「有害な男性性」を超えて
星野 僕は学校時代にあまり良い思い出がなかったので、学生の頃は教員になろうとは少しも思っていませんでした。けれども社会に出て働く中で、自分が受けてきた教育を変えたいと思うようになり、教員になりました。
しかし実際に学校に入ってみると、狭い教室に大人数の子どもたち、一斉授業や一斉行動を前提とした学校という枠組みの中で、教師はどうしても権力を行使せざるをえない場面に直面します。
教師は、権力の執行者であると同時に、制度と現場の矛盾のあいだで子どもたちに応答しようともがく存在でもあります。自由と安全、個と集団、ケアと統制といった相反する価値のあいだで揺れ動きながら、日々の教室をなんとか支えています。
けれども40人近い学級と狭い教室という構造のなかで、教師はジャグリングのように場を回さざるをえません。子どもが怪我をしかねない時や、加害の現場に際しては、強く制止したり、声を荒らげたりすることもあります。それが「体制的」あるいは「男性的」な指導だと批判されることもありますが、現場の実感としてはそう単純なものではありません。
自分の中の男性性と距離を取りたいと願いつつも、そうした男性性が誘発されやすい環境の中では、それを使わざるをえない現実もあるんですね。そこに抗えず、乗っかってしまう自分もいる。だから自分はイノセントではありません。後ろめたさを抱えながら、それでもジェンダーや男性性と向き合うことの大切さを伝えたいと思い、今日ここで話しました。
天野 僕は今日、ようやく論敵の星野さんに会えたというのが、まず一番嬉しかったことですね(笑)。
星野 論敵じゃないでしょ(笑)。
天野 まぁ、「論敵」というのは冗談だとしても、保育士と小学校教諭では、同じ「教育」といっても子どもを捉える視点にずれがあるなと、前から星野さんの本を読んで感じていたんですよ。それで、いずれ擦り合わせというか、議論できたらいいなと思っていたので、今日はその機会が巡ってきて、本当によかったなと思っています。
それと、「男の子の文化」については、もう少し深掘りできればよかったかなと思っています。なぜかというと、今、中高生の男子たちが暴力を振るっている動画などがネットで拡散されて、「有害な男性性」が強調されがちですよね。ジェンダーをめぐる議論全体にもそうした傾向があると思うのですが、「男の子の文化」そのものが否定されやすくなっているようにも感じる。
でも、保育園にいる小っちゃな男の子たちを観察していると、僕はそこに、愛らしさとか、遊びの興奮を感じるわけです。彼らを見ていると、やっぱり「男の子の文化」っていいなぁ、面白いなぁと思いますね。
僕自身は、男の子の文化の中で、あまり器用に生きてこられなかった人間です。でも、この年齢になって思うのは、もしかして今なら、男の子の文化に馴染んで楽しめるんじゃないかな? という可能性なんですよね。
だから今、男の子の文化っていうと、何から何まで「有害な男性性」って括られがちだけど、そうじゃない男性性もある。有害ではなく豊かな、融和的な男の子たちの関係性というものを、今後の自分の研究では追究していきたいな、と思っています。
西井 融和的な男子の関係性というのはとてもいいですね……。僕は「ぼくらの非モテ研究会」という男性の対話グループを主催していて、参加者のほとんどが20代以上なんですが、語られるエピソードとして、中学、高校の経験がとても多いんです。恋愛の失敗だけではなく、クラスメイトにいじめられた経験、教員に支えてもらえなかった経験、孤立していた経験など、辛い話がたくさん出てきます。学校を卒業してから、もう十年、二十年と経っているにもかかわらず、その時の痛みが今も強く残っている。そういう状況を見ると、学校の影響力って、凄まじいな、と思うんです。
そんなことを考えていたとき、今日、奇しくも星野さんから学校の抱える問題について、たくさんのことを教えていただけた。これは、僕にとって、非常に今後の研究の糧となるお話でした。
星野 本当に話は尽きませんね。
西井 皆さん、今日は本当に、長いお時間ありがとうございました。
構成/星飛雄馬
プロフィール

西井 開(にしい かい)
臨床社会学研究者、一般社団法人UNLEARN理事。著書に『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)がある。
天野 諭(あまの さとる)
保育士。福島大学人間発達文化学類特任准教授。著書に『保育はジェンダーを語らない』(かもがわ出版)がある。
星野俊樹(ほしの としき)
元小学校教師。教員歴20年。京都大学大学院教育学研究科修士課程修了。著書に『とびこえる教室』(時事通信社)がある。


西井開×天野諭×星野俊樹






速水健朗×けんすう(古川健介)

樋口恭介×雨宮純
金子信久
佐田尾信作×前田啓介
西村章