遺魂伝 第1回 石坂浩二

政治家も俳優も、みんな突き詰めれば「ただの人」なんですよ。

佐々木徹

人間は問題を勝手に巨大化させ、自分を追い込んでしまう

「アランの話ですね、ええ、ええ、その取材、覚えています。なにせ『週刊ポスト』に限らず、そのようなテーマで取材を受ける際は、だいたいアランの話をしていますから」

初めて『幸福論』を読んだのは?

「高校生だったんじゃないかな……。白水社で出版されたものだったと思います。ええ、ですね、高校生の時です」

あの〝乳母車とピン〟の話、あれからずっと頭の中に残っていて。

「普遍的な話ですし、言い得て妙ですよね。どの時代においても、人間は得体の知れない不安を抱え込んでしまうもの。そんな状況の時に、なるべく早く、その不安の芽を摘んでしまえば、明日の自分はちょっとだけ幸せになれるんじゃないかというね。その積み重ねがきっと、自分なりの心の平和? 幸福に近づける近道なのではないかと示唆している話だと思うんですよ。要するに、毎日を豊かに生きるための心構えですね。そういう心構えを持てるかどうかで、明日の自分の生き方が変わっていくのではないですかねえ。ただ、こういう話をすると、みなさん、明日の不安を取り除くことって、えらい作業に思っているみたいで。だけど、違うんです。思うに……そうだなあ、思うに不安の芽、アランの『幸福論』でいうところの〝ピン〟は、それほどたいしたことない問題だったりするんですよ(笑)」

そうだと思います。今日のうちに、衣替えしとかなきゃみたいな。

「そうそう(笑)。今日中に税金の支払いを済ませておこうとか。でも、人間は結局、やらなければいけないことをやっておかないと、そのうちたいしたことのない問題でも、勝手に巨大化させ、妄想を膨らませたりして、にっちもさっちもいかなくなるくらい自分を追い込んでしまう傾向にある。今日の時点では小さな問題、すぐに処理できる問題でも、3日経ち、一週間経ち、一か月過ぎた頃になると、驚くほどに問題が大きくなり、自分の手には負えない事態を招いてしまうこともあったりするじゃないですか。そうなると、不幸でしょう?」

泣きたくなります。

「そうなる前に、ピンを取り除けばいいのでは?とひとりひとりの心に訴えているのがアランの言葉だと思います。本当にありますものね、今日はどうしてこんなに自分はイライラしているんだろうと不快になること。そのイライラした気分の時はまだ、小さな問題が内包されているだけ。少し努力をすれば取り除けて、明日はその分、快適に生活することができる。逆に、ほっておくと、イライラは増し、不幸のスパイラルに飲み込まれることにもなりかねない。だから、やらなければいけないことは、その日のうちにパパッとやっちゃえばいいんですって(笑)」

ちなみに、石坂さんは具体的にどんな小さなピンが刺さったりするのでありますか。

「若い頃の話になりますが、やっぱり演技のことで憂鬱になったりしましたね。だって、昔の映画界は、ほとんどの監督さんがリハーサルをしませんでしたから。いきなり現場で、このシーンの本番を撮ろうと言い出したりする。急にそう指示されてもねえ、演じる側はたまったもんじゃない。それこそ撮影初日の前日は、リハーサルしなくて大丈夫だろうか、共演者との息は合うだろうかと小さいピンが刺さりまくり(笑)。だから、そのピンを抜くために前日の夜にどんなシーンの本番を求められてもいいように、台本を読みながら、こんなセリフ回しでよいのだろうか、相手がこう動くはず、だったら自分はこのように動こうと自問自答を繰り返し、実際に動いてもみて、ひとつひとつピンを取り除き、明日に備えていましたよね。そうやって、今までもなんとかやってきたじゃないかと自分を慰める作業を行っているうちに、なんとかまあ、何本かのピンが抜け、ようやく寝られるということですね(笑)」

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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政治家も俳優も、みんな突き詰めれば「ただの人」なんですよ。