僕がネトウヨになった理由
西井 それでは、星野さんのほうから、『名著でひらく男性学』について、感想をいただけますでしょうか。
星野 本当にもう面白くって、本に付箋をいっぱい付けすぎて、全ての文章に線を引くみたいな感じになっちゃったんですけど。まず、この本を読んで気づいたのは、母親による子どもへの抑圧は、分かりやすい暴力ではなく、見えにくい形でおこなわれるということですよね。息子の行動を監視・管理し、息子が触れる情報や娯楽を制限していく。こうした母親による息子への支配の構造という話は、これまで気づいていなかったので、大いに目を開かされた気がしましたね。
やっぱり、親が男の子の男性性みたいなものに対して逐一取り締まると、家の中は地獄になりますよね。
僕は、高校生の頃はネトウヨだったんですよ。父親はリベラルな思想の持ち主だったのに、なぜ僕はネトウヨになったのか? それには、当時通っていた予備校で小論文の講師をしていた、X先生との出会いがあるんです。
現在でも雑誌『Hanada』などで活発に執筆をしている、ネトウヨのイデオローグみたいな人です。今では有名人ですけど、僕が高校生くらいのときは、予備校の講師をしていたんです。
それで、僕も彼の小論文のクラスを取って、講義を聴いていたんです。すると、今まで家では聞いたこともないようなことを、X先生が言っている。「慰安婦問題は人権問題じゃなくって、外交問題だ」とか。「韓国は慰安婦問題を、日本との外交を有利にするためのカードとして使ってるから、騙されちゃいけない」とかね。
西井 やばいですね。
星野 今では、おかしな議論だと分かりますが、当時はまったく抵抗なく、X先生の言うことを受け入れられた。それはなぜだったんだろう? ということを今考えると、当時、僕は父が母に対して振るう暴力を見たり、自分も父から暴力を受けたりしていて、虐待されていたわけです。
そんな父親と対比して、X先生は生徒に対して、怒鳴ったり、暴力をふるったりしない。もう、それだけで優しくて立派な人に見えてしまうわけです。今なら、自分の認知が歪んでいることが分かりますが。
当時はまだ僕も十代だから、まだ完全には大人にはなりきれていなくて、どこかで父性を求めている部分もあったんですね。でも、本当に血のつながりのある父親は、尊敬できないわけです。父は表向きリベラル思想の持ち主の顔をしながら、実際は家族に対してDVをしている人間だったわけですから。
X先生はそうした父親の信じているリベラル思想を否定しているし、暴力をふるわないから人間的に尊敬できる。そんな思いから、僕は父の欺瞞に嫌悪感を抱き、父の価値観に対して全力で逆張りをしてやると思い、ネトウヨになっていったんです。
天野 僕も少しパーソナルな話をすると、うちも家父長制的な雰囲気を残した家庭でしたね。もちろん、暴力などはなかった。男性中心主義的な価値観はあったとしても、いかんせんそういった時代に生きてきた人たちなので、単純に良し悪しで判断できるものでもないと感じています。僕個人は、「男らしさ」を求められた部分もあり、嫌だったこともありますが、基本的には両親に感謝しています。
星野さんのご家庭ほどではありませんが、僕も家庭の影響について考えることはあります。ただ、自分自身が子育て当時の両親の年齢を越えたからかもしれませんが、時代的な価値観の違いがありつつも、両親の気持ちもよくわかるようになりました。両親は変わらず今のまま、ハッピーに暮らしてくれればいいかな、とは思っています。
西井 お二人が自身の生育歴についてお話してくれたので、僕も少し、自己開示したいと思います。僕の家は、全然家父長制的な家ではありませんでした。当時にしては珍しく両親は事実婚で、食事の用意も、父親がすることが多かった。
天野 すごいですね。
西井 でも、両親にそうした背景がありながら、子どもの頃から、リベラルな考え方を押し付けられたという記憶もないんです。まぁ、無意識的に社会的公正の価値観を学んでいったということは、あるとは思います。家で取っている新聞は朝日新聞ですし、本棚に上野千鶴子さんの本が置いてあったりするわけですから。
とはいえ、実家にいたときに、僕が上野さんの本を読んでいたわけじゃないんです。僕の両親は、子どもに特定の価値観を押し付けるような人ではなかったので、特に読むようにと言われたこともなかった。
両親が僕に意見を言うのは、僕が何か他者を貶めるようなことや差別的なことを言ったりした後だけでした。こうした育てられ方は、僕にとって、結果的によかったのではないか、と思っています。星野さんの単著『とびこえる教室』の中で、子どもたちにジェンダー教育するのはタイミングが重要で、何か教室でジェンダーにかかわる問題が起きた後に行うと、子どもたちが積極的に学んでくれる、と書かれていたのが印象的でした。ジェンダーの問題は、「あれは言ってはいけない」「これは言ってはいけない」というべからず集になる危うさがあります。もちろん予防の観点も大事ですが、先ほど星野さんが話されていたように、息子の行動への監視・管理につながりかねない。それよりも、問題が起きた後のフォローをもっと分厚くしていくほうが重要なのではないかと思います。

