していた。そこでスズキのチームスタッフたちに告知されたらしい、という情報があっという間にパドックじゅうに広まり、すぐにこの「噂」はメディアを通じて世界のレースファンにも広く伝わった。

 あまりに突飛で突然な話だ。前日の第6戦を終えた段階で、Team SUZUKI  ECSTAR所属のアレックス・リンスはランキング4位。チームメイトで、2020年にスズキへタイトルをもたらしたジョアン・ミルはランキング6位。ともにシーズン序盤から高い戦闘力を発揮してチャンピオン争いを充分に射程へ収め、シーズンの戦いはこれからが本番、という時期である。

アレックス・リンス(右)は第3戦アルゼンチンGPで3位。翌週の第4戦アメリカズGPでは2位に入って連続表彰台を獲得している(写真/MotoGP.com)

企業創立100周年の2020年、スズキに20年ぶりの王座をもたらしたジョアン・ミル。今回の「噂」は、2023年以降の契約更改を目前にしていた矢先の出来事だった(写真/MotoGP.com)

 そこで、噂の真偽を確かめるため、即座にスズキ関係者に連絡をとってみたところ、「ノーコメント」という対応が戻ってきた。いわゆるガセ情報なら、この関係者は「根も葉もないデマだよ」と即座に否定していただろう。なので、この情報はおそらく事実であることを強く推測させた。また、これは今に始まった話ではないが、浜松本社の経営上層部がレース活動継続をあまり快く考えていない、と匂わせる情報もあった。

 レースファンならご存じだろうが、スズキは2011年末に活動を休止した過去がある。それだけに、今回の情報も真実味を感じさせる。ただ、あのときは世界中がリーマンショックの影響を受けた深刻な不況から立ち直れずにいる時期で、いくつものメーカーやスポンサーが次々とレース界から去っていった。その流れの中でスズキもMotoGPからいったん退くに至った、という経緯がある。だが、それはあくまでも期限付きで、復活予定時期も言明したうえでの活動休止だった。ところが今回は「休止」ではなく、「撤退」という言葉で流布しているところが妙に気になる。

「撤退」ならば、活動再開を視野に入れているわけではない、ということなのだろう。

 それにしても理解に苦しむのは、前回の活動休止はMotoGPの参戦契約期間が満了した節目であったのに対して、今回は2021年に更新した5年契約(2022~2026)の真っ最中である、ということだ。

 参戦契約期間中である以上、自己都合で勝手に活動を終了できないのはいうまでもない。少なくともレースを運営するDORNAスポーツ社に対しては、莫大な違約金や慰謝料等が発生するだろう。この違約金支払いの合法性を法廷で争うにしても、その裁判費用や係争にかかる時間、それに伴うイメージダウン等を考えると、損得勘定ではかなり損のほうに針が触れてしまいそうに思える。

 様々な憶測が飛び交うなか、DORNAはこの件に即座に反応し、「噂」を牽制するプレスリリースを5月3日火曜日に発行した。

 そのリリースの中でDORNAは、今回の事態に対してあくまで「噂」という表現を用いながらも、参戦契約がある以上は一方的な意思決定はできない、と強く釘を刺している。また、万が一、スズキが双方合意の元にMotoGPを去ることになったとしても、参戦を希望するメーカーやチームからいくつも打診を受けているために、現在の参戦台数は充分に維持できる、と強い態度を示してもいる。

 スズキがDORNAに対して何も打診しないまま一方的に撤退を決定したのだとすれば、企業の対外交渉としてはあまりに稚拙、といわざるをえない。あるいはDORNAがスズキから事前に提案をされていたうえで、噂が先行して流布したことに対してこのようなリリース発行という手段で先手を打ったのであれば、じつに巧緻な広報戦略というべきだろう。

 このようにDORNAが迅速に対応した一方で、スズキは噂の流布に対してもDORNAの強気な牽制に対しても、公式にはまったく反応しなかった。この時期、日本はゴールデンウィークの真っ最中だったからだ。

 レース界で何らかの大きな騒ぎが発生した場合、スズキに限らず日本企業は概して反応が遅くなりがちだ。MotoGPの世界では、何かコトが起こればドミノ倒しのように猛烈な勢いで物事が伝播し進行する。だが、このスピード感を日本側は共有できていないことが少なくない。そもそも欧州のパドックと日本は7~8時間の時差があるうえに、日本企業内では稟議や内部承認などの踏むべきプロセスが多く、意思決定に非常に時間がかかる。某チームでは、”still no reply”(いまだに返信ナシ)が合い言葉のようになっている、と、あるスタッフが苦笑混じりに話していたこともある。

