ガザの声を聴け! 第34回

マジドとアマル――ガザの希望と絶望 後編

清田明宏
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アマルさんとマジドさんに「日本に行ってどうだった?」と聞いてみた。

二人は口を揃え、本当に良かった、今まで生きてきた中で一番良い出来事だったと話していた。何がそんなに良かったのかと聞くと、良い指導者(英語でmentor)に会った事だ、と強調した。ガザでは、何でも自分で考え、自分でやらねばならず、困った時に相談する相手はいなかった。日本では、きちんと指導者がつき、いろいろ教えてくれた。技術的な指導が多かったが、ものの考え方という基本的な姿勢の指導もあった。とても勉強になったと、二人は言った。

各自の試行錯誤はもちろん重要だが、ピンポイントで適切なアドバイスをしてくれる指導者の存在はとても大きい。特にガザの若者のように、国外に出ることが非常に難しい場合はそうだ。世界から情報が隔絶されている可能性がある。ただ、そのような指導者の確保は簡単ではない。指導者がいたとしても、ガザには中々行けない。ガザが置かれている特殊な政治・社会的状況を理解しなければ、きちんとした指導ができない。

こうした意味でも、アマルさんやマジドさんが日本に行った意味は大きいのだ。コンテストの試みは、今後ガザの若者を支援する際のとても有効なアプローチだ。いまや地球は狭い。世界はネットで繋がっている。浮かんだ質問をすぐ日本に送ることができる。そして日本から返答がくる。このネットワークが広がれば、ガザの人の支援もできる、彼らの夢も実現できる。

他に日本で良かった事があるか、と聞くと、アマルさんがもう一つあげた。

アマルさんは「私は日本人の計画の立て方にとても感動した。ガザとは全く違っていた」と話す。

日本人は長期的な見通しをたて、目的を設定し、それをどう達成するか、過程を考えることに慣れている。 もちろん、ガザの人も計画は立てるが、日本のように長期的なビジョンがない。どことなくいい加減なのだ。しかし、それには背景がある。

日本人が先々の計画を立てられるのには、日本に「将来」があるからだ。将来がきちんと見えるからこそ、希望があり、将来に向かって計画を立てられる。

ガザには将来がない。先のことは全くわからないからだ。

しかし、アマルさんのその言葉に、マジドさんが反論した。

「確かに、日本の生活は安定していて素晴らしい。生活しやすい。でも、私には合わない。全てがものすごく簡単(super-easy)すぎる。ガザでは全てが困難(challenging)だけれど、その分、やりがいがある」

アマルさんがそれに反論する 。

「そうはいっても、ガザの状況は日本に行った去年(2017年)の3月より確実に悪くなっている。不確定要素が多すぎる。私たちが全くコントロールできないガザ全体の状況で、全てが決まってしまう。そして、政治状況も悪い」

アマルさんが最近のガザの政治状況を説明してくれた。

「この前、うちの近くでガザの政治関係者が集まる会議があった。重要人物が来るためか、警戒がものすごい。うちを出て仕事場に行こうとすると、ものすごい数の警官・警備関係者がいた。女性の警備関係者に止められて、私のカバンの中を調べると言われた。

毎日通勤で歩いている道なので、なぜ調べるのか、と頭にきた。そう言うと、警備関係者は、そういう決まりだと言う。私はこの近くに住んでいて毎日ここを通る。荷物を調べられる筋合いはない、と強く言い返すと、向こうも怒り、とても高圧的で受け入れられないような言い方をして来た。こちらもますます頭にきて言い返した。今度は警備関係者が大量に集まってきた。最後には荷物をとられ強制的に調べられた。本当に頭にきた」

ガザで警備関係者と口論する? 冗談ではなく、それには大きな危険を伴う可能性がある。

そして、アマルさんが話を続ける。

「友人知人とよく集まって話をする。その時に必ず出る話題が、どうやってガザを出るかだ。それは全ての人に共通する話題だ。皆、知り合いの中に必ず一人はガザを出て行った人がいる。トルコに行ったり、エジプトに行ったり、ヨーロッパに行ったり。ガザを出る必要があるのか、という話はもうしない。どうやって出るか、その具体的な話になる」

そこでマジドさんが、声を上げる。

「ガザを出るということは、逃げるということだ。そんなこと、私は認めない。ガザを良くしていく、出来ることをしながら、ガザを良くしていくことが必要だ」

アマルさんは、すかさず反論する。

「私も外に逃げることをいいとは思わない。それを信じているわけではない。しかし……」

アマルさんはそこで声の調子を落とし、非常にゆっくりと、とても驚くことを言った。

 

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ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
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マジドとアマル――ガザの希望と絶望 後編

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