●人間の「発達」を「科学」する
「人間」は私たちにとって最も身近な存在だ。あなたは人間で、私も人間。私は、そんな人間の成り立ち、もう少し詳しく言えば、「人間の発達」を研究している一介の科学者である。
主な対象は0~3歳ぐらいまでの赤ちゃんや幼い子ども。彼らがどのように世界を理解しているのか、どうやって言葉を身につけていくのか、周囲の大人や文化といった環境は彼らの発達をどう支えているのか……。そういうことを科学者の視点から日々調べている。
幼い子どもも人間である以上、ごく身近な存在だといえる。たとえ子育てをしていなくても、街を歩いていれば自然と彼らが目に入る。ショッピングモールで追いかけっこしていたり、電車でぐずって泣いていたり、ファミレスで新幹線のランチプレートを盛大にぶちまけていたり。「イヤ!」「好き!」「YouTube!」などと声を上げる子どもたちの様子を見ていると、彼らの行動原理は大人に比べるとはるかにシンプルで、発達の謎なんてすぐに明らかにできると思うかもしれない。ところが、そんな人間の「出発点」ともいえる発達初期のことでさえ、たくさんの未解決問題が残されている。
●すぐわかりそうでわからない、発達の謎
たとえば、子どもがどうやって言語を獲得するのかという問題は、今も大きな発達の謎として残っている。ChatGPTやGemini、Grokといった大規模言語モデルの登場によって、機械も卒なく言語コミュニケーションがとれるようになった現代であれば、人間がどのように言語を身につけるのかという問題はすでに解明済みなのではないか、と思う人も多いかもしれない。しかし実際には、人間の言語獲得の謎はむしろ一層深まっている。というのも、子どもが生後数年にわたって受け取る言語インプットは、大規模言語モデルと比べると驚くほど「ないない尽くし」だからだ。
まず挙げられるのは、圧倒的なインプット量の少なさだ。大規模言語モデルと比較して、子どもが5歳までに受け取る言語インプットの総量は、数万~数十万語も少ないと推計されている (Frank、 2023)。2023年時点の推計なので、現在この差はさらに拡大している。また、子どもが受け取る情報には偏りが大きく、網羅性に欠けている。1~2歳の赤ちゃんとその養育者に、たくさんのオモチャで10分間自由に遊んでもらい、その様子を分析した研究によれば、オモチャは全部で32種類もあったのに、そのうちたったの5種類が、遊び中に触れられたり言及されたりするオモチャの過半数を占めていた (Karmazyn-Raz & Smith、 2023)。食べ物だけでなく、オモチャも選り好みする子どもたち。確かに、喜ぶと思って渡したプレゼントには目もくれず、包装紙とリボンの方がむしろお気に入り、なんてこともある。さらに、子どもが受け取る言語インプットは不確実で、誤りや欠損を多く含んでいる。実際に、子どもの視野にコップが映っているときに「コップ」という単語を聞く食事場面の割合はせいぜい10%程度で、何か物体を見ているときに、その名前を教えてもらえる状況は非常に稀である (Clerkin & Smith、 2022)。ときには、コップが目に入っていない状況でも「ほらちゃんとコップ持って!」と言われることもある。これでは、そのときたまたま見ていたリモコンのことを「コップ」だと勘違いしてしまうことだってありそうだ。
このように、インプット量も少ない、網羅性もない、確実性も乏しいという「ないない尽くし」の状況なのに、多くの子どもたちは生後わずか数年のうちに基本的な言語能力を獲得する。5歳児にもなれば驚くほどよくしゃべるし、「○○ちゃんのことあんまり好きじゃないんだけど、でも明日も遊んであげるの。友達だから。」などと、大人顔負けのエピソードトークをかましてくることもある。食べ物もオモチャも特定のものばかり好んでいた子どもが、いつのまにかそれ以外の馴染みのない物事についても語彙を獲得している。食事中、リモコンやアンパンマンに気を取られがちだったあの子も、「コップ」という単語の意味をちゃんと理解できるようになっていく――。これはすごいことだ。でも、どうやってそんな離れ業が可能になるのか、現代の科学でも明快な回答は得られていない。簡単にみえて、「人間の発達」は驚くほど不思議に満ちている。
●発達の「ノープリウス」を探せ!
