いま「異種格闘技戦」を再考する意味とは

藪耕太郎×松原隆一郎
藪耕太郎×松原隆一郎

私大の柔道の系譜

松原 でも当時寝技が開発されていたのは、講道館ではなく高専柔道。四高六高戦もそうでしょう。

 そうです。確かに、サンテルとの試合では、旧制高校出身の選手は一人も出ていません。出ているのは、早稲田、中央といった、私大の出身者ばかりです。もしかすると、講道館や旧制高校に伝わっている柔道とは違った流れが、当時の私大の柔道の中にはあったのではないかと、私は思っています。

松原 う~ん、ちょっと想像がつかない話ですね。ただ、改めて考えてみると、前田光世は早稲田の出身。メインで稽古をしていたのは講道館柔道のはずです。高専柔道出身ではない前田が、なぜグレイシー柔術を生み出すほど寝技が強かったのか。それはミステリーですね。

 早稲田で学生たちに柔道を指導していたのは、横山作次郎ですよね。横山は講道館に入門する前に、天神真楊流の柔術を学んでいます。天神真楊流の特徴といえば固め技、関節技ですよね。ですから、早稲田の柔道部では、横山の流れで、天神真楊流経由の寝技が学ばれていたのではないかと、私は考えています。

松原 その可能性はありますね。

 嘉納治五郎は、天神真楊流と起倒流の双方を学んでいますが、最終的に重視したのは、起倒流のほうだと私は考えています。起倒流の立ち技プラス乱取りというのが、講道館のベース。その中で、嘉納が無意識に劣位に置いていた天神真楊流の寝技に強かったのが、横山作次郎。その横山の寝技の系譜が早稲田の柔道に伝わったのだと、私は考えています。

高師派と三船派の対立

松原 講道館そのものが成立時は異種格闘技戦状態で、天神真楊流と起倒流が闘っていました。嘉納は一流派を作ったというより、異種格闘技戦の受け皿となるルールを設定して「柔道」と名付けたとも言える。ただ、そうした場合、一方しか知らない技が、試合で使われる可能性があります。横山作次郎しか知らない寝技とか。そうした新技が試合で使われた場合、「卑怯だ。これは柔道ではない」と揉めるケースはなかったのでしょうか。中国拳法事件のように。

 私の想像ですけど、嘉納師範の存命時には、「何が柔道か」についての最終的な判断は嘉納師範任せだったのではないか。私が所属している大道塾でも、タックルだけで打撃を完封しても勝ちと判定しないとか、ルールには記載されていなくても、創始者の東孝先生が最終的なジャッジをしていました。

 しかし、そうした柔軟な感覚は、創始者の東孝先生がご存命の時代でも、大組織になってくると、まずくなっていました。藪先生の本の中にもありますけど、講道館でも高師派と三船派の組織内対立のような問題が出てきますよね。

 高師派からすると、柔道でおまんまを食べているわけですから、柔道の権威は絶対に守らなければならないわけです。万が一、異種格闘技戦で柔道が負けてしまったら、自分たちは、おまんまの食い上げになってしまうわけですから。

 それに対して、私大出身の人たちにとっては、柔道は趣味なんですよね。大学時代に、部活動として柔道を凄く頑張っても、卒業すれば会社員なり、起業家なりになっていく。柔道で飯を食っていないから、異種格闘技戦に対して寛容なわけです。

松原 嘉納先生は、そちらの考えに近いですよね。

 はい。嘉納は懐の広い方だったので、柔道が他の格闘技と戦って、負ける場合があってもいいと、どこかで思っていた節があります。それというのも、他の格闘技と戦って負ければ、柔道の弱点がどこにあるのかが分かるからですよね。弱点があれば、それを改善すればいいという発想が、嘉納にはある。

 ただ、こうした嘉納の余裕も、講道館柔道が既に社会的権威として確立しているからこそあり得たものだとは思います。柔道を立ち上げたばかりの頃、他流派の柔術との戦いにおいては、「負けてもよい」などと寛容なことは言えなかったはず。その当時の負けは、流派の存亡に関わる事件だったでしょうからね。

サンテルの試合の観戦記を読む藪耕太郎さん(左)と松原隆一郎さん(右)

八百長の危険性

松原 実際、サンテルと戦った柔道関係者に対して、嘉納はペナルティを与えたものの、非常に軽いものでした。

 そうですね。

松原 嘉納師範は他流試合を、勝敗を決するためではなく、古流の技を取り込む研究として否定していなかったのでしょう。私にはむしろ、異種格闘技戦が興行になると八百長の可能性が出てくる、と懸念したのではないかと思えます。そのあたりを藪先生は、どうお考えですか?

 なるほど。松原先生に今、ご指摘をいただくまで、その点については思い至りませんでした、それはあり得ますね。講道館の周囲の人間に「もし、八百長だったらどうするんですか」と言われ、最終的に翻意をした可能性は、十分あると思います。

 サンテルが来日するまで、日本での異種格闘技戦といえば、「柔道対ボクシング」が相場でした。いわゆる「柔拳興行」ですね。柔拳興行について書かれた当時の新聞を読んでみると、「これは八百長だ」と書かれているのです。

松原 そうなんですか。

 はい。もちろん、すべての試合が八百長だったわけではないと思います。ただ、少なからず八百長の試合があったのが、事実なのでしょう。ですから、嘉納が弟子たちから、「サンテルと柔道の試合が、八百長だったらどうするのですか」と言われ、最終的に講道館はサンテル戦を避けた可能性は、十分あると思います。

松原 それだけ講道館が警戒をしたサンテルに勝った伊藤徳五郎は、凄いですね。

 アメリカの邦字新聞の記事を見ると、伊藤徳五郎は寝技が強かったみたいなんです。記事によると、戸塚派楊心流の柔術をやっていたから、伊藤は寝技が強いと書いてある。ですが、楊心流も投げ技系の柔術なので、記事の信憑性に疑問はあるのですが。

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プロフィール

藪耕太郎×松原隆一郎

藪耕太郎(やぶ こうたろう)

1979年兵庫県生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。立命館大学文学部文学科(英米文学専攻)卒業。立命館大学大学院社会学研究科(応用社会学専攻)博士後期課程修了。博士(社会学)。仙台大学体育学部准教授を経て、現職。専門は体育・スポーツ史。初めての著書『柔術狂時代 20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』(朝日選書)が第44回サントリー学芸賞(社会・風俗)を受賞。

松原隆一郎(まつばら りゅういちろう)

1956年生まれ。社会経済学者、放送大学教授。1956年、神戸市生まれ。東京大学工学部都市工学科卒、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。東京大学大学院総合文化研究科教授を経て現職。著書は『経済思想入門』(ちくま学芸文庫)、『ケインズとハイエク』(講談社新書)、『日本経済論』(NHK新書)等多数。武道・格闘技に関しては『思考する格闘技』(廣済堂出版)、『武道を生きる』(NTT出版)、『武道は教育でありうるか』(イースト・プレス)等がある。

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