対談

戦後81年 あの夏の<父たち>を追う

対談 佐田尾信作×前田啓介
佐田尾信作×前田啓介

『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』の著者、佐田尾信作氏は、1957年生まれで海軍陸戦隊の元水兵を父に持つ。前田啓介氏は1981年生まれで、『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』、『戦中派 死の淵に立たされた青春とその後』などの著作がある。二回り年齢の違うおふたりそれぞれの視点で「戦中」を語っていただく。
本対談は2026年3月2日「浜町読書倶楽部vol.15」にて実施 。

構成/仲藤里美 撮影/徳山喜行

左から佐田尾氏、前田氏

「戦中派」の心理とは

前田 私は、祖母が広島県の江田島で育ったんです。また、昨年(2025)の1月には、戦艦大和の沈没から80年の節目ということもあり、大和の慰霊碑についての取材で呉にも行きましたし、広島という場所には勝手ながら非常に親しみを持っています。ですから今回、広島を拠点に取材を続けられている佐田尾さんと対談させていただくことになって、とても光栄で嬉しかったです。

 佐田尾さんの新刊『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』では、太平洋戦争末期、海軍の「陸戦隊」と陸軍の「暁部隊」に所属し、原爆投下直後の広島で救援作業にあたった若者たちについて書かれています。私も読ませていただきましたが、本当にたくさんの関係者に取材をされていますよね。今は、個人情報などの関係で昔よりも人を探すのがはるかに大変になっている時代です。私自身も戦争に行かれた方やそのご家族に話を聞こうとしても、なかなか目当ての人にたどり着かないという経験をよくしています。

 その中で、隊員当事者や遺族をはじめ関係者一人ひとりを根気強く取材されて、なおかつその後も広島や呉を案内するなど、深いお付き合いをされている。これは、取材相手と本当によい関係を築かれているからだろうなと感銘を受けました。特に、新聞記者は取材相手が多いせいか、取材後も相手と付き合いが続くということは難しいと思っていたので。

佐田尾 ありがとうございます。高名な司令官や参謀ではなく、誇るような戦果を挙げた人でもない人たちの存在が、「陸戦隊」「暁部隊」として歴史に刻まれることを願って書いた本です。

 前田さんは1981年のお生まれということで、私とちょうど年齢が二回り違うんですよね。その前田さんが、『戦中派 死の淵に立たされた青春とその後』(講談社現代新書)や『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』(集英社新書)と、「戦中派」をテーマにした本を書かれているのには、どんな思いがあるんでしょうか。

前田 ネット上でもよく「戦中派とは何か」みたいな議論を見るんですが、本の中でも書いたように、戦時中に生まれたら戦中派かといったらそんなことはないんですよね。私は、1917年生まれから1927年生まれまで、と定義しています。私の祖父は父方、母方とも1925年生まれ、そして『おかしゅうて〜』の主人公である映画監督・岡本喜八は1924年の生まれです。

 「戦中派」の人たちはどういう思いを持って戦中を生きて、長い戦後をどんな思いで生き抜いたんだろう。そう考えたとき、祖父はもうふたりとも亡くなっていて話を聞くことはできないけれど、同じ時代を生きた人に会ったり、その人を直接知る人の話を聞いたりして、思いをたどることはできないかと考えて調べ始めたのが最初です。

佐田尾 『戦中派』では、『戦艦大和ノ最期』を書いた作家の吉田満が出てきますね。それと、やはり作家で『フーコン戦記』の著者の古山高麗雄。このふたりの、戦後の生き方──というか考え方そのものがすごく対照的で興味深いと思いました。

前田 吉田満は戦中派の心情を描き続けた有名な作家ですが、一方で東大を出て日銀に入ってそこでも相応に出世をしたという「エリート」でもあるんですよね。本人もエリートとしての自負はあって、それゆえに「自分は戦中派を代表してるんだ」という思いがどこかにあったような気がします。

 対して古山高麗雄は、私は非常に好きな作家なんですが、今はそこまで有名ではないかもしれません。「戦中派が……」というよりは、自分がどう思うのか、個人としてどう感じたのかということのほうにこだわって書き続けた人です。吉田は戦中派について語る時、「我々は」と書くけれど、古山は書かないんですね。それは「我々は」という言葉を使わないということではなく、戦中派の心情を代表して語らないという意味です。人はどう思うかも自由、自分がどう感じ、語るかも自由、そう考えていたように思います。戦前の学生生活や価値観も、戦後のものの考え方、書き方も、おっしゃるとおりまったく異なるふたりなんです。それを対比させながら書いていったというところはあります。