「人間の発達」を科学的に探究する試みには、思いのほか長い歴史がある。進化論で有名なダーウィンも自身の子どもの観察記録を遺しているし、言語獲得の謎に至っては紀元前の古代エジプトでも興味をもたれていた。ただ、それらが「発達の科学」として体系化されるに至ったのは20世紀に入ってからだとされる。発達心理学の土台を築いた偉大な心理学者のひとり、ジャン・ピアジェ (1896–1980) は、もともと生物学の研究者だった。人間という存在をより深く理解するために、発達の探究が重要であるということを、ピアジェは実に生物学者らしい切り口で主張している (ピアジェ、 1950/1975)。
生物種を正しく理解し分類するには、発育の最初期の段階に遡って比較することが欠かせない。例えば、エボシガイやフジツボなどは、長きにわたって軟体動物だとみなされてきたという。しかし、これらの種は幼生のときに「ノープリウス」という甲殻類のような形態を辿ることが後に判明し、今では軟体動物ではなく甲殻類として位置づけられている。
ピアジェはこの逸話を引き合いに出しながら、人類がいかにして科学的思考 (この箇所では特に「数」に関する人間の思考を念頭に置いている) を発展させてきたのかという問いを明らかにするためには、成育を遂げた「大人の思考」を説明する「ノープリウスの段階」、すなわち発達の最初期へと探究の射程を拡げなければならないと論じた。
この態度は、現代の発達科学者にも通じるところだろう。科学者が科学者として赤ちゃんや子どもと対峙するとき、そこにあるのは「人間を真に理解したい」という知的欲求である。子どもの発達をつぶさに調べ、明らかにすることは、子育てや保育・教育・療育のためだけの営みとは限らない。いや、もちろんそれらも重要ではあるのだが、より根源的な人間理解という目的のために、「発達」という探究の視座は極めて魅力的なのだ。
●「発達科学者」という奇妙な立ち位置
よくよく考えてみると、発達科学者という立場は、子どもに関わる大人たちのなかではかなり特殊な立ち位置にいる。通常、子どもに関わる大人といえば、実際に子育てを担う養育者や、保育士や幼稚園教諭といった専門職者である。そんななか、私たち発達科学者は「育てる」という文脈からは少し離れたところで彼らに関わっている。語弊を恐れずにいえば、発達科学者のなかには、実は子どもがそんなに好きではないという人もいるし、子どもと遊ぶのは苦手とか、うまい関わり方がわからないという人だっている。でも、それでも「発達」という現象に魅せられて、必要のために、恐る恐る子どもに関わっている。
こうした発達科学者の立ち位置は、冷静に子どもをみつめる、という科学的態度としてはとても重要なことだ。しかしその一方で、子育てに対して「責任がない」と批判されれば、それはその通りと言わざるをえない。2024年夏クールのドラマ『海のはじまり』で、主人公の夏 (演・目黒蓮) が幼いころに生き別れた実父、溝江 (演・田中哲司) と数十年ぶりに再会したシーンを観て、涙ではなく冷や汗が止まらなかったことをよく覚えている (ストーリーの中心に関わるようなネタバレではないが、台詞を書き起こしているので、引用部分を読みたくない場合は読み飛ばしてもらって構わない)。
溝江「面白かったんだよ、子ども。お前、毎日違うんだよ。生まれてから3つまで、毎日違う顔してて。よその子は毎日おんなじなのに、お前、毎日違うの。目が合うだけで笑うし、気づいたら歩いてるし。面白い生き物がいるもんだなぁって。…(中略)…
久しぶりにお前抱っこしたとき、『重くなったなぁ』って言ったんだよ。重くなった気がしたから。そしたらゆき子がわーわー泣きだして。何たら健診とかで体重が増えないって言われて、それが気がかりで、不安で心配で、ああだこうだわーわー言いだして。『面白がるだけなら趣味。楽しみたいときに楽しむだけなら趣味。あなたは子どもを釣りや競馬と同じだと思ってる』——納得。興味しかなかったんだわ。責任もない。心配もしない。レンズ越しに見てただけ」
(『海のはじまり』第8話)
