都内の電車に乗ると、数年前までは本を読んでいる人をよく見かけたものだが、最近は、寝ているか、スマホとにらめっこをしている乗客がほとんどという時が多い。
混んだ電車では若い女性が、横に立っている私に見えないよう、スマホの画面を隠そうとする。こちらは全く関心がないのだが。女性はスマホを使うこと自体が、ネットの世界によって監視され、プライバシーを失っていることをおそらく知らない。彼女のスマホの情報は、位置情報、どのサイトを見たかの履歴、ソーシャル・メディアへの投稿やネット購入歴、電話やメール、LINEの通信記録など、すべてがはるか遠くに離れたサーバーで記録され、ビッグデータとなっているだろうから。
スマホ利用者の情報は音声認識や自動翻訳のためのAI(人工知能)開発の学習材料に利用されているかもしれないし、広告を送るための「原料」にされているか、情報が分析・加工されて企業に売られているかもしれない。しかし、個人情報の流出や政府による監視には嫌悪感を抱いても、企業が個人情報を「監視」して収集、分析していることに抗議する人はまだ稀だ。
モバイルデバイスが一般に普及して以来、その使われ方も多様になった。ソーシャル・メディアを通じて大規模なデモを組織することも容易になり、ソーシャル・メディアの動きを分析することで、デモを予測し、事前に警備を強化することも可能となった。政治家は広場で不特定多数の聴衆を相手に演説するより、有権者たちの個人情報を大量に集めて、心理分析によってスマホへ個別にアプローチすることで、より効果的な説得が可能になるかもしれない。2016年のアメリカ大統領選挙のように、ネットの威力は選挙にも影響をおよぼす可能性が見過ごせなくなったが、これは決して一過性のことではない。
自由と平等を標榜し、少数意見にも「声」を与えたはずのネットは、アルゴリズムが発展する過程で、思わぬ方向に進化している。ネットによって人々の偏見が強まり、過激な意見を持つ人が結集しやすくなったと思うのは筆者だけでなく、一部のデータ・サイエンティストによって研究が進められている。同じ意見を持つ人が集まるネットにおける「フィルター・バブル現象」や、マシーン・ラーニングによって人々の偏見が反映されうる検索のランキング結果などを見ても、明らかだ。
さらに、ネットには個人の偏った意見を反映したブログや偽ウエッブサイト、偽ニュース、トロール部隊などによるボットやサイトのシェア拡散、偽いいね! ボタンに偽フォロワーで溢れている。ウエッブサイトひとつを読むにあたっても、誰がどういう意図でどのような作者であるのか、利用者側がある程度、自覚をもって調べたり、自分なりの読解力「メディア・リテラシー」を養わないかぎり、ネット利用者は無意識のうちに利用され、操作されてしまうかもしれない。
今回上梓した『デジタル・ポピュリズム』は、ネット時代に、世論が誘導され、市民の怒りが焚きつけられることによって民主主義の地盤が危うくなりつつある現状についての報告である。
一般家庭にネットが普及しはじめた1990年代半ばごろ、私たちは確かに「ネットに書かれていることをすべて信じてはいけない」と思っていた。それが、いつのまにか無料のニュースサイト、ブログや書き込みを読むことに抵抗がなくなり、「シェア・エコノミー」が広がる中、ネット利用者は旅行に出ればネットで予約した家庭で民泊する。政府やエリートへの信用度が低下しているわりに、なぜ赤の他人の個人宅に躊躇なく泊まることができるのだろうか。しかも、民泊を提供した側も宿泊客を「査定」している。
ネット上には利用者がクリックすればするほど儲かる企業があるため、「クリックエサ」も溢れ、利用者をどうやって「ネット中毒」にしようかと巨大IT企業は日々、試行錯誤を重ねている。そして、ソーシャル・メディアがスマホで表示されるようになって以来、偽ニュースや悪いニュースほど瞬く間に世間に広がってしまう。
では「インターネット上の毒」から身を守る方法はあるのだろうか。むろん、アナログへの後戻りは不可能である。せめて必要のないアプリは消去する、むやみにクリックしない、またネットに接続する時間を削り、ネットを見ない「アナログ時間」を増やすとか、「ネットクレンジング」あるいは「ネットデトックス」を奨める「ネット活動家」もいる。ネット上の他人と同じ偏見を確認して「エコー・チェンバー」(共鳴室)の中で過ごすより、実生活で人と会う時間を惜しまず、異なる意見にも耳を貸して対話を促すことのほうがはるかに楽しく、有意義ではないだろうか。
「コントロールを取り戻そう!」というポピュリストたちが叫ぶスローガンにあやかっていえば、ネット情報こそ「自分たちの手に取り戻す!」べきで、ネットをうまくてなずけない限り、私たちの将来は危ういと思う。
福田直子
●「青春と読書」6月号より転載
プロフィール
ジャーナリスト。上智大学卒業後、ドイツのエアランゲン大学にて政治学・社会学を学ぶ。帰国後、新聞社、出版社にて勤務。アメリカとドイツに三十年住み、ニュース系の媒体に寄稿。著書に『大真面目に休む国ドイツ』(平凡新書)、『日本はどう報じられているか』(共著、新潮新書)など。