佐田尾 あと『おかしゅうて……』のほうで面白いなと思ったのが、岡本監督の作品『江分利満氏の優雅な生活』のところ。主人公の独白部分をかなり長く引用しているでしょう。1912年の神宮球場での学生野球の様子を思い浮かべて「あのエネルギーはどこへ行ったんだろう、あの学生たちはどこへ行っちまったんだろう」と嘆いた後、唐突に鬼気迫る「絶唱」が始まる。「白髪の老人は許さんぞ、美しい言葉で若者たちを誘惑した奴は許さんぞ」。そして「神宮球場の若者の半数は死んでしまった」……。これは、原作の小説にもある場面なんですよね。

前田 あります。

佐田尾 前田さんは、どういう意図でこの場面を取り上げたんですか。

前田 もちろん映画は原作小説とまったく同じというわけではないので、岡本監督が映画にするにあたってどの部分を選んで使ったかということが、とても面白いと思ったんですね。そして、原作者である山口瞳も、この映画については非常に満足していたといわれています。山口も戦中派ですから、その戦中派の心理というものを岡本監督がうまく汲み取ったんじゃないでしょうか。そうした、ふたりの意識の中の重なる部分を意識しながら書いたつもりです。

「自分は何のために死ぬのか」を考え続けた人たち

前田 佐田尾さんが取り上げられている、陸軍船舶部隊の「暁部隊」なんですが、以前映画『仁義なき戦い』の脚本を書いた笠原和夫だったと思うのですが、著書の中で、「暁部隊というのは上に対して従順じゃない、兵隊らしくない人間を集めた部隊だった」と書いているのを読んだ記憶があるんです。今回、その本をもう一度探してみようとしてまだ探しきれていないんですが……。それで、先ほど話に出た『戦中派』の古山高麗雄の項に登場する、古山の親友の倉田博光という人がいるのですが、彼が実は暁部隊にいたそうなんですね。名門の家に生まれながらあちこちを転々として、満州に行ったりもしたような人なので、彼も「従順ではない」兵隊だったんだろうとは思います。佐田尾さん、そういう話は聞いたことはないですか。

佐田尾 うーん。海軍は志願制度ですけど、暁部隊は陸軍で徴兵制ですから、そういうこともあり得ますけど、本当のところは分からないですねえ。そもそも私が暁部隊について調べ始めたのは、「船舶特別幹部候補生隊(船舶特幹)」の存在がとっかかりなんです。第二次大戦末期、日本軍は下士官補充のために、まだ15〜20歳くらいの旧制中学在学中の生徒を一応は志願させるなどして「船舶特幹」をつくった。そして、彼らをまず香川県の小豆島に集めて訓練をさせた後、「マルレ」というモーターボートに爆雷を積んで敵艦に突入する水上特攻部隊に配属したわけです。おっしゃるような「従順ではない」兵隊は、その上官・教官だったということになりますけど、どうだったんでしょうね。

 ともかく、取材していて感じたのは生と死が紙一重のところにあるということでした。というのは、この船舶特幹には1期生から4期生までいたんですが、1期生と2期生はほぼ同い年なんです。学年は同じで、ただ入隊・入営の日が半年違っただけなんですね。ところが、1期生はマルレに乗せられて、多くがフィリピンや沖縄で戦死しているのに対して、2期生は内地にいる間に終戦を迎えたため、ほとんど戦死者は出ていない。本当に、紙一重だったんだなと思います。

前田 佐田尾さんのお父様も大戦末期に「特別陸戦隊」に入隊され、「地雷や爆雷を抱えて戦車に突っ込む」訓練をされていたそうですが、それはつまり自分が「死ぬ」ための訓練ということですよね。お父様は息子である佐田尾さんから見て、そういう経験をされていると感じるようなところはありましたか。

佐田尾 いや、それはなかったですね。軍隊の話も「嫌な上官の飯にわざとフケを落としてやった」なんていう、軍隊生活を茶化すような話ばかりでした。ただそれは、父の場合は軍隊生活が短かったからということもあると思います。本に出てくる八杉康夫さんのような分隊下士官クラスの人になると、おそらくまた違ったでしょうね。特に八杉さんは戦艦大和の生き残りでもあって、壮絶な経験をされている。お話を聞いていても、それが戦後の生き方にも反映されているんじゃないかと感じることがよくありました。

