いま「異種格闘技戦」を再考する意味とは

藪耕太郎×松原隆一郎
藪耕太郎×松原隆一郎

異種格闘技戦のルーツは、アントニオ猪木ではない

 空道も、1990年代の大道塾の時代には、「WARS」という興行的な異種格闘技戦をおこなっていましたが、現在はやっていません。その点については、松原先生はどうお考えになりますか?

松原 「WARS」をやったのは、興行というよりも多分に所属選手の研鑽、という意味が強かったと思います。当時はまだ、空道のルールが完成していませんでしたし、MMAもそう。各選手もそれぞれ独自にムエタイなどの技術を研究していた時期でした。そうした流れの中で、自分たちが習得した技術が、プロや他流と比較して、どの程度通用するのか? ということを確かめる機運が高まった。実験のようなものだったと思いますね。

 今はもう、空道のルールが完成していますし、そのルールの中でどうやって勝っていくかということに選手たちの関心の焦点が移っていて、「WARS」のようなものは必要とされなくなりました。というか、内情で言うと、世界大会でロシア勢に勝たない限り、日本人選手が異種格闘技戦に挑戦なんて言い出せないのでしょうね……。有資格者は岩崎大河選手くらいかな。目黒雄太選手もMMAに挑戦したら観客が驚く試合をしたでしょうが。

 そもそも、空道の競技人口は、日本よりロシアのほうが多いですからね。

松原 ええ。空道の掲げる「社会体育としての武道」は、日本よりロシアのほうが受け入れられやすいようですね。路上での素手の喧嘩が日常的なのかもしれません。

 藪先生の本の話に戻しますと、非常に重要な指摘として、「異種格闘技戦のルーツは、アントニオ猪木ではない」というものがあります。歴史を検証すれば、アメリカでは現在あるようなエンターテインメントとしてのプロレスリングが成立する前の時代、異種格闘技戦が非常にポピュラーなものとして存在したのだと。

 そうした中でもサンテルは、レスラーとして最強でなくとも実力派で、しかも対柔道の戦い方をよく研究していた。それに対し日本の柔道家たちは準備、研究が不十分であった。そのことが本書によって明らかになりました。

 そういうと、「じゃあ、何で木村政彦はあんなに強かったんだ?」という話になりそうです。でも木村がエリオ・グレイシーにも圧勝できたのは高専柔道出身だったからです。あの試合はグレイシー柔術側のルールで戦ったわけですが、打撃は使われなかった。時間制限がなく着衣の寝技での一騎打ちに強い木村にとって得意のルールでした。それに対し講道館柔道は、投げても押さえ込んでも一本勝ちにならないグレイシー柔術との闘いを苦手としていました。

藪耕太郎さん

異種格闘技戦とMMAは別物

松原 しかし、『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか』を読んで、つくづく感じたのは、異種格闘技戦の難しさです。他流にオープンとされる中国武術の某団体の大会が開催された際、レスリングをバックボーンにした選手がバックドロップやジャーマン・スープレックスなどの投げ技で勝ちと判定されたものの、結局取り消されるという事件がありました。バックドロップはルールでは禁止されていなかったが、技が「中国拳法ではない」との理由です……。異種格闘技戦は難しいですね。

 同様の問題が、アド・サンテルと永田礼次郎の試合でも生じています。この試合で、サンテルは永田にヘッドロックを仕掛け、試合続行不可能に追い込むわけですが、このヘッドロックが反則技に該当するかどうかで、日本側とアメリカ側双方の間で揉めました。結局、試合はノーコンテストという扱いになるのですが、間に挟まれた通訳は、大変だったと思いますね。

松原 だから結局、異種格闘技戦を実施しながらも判定で揉めないようにするには、大会前にルールを公開し、起きうる事態をすべて書き込んでおくしかない。ところがそうするとそのルールは「新しく作られた格闘技」になり、ルールに最適化された、最も効率的な戦いが追及されていく。そう考えると「異種格闘技戦」は一つの格闘技であって、「異種の格闘技が闘う」というのとは論理的に矛盾することになります。

 だとすると、異種格闘技戦は、ある種の「興行」の中でしか成立しないのかもしれない。そこで浮かんでくるのが、興行として異種格闘技戦を最大限に活用したアントニオ猪木ですよね。「プロレスが世界中のありとあらゆる格闘技を迎え撃つ」という構図を作り、観客はそれに熱狂しました。UFCも黎明期には、そうした猪木的な発想に近かったと思います。藪先生はどう受け止められましたか?