 じっさいに今回も、スズキが公式なステートメントを発表しないでいる間に様々な憶測が乱れ飛んだ。

 新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延による販売不振と売上減少、このところ続く円独歩安傾向、ロシアのウクライナ侵略による燃料価格の高騰……、等々による業績悪化が撤退を決意させたのだろうという指摘は、まだ妥当な推測だ。

 なかには、4月27日にドイツ、イタリア、ハンガリーの検察がスズキのディーゼル車に関する排ガス規制不正疑惑で家宅捜索を行ったニュースを今回の撤退の噂に関連づける説もあった。2015年にフォルクスワーゲンで同様の事案が発生した際に、VW社が莫大な金額を出費したことから、スズキの場合もその費用をMotoGP撤廃で埋め合わせようしている、という憶測だ。だが、それはうがちすぎのようにも思える。

 家宅捜索(4月27日)と撤退の噂が広まった日付(5月2日)が接近しているため、ふたつの出来事を関連付けたのだろうが、MotoGPからの撤退という大きな意思決定には、取締役会などでそれなりの手続きを経る必要があるはずだ。たった5日間で迅速な意思決定をできる企業なら、今回の噂に対するプレスリリースや声明はもっと素早くスマートに発行していただろう。

 あるいは、四輪車販売の重要市場であるインドのEV展開への巨額投資や、資本提携関係を深めるトヨタからの影響力が、MotoGP撤退の理由ではないか、と想像する声もある。

 先代のカリスマ経営者・鈴木修会長が昨年6月に引退した際には、トヨタ出身の人物が専務・社長補佐兼経営企画室長に就任しているが、MotoGPや世界耐久選手権などの活動を行うスズキレーシングカンパニーは、この経営企画室直轄の組織である。この役員は今年4月から副社長の役職にも就き、次世代モビリティサービス本部やEV事業本部も2021年以降担当している。

 一方、MotoGPの世界では、CO2の排出量が少ない非化石燃料の使用を2024年から40パーセント以上、2027年には100パーセントにすると定めている。カーボンニュートラルは全世界的に急務の目標だが、こと量産二輪車事業に関する限り、直近の将来に達成可能な技術は、完全EV化よりもむしろ、非化石燃料とレシプロエンジンという組み合わせだ。その現実的かつ合理的、経済的な研究開発を進めるにあたって、MotoGPという実験場は大いに役立つはずだ。

 などなど、今回の撤退理由と類推されるいくつかの説を紹介してみたが、いずれにせよ、企業側からまだ公式な声明がない以上、すべて憶測の域を出ない。

 様々な憶測が一人歩きを続け、企業に対してマイナスイメージになりそうな事態が進展しているにもかかわらず、スズキは会社としてこ事態を放置してきた。これは、世界的企業の危機管理として悪手であるように思う。

 世界的な波紋の大きさが浜松の本社からは見えていないのか、あるいは、MotoGPなどしょせんコップの中の嵐、と考えているのか。

 であるとすれば、11年前にレース活動休止という経営サイドの判断を思いとどまらせようと駆けずり回り、やむなく休止となった後は復帰を模索して手探りの努力を続け、そして活動再開にこぎつけた後に優勝と世界チャンピオンの座を勝ち取ったチームとライダー、技術者たちの懸命でひたむきな努力はいったい何だったのだろう。

 今週末の5月15日には、ルマンサーキットでフランスGPが開催される。噂のみが先走って確定情報が何もない現状では、欧州をはじめとするメディアの取材は、きっとチームとライダーに殺到するだろう。スズキ株式会社が、自社ファクトリーチームのライダーとスタッフ、技術者たちを守る気があるのなら、否定するにせよ肯定するにせよ、できるかぎり早く今回の噂に対する何らかの声明を社として発表するべきだと思う。

 なんといっても彼ら彼女らひとりひとりの献身的な活動が、スズキブランドの世界的なイメージアップに大きく貢献したことは間違いないのだから(活動休止から復活までの彼らの苦闘に興味がある方は『再起せよースズキMotoGPの一七五二日』(三栄)を、企業創立100周年の節目である2020年に劇的な王座獲得を達成したジョアン・ミル選手とチームの活躍については『MotoGP 最速ライダーの肖像』(集英社新書)を、それぞれご参照いただきたい)。