前田 あの戦争は1945年8月15日にひとまず終わったわけですが、それまで人々はいつ戦争が終わるか分からないまま戦争と向き合っていたわけですよね。つまり、佐田尾さんのお父様のように「死ぬ」ための訓練をしていた人たちというのは、一度は「自分はもうこれで死ぬんだ、終わりなんだ」と心に決めていたはずだと思うんです。

 おそらくは「自分は何のために死ぬんだろう」「いかに死ぬべきか」ということまで考えたでしょう。その人たちが戦後もう一度生き直さなくてはならなかったというのは、どれほどの困難だっただろうか、と思います。どうやって「生き直そう」と思い直したのか、それとももしかして思い直すことはできずに、「いかに死ぬか」という気持ちのまま生きていったのか……。そんなことを考えますね。

軍歴をたどる──日米の違い

前田 佐田尾さんは、戦争で亡くなられた方の遺族に数多く取材をされていますが、皆さん歓迎してくださるというか、進んで話をしてくださるんでしょうか。戦争体験の当事者は「機会があれば話したい」と思っていたかもしれないけれど、遺族になるともうあまり関心がなかったり、あえて話したくないと思っていたりする方もいらっしゃるのかなと思ったのですが。

佐田尾 今回の本の取材では、そういうことはなかったですね。所在が分からなくて話を聞けなかった人はいますが、取材をお願いした方に断られることはなかったです。

前田 それは、佐田尾さんのお父様も陸戦隊にいらしたということで、いわば関係者だということが、受け入れてもらいやすい理由の一つになったんでしょうか。

佐田尾 そうかもしれないですが、それも人それぞれなので、本当のところは分かりません。ただ、たくさんの遺族の方たちとお会いする中で、この人たちは多分、父親の従軍体験をたどりながら、自分の生きる拠り所を見つけているんじゃないかと思うことがよくありました。その熱意を、無理矢理「反戦」「反核」といったわかりやすい言葉に結びつけないように、というのは、書きながら意識していたところですね。

 そういえば、今回の本を出した後に、読者の方から「うちの父も陸戦隊員だったようです」「暁部隊にいたみたいなんです」といった連絡をいくつもいただきました。

前田 そういうときはどうされるんですか。

佐田尾 細かいところはよく分からないというケースがほとんどなので、まずは厚生労働省か都道府県に連絡して、ご本人の軍歴証明書を取ってください、とお話ししています。軍歴が手に入って、もしその読み解き方が分からなかったら代わりに読んでみますよ、ともお伝えして。

前田 私が『おかしゅうて、やがてかなしき』で映画監督の岡本喜八について調べていたときも、ご家族に軍歴証明書を取ってほしいとお願いしました。それで初めて「いつどの部隊に入ったのか」「いつどこに移動したのか」という、戦時中の岡本監督の細かい動きが日にち単位で、しかも公的な資料から分かったんです。ご家族でも、だいたいの動きは分かっていても、細かいところはご存じないことが多いんですよね。

 私の祖父の軍歴も今回取得しまして、それで祖父がいつどこで何をしていたのかとか、いろんなことが分かりました。やっぱり、意外と知らないことがあるんだなと思いましたね。

佐田尾 旧日本軍の軍歴は三親等以内の親族からの請求でないと公開しないことになっているので、それが壁になるんですよね。アメリカだと、軍歴はネットで調べたらある程度わかるそうです。

 著名人が自分の家族の歴史をたどる、NHKの『ファミリーヒストリー』という番組がありますが、そこに以前、俳優の草刈正雄さんが出演していました。彼のお父さんはアメリカ軍人で、ずっと「朝鮮戦争で戦死した」と聞かされていたんだけど、番組で調べたら実は死んでいなかった。他の女性と結婚して家庭を持っていたことがわかり……。『ファミリーヒストリー』で一番面白い回だと思いましたが、あれもそうやって軍歴を調べたんでしょうね。

前田 たしかにアメリカ軍のオープンさはすごいですよね。アメリカの軍人に取材するときには、退役軍人の団体に連絡して「こういう状況でこういう場所にいた人を探している」と問い合わせすると、ちゃんと探し出して教えてくれるんです。それも、お願いすると、ただ教えてくれるだけじゃなくて、生きてるか死んでるか、さらには話が聞けるか聞けないかまで確認して世話してくれる。最初は「こんなことまでしてくれるのか」と驚きました。

