親も子供に気張りすぎるから、無理や歪みを生じてしまう
今、石坂さんのピンの在り処というか、発見するだけでも心の持ちようが違うという話を聞いて思ったんですけど。
「はい」
これも17年前に〝乳母車とピン〟の話を聞いてから、常に疑問に思っていることなんですが。
「はい、はい」
この国の政治家のみなさんは、国民が抱えているピンの在り処が見えているんですかね。
「見えていないんじゃないですか」
やっぱりねえ。
「だって、彼らが一番気にしているのは、自分の中のピンだけですもの」
そうですよね。
「自分が一番大切だと思っている人たちが多いですからね。その次が政党かな。で、そのまた次が自分の所属している派閥だと思います。そのずっとずっと先の有権者の心に刺さっているピンなんか見えていませんよ」
たははは。
「派閥の中に自分に関係しそうな問題? ピンを見つけたりすると躍起になって汗をかきかき抜き取る作業に邁進しますが、明日の生活に不安を抱えている母子家庭のピンのことなんか知ったこっちゃないと思います」
でも、選挙の街頭演説などでは「あなたがたの心のピン(明日の生活の不安)を取り除くように頑張ります。なので、清き一票を私に!」と吠えまくるじゃないですか。
「それはだから、あの人たちが選挙で落ちたら〝ただの人〟になってしまうことを痛いほどわかっているからです。ただの人なのに、ただの人じゃないと思い込みたいがために、見ず知らずの他人のピンまでも取り除けると平然と言ってしまえる。そんなの、驕りですよ。というか、ただの人でいいじゃないですか。人というのは互いに、ただの人だと認識できるからこそ、対等でいられるんであって。そこが理解できていないんですよね。そこがわかっていないから、自分→政党→派閥のずっと先にある我々のピンも見えないし、口では見えるといっても、それは相当にズレたものになる」
最近はとくに、経済面も含め、政府と国民の意識に相当なズレがあると指摘されていますが、その原因のひとつはソコでしょうね。
「だと思います。政治は変わらないといけないんですよ」
いやはや、落ちたら、ただの人かあ。そうなんだよなあ、あの人たちって特技もなさそうだし。
「まあ、私もあなたも、ただの人。ただの人だと認識できているから、私は誰とでも対等でいられる。それこそ親もただの人ですし、社長も部長もただの人。例えば、親の経験則がないのに子供が生まれたからといって、ヘンに気張る親御さんがいますが、そんなふうに気構えてしまうと、どこかに無理や歪みを生じてしまう。そうではなく、赤ちゃんも親もただの人なんだからと生きていければ、昨日の自分よりも自然体で日常を紡げるだろうし、江戸時代のように無意識のうちに、ササッと心のピンを抜いたりできると思うんですよね」
プロフィール
佐々木徹(ささき・とおる)
ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。