21世紀のテクノフォビア 第6回

タワマン文学。人はいかに高所とエレベーターを克服したか(前編)

速水健朗

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利にするはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。
なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。
今回は着目するのは「タワマン文学」。近年タワーマンションなどを舞台に、都会の格差や嫉妬心を描いたTwitter発の小説がにわかに話題だが、その元祖とも言える小説を入口に、人間の「高所への恐れ」と「技術への恐れ」の根源を解き明かす。

■エレベーターを巡る住人同士の争い

タワマン文学の元祖は、イギリスの小説家J.G.バラードの『ハイ・ライズ』である。40階、1000戸の巨大マンションには、住人専用のスーパーマーケットとヘアサロン、プール、トレーニングジム、リカーショップなどがあり、小学校も併設されている。

地上50階を越えるタワーマンションが建ち並ぶ現代からすれば、その高さもめずらしくない。さらに商業施設が併設され、1つの完結した街として高層マンションというのもないわけではない。ただ、この小説が刊行されたのは1975年のこと。東京では、新宿の超高層ビル群がまさに誕生しようとしていた頃。日本のタワマンの先駆けとされるのは、住友不動産が1976年に建設した与野ハウス(埼玉県)で22階建463戸。ハイライズのマンションは、この2倍くらいの規模である。その後、80年代後半に佃島にタワマンができるが、本格的な規制緩和の時代は90年代末まで待たなければいけない。

『ハイ・ライズ』の主人公・ラングは、ロンドンのチェルシー地区からやや郊外のこのマンションに越してきた。この高級なマンションを選んだのは「平和と静寂と匿名性のため」だった。外部環境と切り離されたマンションでは、プライバシーが守られている。極力コンパクトかつ効率よく配置されキッチンやバスルームの間取りに「きっとこの設計者は、成長期を宇宙カプセルですごしたんだ。壁が曲面になっていないのがふしぎなくらいだよ」と間取りについてこぼしている。窮屈さを感じているが、25階なのでながめはいい。ただ「地上三百フィートの大観覧車のゴンドラで暮らしているような気になる」という。初めての高所生活、マンション生活なのだろう。 高所での生活は人に「心理的」または「物理的」な影響を与えるかもしれない。そんな底知れない不安が主人公にある。

 

そして、平和と静寂とプライバシーを望んでいたラングだが、それが崩れていくのを目の当たりにする。ある日、事件が起きる。マンションの共用プールに、高級犬アフガンハウンドの溺死体が浮かんでいたのだ。

以前から共用プールを巡っての住民の対立はくすぶっていた。プールに子どもがおしっこをするといったいたずらに上層階住民はいらいらを募らせ、子どもの締め出しを図っていた。ちなみに、子どもを育てている世帯は、主にマンションの低層階に固まっていた。巨大マンションは、高層と低層とで2分されてしまう。

プールで死んでいたアフガンハウンドは上層階の女優が飼っていたものだ(ということはこのマンションは、大型犬を飼うことが許可されているということ)。これが自分たちへの攻撃であると認識した高層階の住民はエレベーターで「報復遠征隊」を派遣した。そして、プールの規則をやぶってゴムいかだを浮かべてシャンパンをあおるという抗議行動を行なう。一方、煽られた下層階の住民も反発してエレベーターを使った嫌がらせを始める。下の階でエレベーターが占拠されれば、上階の人びとは困ってしまう。

ラングは、25階、中層階の住人なので、上層からは粗暴な下層階の住民と見なされ、下層からは鼻持ちがならない上層階の住民と見なされ、板挟みにあう。

■高所での生活の始まりとエッフェル塔

『ハイ・ライズ』に登場する巨大マンションには、約2000の住人がいるという。弁護士、医師、税務コンサルタント、老学者、広告代理店重役、出版社の社主ら、さらに航空会社のパイロット、映画技術者、3人1組で入居しているスチュワーデスらもいる。

「たがいの差が少なく、趣味と考えかた、流行と生活様式をおなじくし、それはマンションのまわりの駐車場にならぶ車の選択にも、エレガントでそのくせどこか画一的な室内装備にも、スーパーマーケットのデリカテッセンで選ぶ高級食品にも、その自信に満ちた話し方にも、はっきりあらわれていた」という。

 彼らは基本的には、裕福な層である。ただ子育てをする人びとと静かに暮らした人びとが別々の”住民意識”を形成し、分断を引き起こしているのだ。彼らは本来であれば郊外に邸宅を構えていたであろう人びとである。そんな人たちがあえて高級マンションを選んで住み始めたということになる。バラードは、単に高層マンション、巨大住宅の分断話が書きたかったわけではなく、新興のマンション階級を題材に小説を書きたかったのだ。その意味でもまさにタワマン文学。

