ところでずっと以前、韓国の外食産業の変化について、学術誌に小さな論文を寄稿したことがある。その時にいろいろ調べたところ、韓国に炸醤麺を持ち込んだのが山東省の華僑である一方、チャンポンはどうも日本経由らしいことがわかった。長崎チャンポンである。ただ両者は似て非なるもので、韓国のチャンポンは真っ赤な激辛海鮮麺である。
さて、そのチャンポン以上に視聴者にとって印象的なのは、「うずらの卵」だと思う。日本の関連ブログなどを見渡しても、この「うずらの卵の醤油煮」についての言及は多かった。韓国では伝統的な食事作法として、おかずは箸、ご飯と汁はスプーンで食べることは知られている。ところで童話作家コ・ムニョンは、このうずらの卵が箸で上手につかめない。それを見たガンテが、代わりにこれをとってご飯の上に載せてやるシーンがある。何気ないシーンだが韓国生活の経験者ならジーンとくる。
最近ではマナー違反とされるようだが、かつて韓国の人々は食事の時に少々「おせっかい」だった。美味しそうな料理があると、勝手にご飯の上に載せてくれるのだ。
「なんで直箸で…」と、外国人はキッとなったりもしたが、それが韓国人の愛情表現だった。そして、その愛情表現は、幼い頃から家庭生活で学んできたものだった。母親から、祖母から、そうやって愛されてきたのだ。
その意味で、私がもっとも好きなのは後半の第13話、兄サンテが童話作家にこのうずらの卵とお粥を食べさせるシーンだ。全体のストーリー展開ではなぜ童話作家が食事も喉を通らなくなるほどショックを受けたかが重要なのだが、私にとって(おそらく多くの視聴者にも)印象的だったのはサンテの方だった、一匙一匙、まるで母親が小さい子どもにするように語りかけ、食べさせていく。文字どおりの兄(オッパ)としての彼のふるまいに心を打たれた。このシーンはそんなサンテの成長を表すとともに、彼が母親から十分な愛情をもって育てられたことを伝えている。そして母亡きあとは弟のガンテがこの兄にそうしてきたのだろうことを。
一方で童話作家は? 彼女の食事シーンも、一つ一つ実に意味深い。特に最終回が近い15話、彼女が友人ジュリの母親にお粥を食べさせてもらうシーンがある。熱いものを冷まして食べることを知らない彼女に、「ふーふーして食べなきゃ」と語りかけるのは名優キム・ミギョン。前回この連載で紹介した『82年生まれ、キム・ジヨン』でも、主人公の母親役を演じた。『82年生まれ……』でも、彼女はお粥屋さんを営んでいるが、この『サイコだけで大丈夫』でも、彼女が作る「お粥」と「うずらの卵」がみんなの心の傷を癒やしていく。
韓国人は「こんにちは」という挨拶がわりに「ご飯を食べましたか?」と聞くことは、よく知られている。それほど彼らにとって「ご飯を食べること」は重要である。このドラマでも幾度となく繰り返されるセリフの一つは、「とにかく、ご飯を食べよう」。韓国の人々は何かを始めるとき、何かをリセットするとき、あるいは友だちが悲しそうにしている時などにも、「まずはご飯から」なのである。
韓国人のトラウマ ――親の抑圧と戦争の記憶
トラウマ治療は本作品の需要なテーマであるが、ここでは主人公3人のトラウマにはふれない。ドラマの本筋と大きく関係があるからだ。3人は相互に補完しあう形で治癒をしていくのだが、その際に周辺(ドラマでは脇役)の皆の役割も重要だ。その中でも先ほど紹介した「友人ジュリの母親」ともう1人、「OK病院」(原文では「ケンチャナヨ病院」)の院長は明確に治療する側である。
冒頭に記したたように院長はトラウマ治療の専門医であり、病院には様々な心の傷を抱える人々が入院している。交通事故で娘を亡くした人、夫からのDV被害者等々。その中でも韓国的だなと思うのは国会議員の息子のエピソードである。彼は兄弟の中で唯一の落ちこぼれで、歪んだ自己承認欲求が露出症となって現れている。父親の選挙遊説中にその息子がついに突撃していくシーンは、切なくも妙にスッキリする演出となっている。
「愛の不時着」「梨泰院クラス」「パラサイト」「82年生まれ、キム・ジヨン」など、多くの韓国カルチャーが人気を博している。ドラマ、映画、文学など、様々なカルチャーから見た、韓国のリアルな今を考察する。