徳光和夫の昭和プロレス夜話 第7夜

デストロイヤー、ブロディ…忘れじの外国人レスラー

徳光和夫
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 コントといえば、往年の『噂のチャンネル』。最後にデストおじさんの夜話を。

「たぶん、デストロイヤーは当時、私に対して数十秒間だけ本気で四の字固めを掛けていたんじゃないかと思っているんですよ」

 ピンポ~ン、はい、正解。1988年のインタビューで「トクミツには120%の力で絞り上げた」と証言しています。

「勘弁してくれよ(笑)」

 どんなもんなんですか、120%の四の字固めの痛さって?

「(頭を抱えながら)う~ん、どう言ったらいいんですかねえ。足の痛みが2か所あるんですね。その2か所の痛みがそれぞれ違うんですよ。まず、膝の内側の鋭痛。次にくるぶしの鈍痛。あとはもう、いろんな痛みがごっちゃになって脳天を突き抜けていく。いやもう、悲鳴しか出ないような痛み、それに尽きます。

 それで彼が足の力を抜いてくれると、ようやく何かしゃべれる状態になって、番組中だというのに“明日、父親参観日なんだぞ”とか“俺はギャラをもらってないんだ、日テレの社員なんだぞ、激痛手当てをよこせ”ってわめけたんです。当時は労働組合の活動をしていて、社に夜勤手当ての要求だとか叫んでいましたから、咄嗟に激痛手当てという言葉が出てきたんじゃないですかね(笑)。彼とはプロレス会場でもちょくちょく話をしていましたが、あの番組からですね、グッと親密になったのは」

 デストおじさんの四の字固めは、寝かした相手の足を取って、自身をクルリと反転させながら入っていましたよね。

スピニング・トーホールドの体勢から四の字固めに入るのはデストおじさんのオリジナル。さらば、永遠の四の字固め! 写真/宮本厚二

 

「そうそう。彼曰く、そうやって回転させながら入ると、観客により強く足を絞り上げているイメージを植え付けられるから、そうしているんだと言っていました。それまでも多くのレスラーが四の字固めを使っていたようですが、みんなグラウンドの状態でパッと技を仕掛けていたようで。スタンディングで足を取り、回転しながら技に入るのは彼のオリジナルですね」

 デストおじさん、素晴らしいレスラーでしたね。

「ええ、ええ、素晴らしかった。アメリカ人にしては足が短かったですけど、鍛え上げられた上半身、受け身も上手かったし、耐久力、持久力にも優れていました。顔はオバケのQ太郎みたいな顔でしたが(笑)」

 今頃は天国で馬場さんに四の字固めを仕掛けているかもしれませんね。

「120%の力でね(笑)」

 では、そろそろ夜も更けてきましたので。

「ああ、はい。今宵も楽しかった」

 また、いつか、どこかで。

「ええ、はい、幾度目かの新月の夜にでもお会いしましょう」

 

(おしまい)

 

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 第6夜

プロフィール

徳光和夫

1941年、東京都生まれ。立教大学卒業後、1963年に日本テレビ入社。熱狂的な長嶋茂雄ファンのためプロ野球中継を希望するも叶わず、プロレス担当に。この時に、当時、日本プロレスのエースだった馬場・猪木と親交を持つ。

 

 
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