いじめと傍観の問題
星野 僕、最近すごく恐ろしい論文を読んだんですよ。上智大学の相澤真一さんと、東大の池田大輝さんの共著論文で、「別学と共学の違いから見る男女のいじめに対する意識の計量分析」という日本と韓国、イギリス、オーストラリアという4カ国のいじめの比較をした研究なんですね。
その論文の結論を簡単にいうと、日本では男子校、共学を問わず、他の3カ国と比較して、有意にいじめに対する反対意識が低い。そして、日本の男子校男子は社会的・経済的地位が高いほど、あるいは数学的リテラシーが高いほど、いじめに反対しない傾向が見られるというんです。僕、この結論を読んだとき、戦慄してしまって。
天野 つまり、数学的リテラシーが高いほど、いじめや暴力などを見て見ぬふりをする傾向が高いということ? 理系で男子校出身の学生ほど、いじめを許容しやすい……?
星野 そうです。
天野 でも最近、SNSとかだと、割と男子校のほうが平和で牧歌的なんだとかいう意見を見ますよね。僕は男子校に通ったことがないから、分からないけど。
星野 ただ、データとしては有意にいじめに対する反対意識が低いと出ているわけです。
西井 今運営している団体で、企業内のハラスメント対応にも取り組んでいるんですが、傍観者の問題は大きいと感じています。「令和5年度 厚生労働省委託事業 職場のハラスメントに関する実態調査報告書」における「パワハラ/セクハラを受けていることを認識した後の勤務先の対応」を見ると、「特に何もしなかった」がパワハラでは53.2%、セクハラでは42.5%という結果が出ています。ハラスメントは加害者と被害者、二者間の問題だと考えられがちですが、周囲の人が何もしないから暴力が続いてしまうという側面もあります。しかし、多くの人が傍観者になってしまう。
星野 僕は、男子校の出身者です。僕の出身校でも、いじめや暴力は酷かった。そして、僕自身はいじめや暴力の被害者ではなかったけれど、完全に傍観者でした。いじめられている子たちを、見て見ぬふりをして、生きてきました。だから、中学や高校の同窓会の誘いがときどき来ますけど、いたたまれなくて、参加できないんです。
まぁ、いじめられていた子たちは、そもそも同窓会には来ないと思いますが。そうして、見て見ぬふりをしてきた被害者たちに対して、僕は許してほしいな、と思っているんだけど、でも、そんなこという資格はないよな、とも思うんです。
天野 う〜ん、最近、中高生のいじめや暴力の動画がSNSで拡散されましたよね。あれを見て思うのは、単純に「暴力はいけない」と言うだけでは、なかなか届かない場面もあるんじゃないか、ということです。というのも、彼らにとっては、学校という場の中で関係づくりの一つとして、そうした行為が立ち上がっているようにも見える。場合によっては、「男らしさ」と結びついたり、仲間関係の中でのストラテジーとして機能していたりして、結果として暴力的なかたちで表れてくる。そうだとすると、行為だけを直接否定するのではなくて、それがどのようなやり取りや文脈の中で生じているのかを見極めていく必要があると思います。むしろ、男子の特性が暴力的だと決めつける前に、彼らをそうした関係性へと導いてしまっている社会的な側面にも目を向ける必要があるんじゃないか、と思うのです。
もちろん、だからといっていじめや暴力が許されるわけではありません。ただ、そうした状況を変えていくには、個々の行為を叱るだけではなくて、関係のあり方そのものに働きかけていくような、繊細で丁寧な、柔らかなコミュニケーションの積み重ねが大切だと考えています。
プロフィール

西井 開(にしい かい)
臨床社会学研究者、一般社団法人UNLEARN理事。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)がある。
天野 諭(あまの さとる)
保育士。福島大学人間発達文化学類特任准教授。著書に『保育はジェンダーを語らない』(かもがわ出版)がある。
星野俊樹(ほしの としき)
元小学校教師。教員歴20年。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。著書に『とびこえる教室』(時事通信社)がある。


西井開×天野諭×星野俊樹






速水健朗×けんすう(古川健介)

樋口恭介×雨宮純
金子信久
佐田尾信作×前田啓介
西村章