バラードの『クラッシュ』(1973年)『コンクリート・アイランド』(1974年)、さらに『ハイ・ライズ』を加えた3作は、いわゆる”テクノロジー三部作”と呼ばれる。他の2作は、自動車事故に性的な欲望を持つ人びと、周囲を自動車の道路で囲まれた住宅地の話。テクノロジーやメディアが生み出す新たな環境、生活が無意識の欲望を生み出すことが共通するテーマになっている。

人が高所で生活を営むようになったのはいつからか。19世紀末に304メートルの鉄塔エッフェル塔が誕生する。設計者であるギュスターヴ・エッフェルは、この3階部分に自分の住居スペースをつくり、そこで実際に生活を送ったという。

エッフェル塔の完成は、フランス革命100周年のパリ万博が開催された1878年。それまでも多くの鉄橋などを手がけてきたエッフェルの鉄塔のプランが、コンペで勝利を収めた。パリ万博の開催まで3年弱という短い工期で完成できる設計案が決め手となった。

冷蔵庫で冷やした野菜が人工的、機械的だと冷蔵庫を焼き討ちにしたような時代を思い浮かべると、当時のテクノロジーの代表である鉄をむき出しのまま、何の装飾も付けず、何の機能も持たされていない塔が、すんなり理解されるわけもない。当時のパリ市民は、皆、鉄塔の建設に反対だった。モーパッサン、デュマ・フィス、ルコント・ド・リールら300人の文化人たちは、反対の嘆願書を提出した。彼らは、パリの石造りの風景に鉄塔はそぐわないと感じていたのだ。鉄塔の計画を後押しした商工大臣のエドゥアール・ロクロワは、彼らの反対の嘆願書をむしろ光栄なことと開き直り、エッフェル塔内に展示したという。

ロラン・バルトの『エッフェル塔』(ちくま文庫1997年。宗左近、諸田和治訳)は、モーパッサンがパリで数少ない「パリで塔を見ないですむ唯一の場所だからと、彼が嫌いな塔の中のレストランでしばしば食事をした話が取り上げられている。バルトは、塔は「現在が過去を否定する今日的な意思表示」でもあったという。つまり、塔を理解したのは、塔の完成以後のキュビズムの画家たちやジャン・コクトーら次世代の作家たち。彼らは、「新しい時代の符牒として」エッフェル塔を取り上げた。

一方、バルトは鉄塔の美しさは「組み立て」方にあったという。あらかじめ1ミリ単位で各部分の寸法がきめられ、架設支柱の位置まですべてあらかじめ計算され尽くしていた。また、「塔の建設中にいかなる事故も起こらなかった以上、それは完璧な勝利である」のだと。そして塔は「あらゆる上昇の象徴」となったという。

ちなみに、エッフェル塔には垂直移動ではなく、斜めに上昇するエレベーターが付いている。万博がオープンした3週間後の5月26日、エレベーターには観客が押しかけたが、その中にはトーマス・エジソンもいたという。


■恐怖のホテルのアトラクション

高所の暮らしにおいて、エレベーターは欠かすことのできない必需品である。ディズニーシーのアトラクション「タワー・オブ・テラー」は、フリーフォール系のアトラクションである。まずは、このアトラクションがどういうものか。ディズニーシーの公式サイトから引用する。

時は1912年のニューヨーク。1899年に起きたオーナーの謎の失踪事件以来、恐怖のホテルと呼ばれるようになった「タワー・オブ・テラー」。ニューヨーク市保存協会による見学ツアーに参加したゲストは、エレベーターで最上階へと向かうことに。

 東京ディズニーリゾート【公式】タワー・オブ・テラー|東京ディズニーシー

この”恐怖のホテル”のオーナーは、ハイタワー3世。彼は、1886年に先代から受け継いだ邸宅を14階建てのホテルに改装している。12階より上のフロアは、彼自身の住むペントハウスで3フロアある。建築は、世界のあらゆる建築様式の寄せ集めである。

19世紀半ばから末頃までのヨーロッパ、アメリカの大都市の標準的な建築物の高さは5,6階建。その制限は、階段を使って人が日常的に上り下りする限界の高さである。それがエレベーターの登場によって変わる。

