21世紀のテクノフォビア 第5回

鉄道嫌いの時代(後編)

速水健朗

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利にするはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。
なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。
今回は前編に引き続き、鉄道の誕生と、それに伴って生まれた「鉄道嫌い」について。

■フランスの鉄道普及が遅れた理由

鉄道の発祥国であるイギリス以外では、鉄道はどう受け止められたか。

フランスの美術評論家のエドモン・ド・ゴンクールは「いざ列車に乗ると、あまりにも揺れが激しくてまともにものを考えられなかった」*1 と電車に乗ったはじめての体験を語る。

フランスの鉄道がヨーロッパの他所の国より遅れたのは、このゴンクールに代表されるような鉄道への懐疑論が巻き起こったからだ。1840年の時点でフランスの鉄道の総延長距離は、350マイル。イギリスではすでに2000マイルを超えていた。

フランスでは、鉄道普及の初期の事故が普及の速度に影響した。そもそもフランスは、他所の国よりも道路網が発達していた。これはナポレオン時代の成果である。だが、そのことがむしろ鉄道の発達を拒んだ可能性がある。新しいテクノロジーが登場した時に、一番それに対応できないのは、直前のテクノロジーを切り開いた当事者である。いわゆる「イノベーションのジレンマ」のような話。

フランスの主要な路線パリ〜ル・ペック線の完成は1837年。フランスでの初期鉄道の事故とは、ヴェルサイユ〜パリ間を走っていた路線でのこと。王の祝典を見物しにいった帰りの満杯の旅客を引いていた機関車の車軸が破損して脱線し、石炭の火が客車に燃え移って50名以上の死者が出た。死者の数すら確定できない悲惨な事故だったという。

この事故では、フランスにミロのヴィーナスを持ち帰ったことで知られる軍人で探検家のジュール・デュモン・デュルヴィルも巻き込まれた。事故の原因は、金属疲労だった。事故が大規模になったのは、客車に鍵をかけて客を閉じ込めて輸送していた当時の鉄道会社がつくった謎のルールのせいでもある。鉄道開通直後に、線路ではしゃぐ客が轢かれる事故が絶えなかったことから生まれたルールなのかもしれない。これを機に、客車に鍵をかける習慣は廃止された。

「諸君、だれもが知っているとおり、文明は戦場だ。万人の進歩という大義に多くが生命を捧げる戦場なのだ。悼もう、轢かれた彼らを悼もう……そして前に進もうではないか」(『世界鉄道史』クリスティアン・ウォルマー)と言ったのは、詩人で政治家のラマルティーヌ。機械文明の時代は、事故による大量の犠牲の上に成り立つ。そういわんばかり。だが実際にそういうものだったのだろう。事故とその反省で鉄道の安全性についての進展もあったということ。

■テクノロジー嫌いだったローマ法王

鉄道と鉄道事故は、同時に発明された。冒頭で取り上げたリバープール=マンチェスター鉄道でも初日からウィリアム・ハスキッソンの轢死事件が起きている。新しいテクノロジーは、痛ましい事故とトレードオフだった。

イタリアの鉄道では、工業都市の多い北部よりも、南部のナポリが先行した。ヨーロッパ最後の絶対君主のひとり、フェルディナンド二世が統治していた時代のことである。「開明的な君主と見られたがっていた」(前掲書)。フェルディナンド二世は、ナポリからナポリ湾沿いに鉄道の線路を敷設する。それが1839年10月に開通する。ただ、その一番列車に君主自身は乗らなかった。わざわざ危険な乗り物には乗らない。鉄道は国家を発展させるためには必要だが、我は事故にはあいたくないと思ったのか。王が移動する手段、乗り物は、あくまでも別ということか。

当時のイタリアの鉄道嫌いの代表は、19世紀のローマ教皇、グレゴリウス16世だった。彼はそもそも、機械全般が生活の中に入ってくることを嫌っていた。鉄道だけでなく、街路にガス灯を設置することにも大反対した。イタリア中央部の鉄道敷設が遅れたのは、このグレゴリウス16世が鉄道開発を許されなかったから。当時のローマ教皇は、新しい習慣を好まない保守的な人々を代表する存在でもあった。

次ページ 日本の鉄道建設も反対派が多数
1 2
 第4回
第6回  
21世紀のテクノフォビア

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

鉄道嫌いの時代(後編)