日本では90年代に注目を集めた男性学が、近年再び盛り上がりを見せています。フェミニズムへの理解が進む一方で、一枚岩的に男性を「強者」として括ることができない状況も踏まえて、4人の著者が男性学の「名著」をそれぞれ持ち寄り語り合った一冊が『名著でひらく男性学 〈男〉のこれからを考える』(集英社新書)。このたび「紀伊國屋じんぶん大賞2026」の第19位に選出されました!
本書の刊行記念イベントとして著者の西井開さんと天野諭さん、ゲストに『とびこえる教室』が話題の著者・星野俊樹さんをお招きし、「男子はどう育っていくのか」をテーマにしてお三方が語り合いました。
※2026年1月24日、大阪・MoMoBooksにて行われたイベントの一部を採録したものです。

男性学研究の最前線
西井 臨床社会学研究者の西井開と申します。昨年(2025年)、批評家の杉田俊介さん、社会学者の川口遼さん、そして今日、鼎談に参加してくださっている天野さんと四人で、『名著でひらく男性学』という本を出版しました。今日は、その刊行記念のトークイベントということで、お二人とじっくり話せればと思っています。
天野 保育士の天野諭と申します。学問的には、保育学・乳幼児教育学を専門としております。普段の研究では、ビデオで撮影しながら、子どもたちの遊びと仲間関係を検討しています。子どもたちは、誰にも言われるでもなく、同性同士で集まって遊びます。この状況が、どうやってできるのかという構造を分析するのが、僕の仕事です。
最近では、特に、男の子たちの「戦いごっこ」を調査しています。テレビの戦隊ヒーローなどの影響もあり、現代でも男子は「戦いごっこ」をよくしています。会話も少なく、互いに空気を読み合いながら、「戦いごっこ」は唐突に始まりやすい。こうして男子たちが群れて、集団を作っていくというのは、どういう構造なのか、また彼らは何をしているのか、ということを研究しているんです。
皆さんは、「そんなこと研究して、何になるの?」と思われるかもしれません。ですが、世間の言説としては、ステレオタイプな男子の姿があると思うんです。「腕白」とか「やんちゃ」とか、男子の典型として、よく言われますよね。
そうしたイメージに対して、僕自身は全然マッチョなタイプではなかったんです。マスキュリニティにうまく馴染めないまま育ってきたので、一般的な「腕白」「粗暴」みたいな男子の性格に違和感があって。むしろ、「どうして多くの男子に、そうしたステレオタイプな男子像が生成されるのか?」という疑問があり、こうした研究を続けている次第です。
星野 元小学校教師の、星野俊樹と申します。公立10年、私立10年という感じで、小学校の教員を、20年間やってきました。
公立で教員をやっていたときは、性教育バックラッシュの最中だったこともあり、教育でジェンダーの問題に取り組む勇気がありませんでした。ですが、私立の学校に移ってからは、かなりジェンダーに対して、自覚的な教育実践というものに取り組んできました。
なぜそのように変化したのか? これは自著『とびこえる教室』(時事通信社)でもカミングアウトしているのですが、僕はシスゲイ男性なんですね。それで、僕自身、やっぱり性的マイノリティとして、男性優位社会の中で生きていくことに対して、大変な息苦しさを感じていた。
そうした辛さに加えて、父親はDV加害者で、僕は虐待をされて育ってきたんです。カウンセリングに通ったり、ジェンダーについての知識を得たりする中で、自分自身の被害者性を自覚するにつれ、男性優位社会や男性性に対するミサンドリー的な気持ちが生まれたというのは、出発点としてあると思いますね。
西井 ありがとうございます。ちなみにそのミサンドリーって、自分にも返ってきたりするんですか?
星野 自分にも返ってきますけど、それよりも、やっぱり、父親に対する怒りがあまりにも強過ぎて。今、社会で犯罪や問題を起こした男性が糾弾されるような事件が頻発していますよね。その時に、そこに自分の父親を投影してしまい、問題を起こした男性に対して「いい気味だ」と思ってしまう時があるんです。フラットに捉えられていないので、やはりそれは良くないと思うし、我ながらこじらせているなと思うんですけれども。