当初、エレベーターを積極的に導入したのはニューヨークのホテルだった。既存の豪邸にエレベーターが設置され、階数が10〜11階建てに建て増しが行われた。

邸宅からホテルに改装されたケースのひとつに、ウォルドーフホテルがある。

1893年にウィリアム・ウォルドーフ・アスターは、父から受け継いだマンハッタンの五番街の屋敷を13階建て(当初11階の予定が途中変更)の高層ホテルに改築した。

その隣には叔母のカロラインが住んでいた。ウィリアムは、叔母への嫌がらせとしてこの高層ホテルの改築を行ったという。自分の母をないがしろにし、社交界の中心となっていた叔母をうんざりさせようとあえて高層の建築を選び、さらには人の出入りの多いホテルの営業を始めた。

そのカロライン邸は、4年後に16階建のホテルに改築するという仕返しをした。これを手がけたのは、カロラインの息子のジョン・ジェイコブ・アスター4世(1912年にタイタニック号沈没の被害者でもある)だった。のちにこのケンカも収束し、両ホテルはドアでつながり、ウォルドーフ・アストリア・ホテルが誕生する(『ニューヨーク』亀井俊介、岩波新書、1998年)。

同じ時期の5番街では、プラザ合意や『グレート・ギャツビー』(1925年)に登場することでも知られるプラザホテルが開業している。1890年開業、1907年に改築され、当初の8階建てがルネサンス期のシャトー風になり21階。エレベーターの設置基数11、76.79メートルになった。

ニューヨークの5番街は、かつては財閥たちの邸宅が並ぶ地域だったが、19世紀末に高層ホテルができるようになり、さらにのちに超高層ビルが建ち並ぶようになる。

ウォルドーフ・アストリア・ホテルは、のちに49丁目と50丁目の境のエリアに巨大ホテルを建てて引っ越した。そしてその旧ウォルドーフ・アストリア・ホテルの跡地にエンパイアステートビル(1931年)が建つことになる。


■エレベーターフォビアと鉱山事故の記憶

「タワー・オブ・テラー」に話を戻すが、このアトラクションは、廃墟となったホテルの見学ツアーの客という設定だ。ハイタワー3世は、過去のエレベーター事故以来、行方不明になっている。

ハイタワー3世は探検家でもある。世界中から骨董品や美術品を持ち帰り、蒐集している。アフリカのコンゴ川流域から持ち帰った(つまり収奪)呪いの偶像がこの災いに関係していることが匂わされる。

 

ハイタワー3世が姿を消したのは、この偶像のお披露目のタイミングだった。記者会見が行われ、呪いについての質問を受けたハイタワー3世は、これを馬鹿馬鹿しいと一蹴するが、その会見後に最上階の部屋に戻るエレベーターに乗っていたときに停電が発生し、エレベーターが転落する。

ロランバルトは、エッフェル塔を「あらゆる上昇の象徴」と指摘し、上昇は

人間の生理機能の中で「もっとも幸福な機能」である「呼吸作用」と結びつく、幸福のイメージだという。落下はその逆の作用、すなわち恐怖や不幸と結びつく。

ハイタワー3世は、転落後。行方不明となり失踪事件として処理される。のちにホテルは、閉鎖され、”現代(ライドの客たちに設定されている時代)”に至る。「ニューヨーク市保存協会による見学ツアーが開催される。ライドの客は、協会メンバーという設定である。皆でエレベーターに乗り、失踪したハイタワー3世の部屋に向かう。

ディズニーのアトラクションの多くは横移動を軸にしたものだ。コースター系は、横と縦の移動の組み合わせ。だが「タワー・オブ・テラー」は高所から一気に降下する縦軸移動をメインに備えたライドなのだ。真下に落ちる怖さはまた別物である。

1850年代、当初のエレベーター普及でもっとも鍵を握ったのが、人びとが感じた事故への恐怖だった。その四半世紀ほど前に始まった鉄道はまず、「鉄道嫌い」と「スピード嫌悪」にさらされ、大事故が起きるようになると鉄道へのネガティブな意識を持つ人が増えた。縦軸の移動を行うエレベーターでは、落下事故への懸念が初めから強かった。当時、誰もがまっさきにイメージしたのは、鉱山での運搬作業でロープがちぎれるといった事故だった。

エレベーターもロープが切れたら、高層階からボックスが急落下し、大事故につながる。まさに「タワー・オブ・テラー」におけるハイタワー3世の身に起こったであろうと誰もが想像する事態である。信頼できる安全装置がなければ、エレベーターには誰も乗らない。その安心がどう払拭されるかは、また次回。

 第5回
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20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

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