もちろん、科学者は「趣味」というよりも「仕事」として子どもと対峙している。でも、育てる責任もなく、必要なときに必要な分だけ接するだけ、と言われたら、ぐうの音も出ない。まるで自分が批判されているような気がして、心に刺さったトゲは今も抜けずにいる。
●発達科学者は赤ちゃんや子どもに生かされている
それでもなお、発達の科学的探究が許されるのであれば、せめて社会がほんの少しでも明るくなるように、精一杯研究しよう。「人間ってこんなに面白いのか!」と、人間が人間の価値を再発見できるような仕事をしよう。私自身は、少なからずそう思って研究してきたつもりだし、これからもそのつもりだ。私のように赤ちゃんを対象とする発達科学者の場合、当然ながら赤ちゃんがいなければ仕事にならない。赤ちゃんに養ってもらっているといっても過言ではない。いてくれるだけでありがたい。そして、子どもを育てることに携わっている人たちには、到底頭が上がらない。
だからこそ、研究成果を学術論文として発表すること以外に、何か私にできることはないだろうかといつも考えている。もちろん、全力で研究に取り組み、厳しい審査 (査読という) をくぐり抜けて論文を世界に送り出すことが、科学者としての最も重要な仕事であり責務だ。それでもなお、研究に協力してくれる多くの子どもたちや、その周囲にいる「育てる人たち」に対して、論文とは別のかたちで何かお返しができないか。
そんな折、集英社の吉田隆之介さんから本連載の打診をいただいた。決して筆が早い方ではないので正直最初は迷ったが、日頃の恩返しの機会をいただいたのだと考えなおし、こうして筆を執っている。
●発達科学者からのラブレター
本連載では、私自身が携わった研究を題材に、最新の「科学的知見」を紹介するだけでなく、その知見がどのように生まれてきたのか―つまり、研究の過程や「舞台裏」―も併せて伝えることで、発達科学の世界に読者のみなさんをご案内したい。発達科学の知見は、それ自体が面白いものも多い。「目を見て話すことが大事」と言われがちだが、実は赤ちゃんは生後1年のあいだに徐々に顔をみなくなること、赤ちゃんの手足が短いことには発達上の重要な利点があること、指差しやジェスチャーは幼い子どもの学習を後押しすることなど、専門知識がなくても、自分の経験に照らしながら楽しめる話題に事欠かない。
さらに、本連載ではもう一歩踏み込んで、どんな試行錯誤の末に科学的知見が得られたのかというエピソードも一緒に紹介する。そもそも、研究に協力してくれる赤ちゃんはいったいどこにいるのか、言葉を話さない赤ちゃんの知識をどうやって測るのか、赤ちゃん研究者同士が集まるといったいどんな会話が生まれるのか……。論文では語られない、研究の現場で巻き起こるさまざまなハプニングや泥臭い工夫、失敗や空振り、目から鱗の解決法など、「科学が生まれる過程」にもピントを合わせていく。
まるで副音声つきのドラマのように、「知見+裏話」のパッケージとして発達研究を紹介することで、発達科学が教科書や立派な先生から完成品として降ってくるものではなく、今を生きている子どもたちと、その周囲にいる大人たちの日々の生活のなかから立ち上がってくるものだと主張したい。発達科学が明らかにしてきた人間の新たな見方は、どこか遠いところからやってきたのではない。ごく身近でありふれた人々の (もしかしたらあなたの) 力添えのおかげで得られたものだ。本連載を通じて、日常が科学に貢献することに気づいてもらえたら嬉しいし、その事実を伝えることが、子どもたちや養育者・保育者・教育者に対して、科学者なりに感謝や敬意、愛を伝えることに繋がることを願っている。
●身近な科学だって面白い
そして、科学の営みを身近に感じてほしいという本連載の目論見は、子育てに直接関わっているかどうかに関わらず、広くさまざまな読者に宛てたものでもある。赤ちゃんや子どもが研究の対象ではあるが、発達科学の探究は、「人間をより深く理解したい」という知的欲求に根差している。身近すぎるがゆえに「わかったつもり」になりがちな人間という存在を、発達というレンズ越しにあえて少し距離をとって眺めてみる。そのなかで新たに見えてくる人間の一側面や、その発見の過程は、十分に知的好奇心を湧かせるに足るものだと思う。「宇宙」や「進化」のような広大無辺なテーマだけでなく、ごくありふれた日常のなかからも、豊かな知的ロマンは立ち上がるのだ。