 私は初期のUFCと、現在のMMAは別物である、という見方です。初期のUFCというのは、それぞれの選手が、柔道、空手、中国武術といった、異なったバックボーンを背負って出ていましたよね。そして、彼らはそれぞれの競技の技術を駆使して、戦っていた。ですから、これらは文字通りの「異種格闘技戦」と言えるでしょう。

 ですが、2000年代の半ばくらいから、日本を含め、MMAの試合をおこなっている団体で、ルールの整備、均一化が進んでいく中で、MMAもまた、ボクシングや柔道などと同様に、一つの「競技」となっていった、というのが私の見立てです。

松原 私はUWF世代なんですよ。だから真剣勝負では、関節の極めっこ、首の絞めっこで回転し、一本を取りにいくのが「なんでもあり」だ、と思っていた。ところが、実際に寝ての打撃ありの初期UFCが登場すると、柔道の抑え込みやポジショニングが、相手の打撃を避ける上では極めて重要な技術と分かった。

 長年柔道をやっていましたけど、抑え込みは実戦では使えないと思っていました。そうした既成概念を破壊してくれたのは初期UFCでした。

幻の膝十字固め

 今回、『アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか』の中では紹介できなかったのですが、朝日新聞の植村睦郎という運動部の記者が書いた、サンテルの試合の観戦記がありまして、ぜひ松原先生に見てもらいたいと思って、今日持ってまいりました。

 この雑誌は、針重敬喜が刊行していた、『武侠世界』の増刊号です。『武侠世界』は、天狗倶楽部のメンバーが主に寄稿していた雑誌ですね。植村自身は天狗倶楽部のメンバーではないのですが、彼らと仲が良かったこともあり、自分が所属している朝日新聞ではなく、『武侠世界』の増刊号にサンテルの試合の観戦記を書いている。

 記事のタイトルは「日米国際試合の印象」となっているのですが、植村の印象では、「柔道がレスリングから学べるものは、あまりない」という結論になっているんですね。

藪耕太郎さんが持参したサンテルの試合の観戦記

松原 植村氏は、講道館サイドの人だったためにレスリングに対してネガティブな記述になったということですか?

 いえ、植村は講道館とはおそらく関係ないですね。朝日の運動部の記者で、相撲番でしたから。そこで、松原先生にお尋ねしたかったのが、植村が「柔道家は、股関節を決められそうになった時に逃げる技を知っているが、レスリング側は知らない」と書いているんです。松原先生は柔道にお詳しいですが、「股関節を決める技」はご存知ですか?

松原 柔道にはそんな技は無いんじゃないかなあ。BJJの技、股裂きもしくはエレクトリック・チェアですかね?

 ここからは私の想像ですが、植村はそんなに柔道の知識がなかったのではないかと思うんです。それで、柔道を知らない人が見たときに、あたかも股関節を極めているように見える技って、膝十字固めかな、と思ったんですね。

 当時「足の大逆」と呼ばれていた膝十字固めが四高六高戦で初披露されたのは1921年の7月です。サンテルの靖国神社での試合が同年の3月なので、時系列的には逆になってしまうんですが、膝十字と似た技がこの時点で既に存在していた可能性は否定できないと思います。

次ページ 私大の柔道の系譜
1 2 3 4 5

関連書籍

アメリカのプロレスラーはなぜ講道館柔道に戦いを挑んだのか 大正十年「サンテル事件」を読み解く

プロフィール

藪耕太郎×松原隆一郎

藪耕太郎(やぶ こうたろう)

1979年兵庫県生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。立命館大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。立命館大学大学院社会学研究科(応用社会学専攻)博士後期課程修了。博士(社会学)。仙台大学体育学部准教授を経て、現職。専門は体育・スポーツ史。初めての著書『柔術狂時代 20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』(朝日選書)が第44回サントリー学芸賞(社会・風俗)を受賞。

松原隆一郎(まつばら りゅういちろう)

1956年生まれ。社会経済学者、放送大学教授。1956年、神戸市生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科教授を経て現職。著書は『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)、『ケインズとハイエク』(講談社新書)、『日本経済論』(NHK新書)等多数。武道・格闘技に関しては『思考する格闘技』(廣済堂出版)、『武道を生きる』(NTT出版)、『武道は教育でありうるか』(イースト・プレス)等がある。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

いま「異種格闘技戦」を再考する意味とは

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X