 これらの取材過程では、活動休止前や休止中、復活後にたくさんのスズキ関係者から話を聞かせてもらった。その中で最も印象的だったことのひとつは、スズキ株式会社社長・鈴木俊宏氏にインタビューした際、本当にレース好きでバイク好きな氏の素顔に触れたことだ。

 取材の際に、俊宏氏は自社の量産二輪車を指して、

「こんなの絶対によそでは作らないよな、っていう商品ばかりだものね」

 そう言って悪戯っぽく微笑んだ。

「だって、うちは〈鈴菌〉っていうくらいだからさ」

 スズキのバイクに魅了された熱狂的なファンが自虐的に用いる卑称を、社長自らがうれしそうに口にする。そんなところにこの企業の独特な存在感がよくあらわれている。

 俊宏氏は、MotoGPのレースもライブで観戦する、と話した。2019年のアメリカズGPの際は、14時間の時差にもかかわらず、日本時間午前3時前からアレックス・リンスの初勝利をライブで観たという。優勝後はすぐにリンスへ電話して祝辞を伝えた、と微笑みながらじつに愉しそうに振り返った。現場で戦うライダーとチームの立場になってみれば、夜も寝ずにレースを観戦していた社長が即座に優勝の祝辞を電話で伝えてくれば、大いに士気が上がることはいうまでもない。

 とはいえ、社長の個人的趣味と企業マネージメントは、もちろん切り離して考えるべきものだ。ビジネスの世界では、非情な経営判断が優先されることは当然あるだろう。

 だが、それほどまでにレース好きの俊宏社長が議長を務める経営会議で、いったいどのような経緯でMotoGP撤退という結論に至ったのか。全会一致の合意だったのか、多数決による決着なのか、それとも声の大きな人物の剛腕なのか。意思決定の過程は外部からは知るよしもない。もし取材機会に恵まれれば、そのブラックボックスを開ける努力をしてみたいが、もちろんこれらはあくまでも今回の「噂」が事実であるという前提の想像にすぎない。

 それにしても、スズキがこのような形でMotoGPから2022年限りで撤退してしまうのなら、将来的に彼らがもう一度MotoGPに復帰したいと願っても、DORNAは簡単に門戸を開きはしないだろう。レース活動の終了は、熱狂的な〈鈴菌〉たちを悲しませるだけではなく、世界的な量産二輪車販売に影響を及ぼすことも考えられる。

 そこで思い出すのが、スズキの伝説的レース部門長、繁野谷忠臣氏だ。

 繁野谷氏は、レース界のレジェンド、ケビン・シュワンツとファクトリー契約を交わした人物で、2000年という世紀の節目には、スズキ加入2年目のケニー・ロバーツ・ジュニアをチャンピオンに導いた。「レースをやる以上、チャンピオンを獲るのがあたりまえ。それが鉄則なんだ。何を措いても絶対にそれを獲りに行く」という氏の名言には、今も多くのスズキ関係者たちが心酔している。

 繁野谷氏は、二輪事業と四輪事業の関係について、かつてこんなふうに述べた。

「私がグランプリで戦っている頃、スズキが勝ちはじめると四輪の販売がすごく増えた。今は二輪の需要がどんどん下がっていて、斜陽産業であることは間違いない。じゃあ二輪をやめて四輪だけにすればいいのかというと、そうじゃない。四輪を売るためのこんなにいい道具を持っているんだ。二輪を使って四輪のシェアを増やしていかなきゃ。そのためにも二輪は続けなければいけない、というのが私の持論。レースをやめてしまえばいい、なんてことではけっしてない」

 これまでMotoGPの世界を長年取材してきたこともあって、国内外のスズキ関係者には知り合いが少なからずいる。こうやって原稿を書き進めていても、現役選手やすでに引退した選手、開発技術者、グランプリチームスタッフ、歴代の本社広報担当諸氏など、多くの人々の顔が次々に思い浮かぶ。スズキ株式会社から正式な発表がまだ何もない現在、できるなら今回の噂はあくまでも風説、もしくは社内で発生した提案のひとつにすぎず、現実にはMotoGP活動継続を模索する協議の最中であってほしい、と思う。

 あるいはその噂が真実でもはや避けようのないことであるのならば、スズキのレース活動に関わってきた彼ら彼女ら、そしてスズキの二輪文化を支えてきた世界中のレースファンの気持ちが安らぐような方向に決着をしてほしい、とこころから願う。

 

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

 
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