でも、冷静に考えると、自分自身も男性なんですよね。だから、自分だって、加害者側にまわってしまう可能性はいつでもあるのに、それより、強烈な怒りが勝ってしまう時があるんですよね。
西井 なるほど。続いて僕のほうから自己紹介を。男性問題に関心を持って、男性同士の対話の場を実践したり、そこで語られる内容から男性の社会的現実を描くといった研究に取り組んできました。今は、男性の暴力の問題をテーマとし、ドメスティック・バイオレンス(DV)や虐待、ハラスメントをしてしまった男性を対象とした、脱暴力のためのサポートをしつつ、彼らの経験を紐解く研究をしています。
具体的には、心理臨床家として、カウンセリングやグループワークを行っているわけですが、僕は暴力の問題を、個人の問題にはしたくないと考えています。暴力は個人の性質だけではなく、さまざまな社会的要因の相互作用の中で発生します。そこには男性ジェンダーという要因も関わります。だとすると、暴力が発動する背景にある社会の問題に切り込み、個人と社会の問題をトータルで解決しなくてはならない、そう考えています。
天野さんと星野さんは、それぞれ保育園と小学校で働かれた経験があり、その実践をもとに本を執筆したり、研究をしていますよね。お二人がテーマとしているのが「子ども」なのに対して、僕の調査対象は、「大人」の男性なわけです。
この年代の差について、暴力というテーマで接続させるために、暴力の連鎖という現象について話をさせてください。近年、暴力は世代をまたいで連鎖するということが、さまざまな知見によって明らかになってきています。親から虐待を受けたり、両親の間でDVが起きているのを見てしまった、これは面前DVと言いますが、その結果、他者と関わる際に暴力を使うということを学んでしまう、ということがおきます。人と関わっていると自分の思い通りにならないことがたくさん起きます。とりわけ家族というコミュニティではなおさらでしょう。それを解決する手段として、暴力を使ってもいいということを親から学習してしまうのです。
この原家族の問題は、近年広く理解されるようになってきましたが、実際にカウンセリングする中で、家族以外にも要因があることに気づきました。それは職場と学校です。日本の社会では、職場の中に能力主義が強く入り込んできていますよね。仕事の業績だけではなく、コミュニケーション能力や、多くのコストをかけ、効率的に動くことが求められ、それをもとに序列化される。そんな環境で一番に切り捨てられるのは個人の情緒的な側面です。お互いの痛みとか悲しみを共有しながら、安心できる環境をつくっていくということがなおざりにされてしまう。そして、そこで学び取ったコミュニケーションの様式を、自分の家族にも使ってしまうことがあります。相手の気持ちを尊重せず、すぐに解決方法を導こうとし、上から目線で家族と関わってしまう。その態度は簡単にモラハラへと接近します。
もう一つが教育です。お二人の領域と関わるところなので、今日お話しできたらと考えていますが、とりわけ臨床の現場で話題になるのが体育会系の部活です。今の親世代は当たり前に体罰を受けてきていますから、子どもに喝を入れるなら殴ってもいい、どなりつけていいという価値観をいまだに持っている人もいます。誰かがミスをしたら、非難し、試合に負けた同級生をみんなでいじる……。そんな環境の中で学びとったものが、自分のパートナーや子どもにも現れることがあるんですね。なので、教育機関が及ぼす影響は小さくないなといつも思っています。
プロフィール

西井 開(にしい かい)
臨床社会学研究者、一般社団法人UNLEARN理事。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)がある。
天野 諭(あまの さとる)
保育士。福島大学人間発達文化学類特任准教授。著書に『保育はジェンダーを語らない』(かもがわ出版)がある。
星野俊樹(ほしの としき)
元小学校教師。教員歴20年。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。著書に『とびこえる教室』(時事通信社)がある。


西井開×天野諭×星野俊樹






速水健朗×けんすう(古川健介)

樋口恭介×雨宮純
金子信久
佐田尾信作×前田啓介
西村章