 日本も戦争に勝っていたらそうなっていたのかもしれませんが、「日本軍」という組織がもうないですからね。旧海軍と海上自衛隊の親睦組織として「水交会」や旧陸軍の「偕行社」がありますけど、先ほどの個人情報の関係もあり、なかなかアメリカと同じようにはいかないです。

会場からの質問

──おふたりとも旧日本軍の過去の戦争に関する著作を複数出版されていますが、今の時代に戦争体験について取材し続ける動機やエネルギーはどこにあるのでしょうか。

前田 やっぱり「知りたい」という思いがあるというのは大きいです。

 戦争体験については、残された資料がたくさんありますのでそれを読むだけでもさまざまなことが分かります。でも、まだ体験者の方がご存命でいる、さらにその人のことを直接知っている人がいる以上は、お目にかかり、そのお話を自分の耳で聞いてみたい。戦争の話をしているのに好奇心という言葉はふさわしくないかもしれませんが、そういう思いがあります。

 その上で、戦争とは何だったのか、昭和とはどんな時代だったのかということを、自分の手で描き出してみたい。そう思って執筆活動を続けています。

佐田尾 私は、たとえばですが終戦の日に玉音放送を聞く前、そして聞いた後に、当時の人たちがみんな何を考えたかということにとても興味があるんです。同じ玉音放送でもみんな、人によってそれぞれに受け止めが違うはずなんですよね。

 文学者であれば島尾敏雄などがそういう作品を書いています。私は、実際の証言や文献から、ある一つの時点に何が起こっていたのかを、群像劇的に描き出したい。そういう意欲が一番大きいと思います。

──戦争の歴史を語り継ぐということに対して、どんな思いで取り組まれていますか。

佐田尾 前田さんも先ほど「知りたい」という言葉を使われましたけれど、私も「真相を知りたい」という思いが強いです。たとえば、なぜ日本の終戦工作はうまくいかず、あれほどまでに終戦が遅れたのか、実はもっと遅れていたかもしれなかったとか、さまざまな歴史の「真相」を記者として知りたいという思いがある。そのために、さまざまな証言を集めたり文献を読んだりしているところですね。

前田 先の大戦では日本において、軍人・民間人あわせて310万人以上が亡くなったといわれています。これは、すごく深刻なことですよね。しかも、まだわずか80年前のことですから、「歴史」にもなりきっていないといえると思います。私たちは、直接体験者から話を聞いたりして、事実を知り得る立場にあるわけです。だったら知りたい、調べたいと思うんですね。

 しかも、日本は昔からずっと戦争だけをしていたわけではありません。日中戦争に入っていく直前、満州事変をきっかけに景気もよくなったし、文化的にも非常に豊かな時代でした。そういう時代があったのになぜそこから戦争になって、310万もの人が亡くならなくてはならなかったのか。昭和時代の日本とは何だったのか。そういうことを、軍事、政治、経済、映画、小説、詩、音楽などさまざまな角度から調べてみたいという思いで頑張っています。

関連書籍

陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う
おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像

プロフィール

佐田尾信作

(さたお しんさく)

1957年、島根県出雲市生まれ。ジャーナリスト。大阪市立大学文学部卒業。
広島を拠点に取材活動45年。現在は中国新聞客員編集委員、日本ペンクラブ会員、宮本常一記念館運営協議会委員。
著書に『陸戦隊と暁部隊 ヒロシマの秘史を追う』(集英社新書)
『宮本常一という世界』『風の人宮本常一』、共著に『われ、決起せず 聞書・カウラ捕虜暴動とハンセン病を生き抜いて』(いずれも、みずのわ出版)など。

前田啓介

(まえだ けいすけ)
1981年、滋賀県生まれ。文筆家、読売新聞記者。上智大学大学院修士課程修了。戦争を中心に昭和史に関わるテーマを幅広く調査、執筆。侍従武官坪島文雄の日記の発見(『侍従武官 坪島文雄日記』として中央公論新社から2025年8月に上巻が出版され、26年3月下旬には下巻が刊行される予定)にも関わるなど、一次資料の調査にも力を入れている。著書に『辻政信の真実 失踪60年──伝説の作戦参謀の謎を追う』(小学館新書)、『おかしゅうて、やがてかなしき──映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』(集英社新書)、『昭和の参謀』『戦中派──死の淵に立たされた青春とその後』(講談社現代新書)がある。

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