赤ちゃんという、身近なのに得体が知れない存在を手がかりに、人間を科学する。発達科学の営みは、遠い大陸にバッタを探しに行くのでもなければ、動物の言葉がわかるという特殊能力を駆使するのでもない。そこにあるのはごくありふれた、ドタバタ日常劇だ。それでも、もしよかったら、発達科学者が送る日常と苦労、ときおり訪れる知的興奮といったよもやま話に、少しばかりお付き合いいただけたら幸いである。
(次回へつづく)
【文 献】
Frank, M. C. (2023). Bridging the data gap between children and large language models. Trends in Cognitive Sciences, S1364661323002036. https://doi.org/10.1016/j.tics.2023.08.007
Karmazyn-Raz, H., & Smith, L. B. (2023). Sampling statistics are like story creation: A network analysis of parent–toddler exploratory play. Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences,378(1870), 20210351. https://doi.org/10.1098/rstb.2021.0358
Clerkin, E. M., & Smith, L. B. (2022). Real-world statistics at two timescales and a mechanism for infant learning of object names. Proceedings of the National Academy of Sciences, 119(18), e2123239119. https://doi.org/10.1073/pnas.2123239119
ジャン・ピアジェ (田辺振太郎・島雄元 訳) (1950/1975).『発生的認識論序説 第1巻 数学思想』三省堂.
フジテレビ (2024).『海のはじまり』https://www.fujitv.co.jp/uminohajimari/

人間はいつ言葉を理解し、操れるようになるのか? そのメカニズムはまだ完全には解明されていない。「人間の発達」の謎を探求するべく、日々子どもと向き合う発達心理学者が、研究のドタバタ劇と科学のロマンを綴る。
プロフィール

HAGIHARA Hiromichi はぎはらひろみち 大阪大学大学院人間科学研究科講師。長崎県出身。専門は発達認知科学、発達心理学。博士 (人間・環境学) (京都大学、2021年)。公認心理師、作業療法士。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。東京大学特別研究員、Trinity College Dublin客員研究員、University of Warwick客員研究員などを経て現職。主著に『子どもとめぐることばの世界』(ミネルヴァ書房、2024年)、『〈京大発〉専門分野の越え方:対話から生まれる学際の探求』(共編著、ナカニシヤ出版、2023年) など。ボードゲーム型教材『DAIGAKU:いばら色のキャンパスライフ』(クリエイツかもがわ、2024年) の開発も。好物はトマト、ホタテ、ウニ。
https://babylab.hus.osaka-u.ac.jp/people


萩原広道 




大塚久美子×塚原龍雲

苫野一徳×岩内章太郎×稲垣みどり
