ウイッカの信仰――自然界に息づく神性と死生観
現代魔女たちが信仰の中心に据えているものを一言で表すならば、それは「生命力」である。生まれたものは必ず死を迎え、そして再び生まれ変わるという円環的な世界観の中で、彼らは生きている。
魔女たちは輪廻転生を信じている。これ自体は、日本に住む私たちにとって特段珍しいものではないだろう。しかし、彼女たちの転生観は、東洋の輪廻転生とは異なる特徴を持っている。前世の行いによって今世や来世が決定されるといったカルマのような考えは、ほとんど強調されることがない。
この死生観の源流は、ケルト文化にまで遡ることができる。ローマ時代の記録によれば、ケルトのドルイドたちは輪廻転生を信じており、死を恐れる必要はないと考えていたと伝えられている。
ウイッカでは、ケルトの死生観をさらに発展させ、死と愛を結びつけて解釈する。最も真摯に愛し合った者たちは、同じ時と場所に生まれ変わり、再び出会うことができると考えられている。魔女たちが祝う8つのサバトの中でも大サバトと呼ばれるソーウィン(10月31日)は、この世とあの世のベール、つまり境界が最も薄くなる時期とされる。この季節には、生者と死者が再会できると信じられており、先立った愛する者たちを偲び、交流する機会となる。
ウイッカの死生観は、罰や浄化といった要素よりも、愛と再会の可能性に重きを置く、極めて楽観的な性格を持っている。それは現世における生命の営みを祝福し、死を終わりではなく新たな始まりとして捉える世界観を形作っているのである。
ウイッカの信仰の中心には、偉大な女神とその配偶者である角のある男神という、対となる二柱の神々が存在する。ウイッカはもともと豊穣の宗教であり、二元性と両極性を重視していた。ここでいう両極性とは、二柱の神々、光と闇、太陽と月、種まきと収穫、生と死といった対をなす力の関係であり、それらは互いに対立しながらも補い合い、絶えず循環するエネルギーを象徴している。こうした関係性は、東洋思想の陰陽のように、満ち引きや生成と消滅など、自然界のリズムと変化を表すものでもある。
とりわけクラフトを理解するうえで、女神は重要な概念である。
今日、魔女やペイガンたちに崇拝されている女神は、さまざまな姿で語られている。しかし、それらは実は一つの女神が持つ多様な側面を表している。
女神は多くの魔女たちの信仰の中心であり、それはウイッカの中で最も重要な文書の一つ「女神のチャージ(The Charge of the Goddess)」の中でも表現されている。この文章は、月神降臨の儀式の中で読まれる場合と、イニシエートした新規参入者に向けて読まれる場合に使用されてきた。
なお、「女神のチャージ」には複数のバージョンが存在しており、現在有名なのはドリーン・ヴァリアンテとスターホークのものである。
「女神チャージ」は、リーランドの『アラディア、あるいは魔女の福音』からの引用、アレイスター・クロウリーなど、さまざな影響を受け執筆されているが、それぞれの魔女は自分たちが使いやすいように広く流通しているバージョンを儀式で使いやすい形に多少改変を加え、使用している。
以下は、筆者が訳したドリーン・ヴァリアンテ版の「女神のチャージ」の引用である。
女神のチャージ(ドリーン・ヴァリアンテ版)
第一部 人との繋がり、女神への導入(関係性、共同体、大地)
大いなる母の言葉に耳を傾けなさい。かつてアルテミス、アスタルテ、ディアナ、メリュジーヌ、アフロディーテ、ケリドウェン、ダヌ、アリアンロッド、イシス、ブライド、その他多くの名で呼ばれてきた。
あなたが必要とする時はいつでも、月に一度、できれば満月の時に。秘密の場所に集い、すべての魔女の女王である私の霊を崇めなさい。
そこに集いなさい、あらゆる妖術を学びたいと願いながら、まだその最も深い秘密を得ていない者たちよ。私がまだ知られていないことを教えよう。
あなたは隷属から解放される。真に自由である証として、儀式において裸となり、踊り、歌い、饗宴し、音楽を奏で、愛し合いなさい。すべては私への賛美のために。
なぜなら、霊の恍惚は私のものであり、地上の喜びもまた私のものであるから。
私の掟はすべての存在への愛なのだから。
第二部 大地、祖先、生と死、生命の循環
あなたの最高の理想を清らかに保ちなさい。常にそれに向かって努め、何ものにも止められず、脇道にそれることなく。
私のものこそ、若さの地へと開かれる秘密の扉。私のものこそ、生命の葡萄酒の杯、不死の聖杯であるケリドウェンの大釜。
私は慈悲深い女神、心に喜びの賜物を与える者。地上において、私は永遠なる霊の知識を授け、死を超えて、平和と自由と、先立った者たちとの再会を与える。
私は犠牲を求めはしない。
見よ、私はすべての生けるものの母であり、私の愛は大地に注がれているのだから。
星の女神の言葉を聞くがよい。
その足元の塵は天の軍勢、その体は宇宙を包み込む。緑なる大地の美、星々の間の白い月、水の神秘、心の望みである私が、あなたの魂に呼びかける。立ち上がり、私のもとへ来なさい。
第三部 霊、神聖なる自己、歓び
私は自然の魂、宇宙に生命を与える者。万物は私から生まれ、私のもとへ帰らねばならない。神々と人間に愛された者よ、私の面前で、あなたの最も内なる神聖な自己は、無限の喜びの歓喜のうちに包み込まれるであろう。
私への崇拝を喜びの心のうちに留めなさい。
見よ、愛と悦びのすべての行為は私の儀式なのだから。ゆえに、あなたの内に美と力、権能と慈悲、名誉と謙遜、歓喜と畏敬があるように。
そして私を求めようと思う者よ、この神秘を知らない限り、あなたの探求と憧憬は無益であることを知りなさい。あなたが求めるものをあなたの内に見出せないならば、決して外にそれを見出すことはないであろう。
見よ、私は始まりからあなたと共にあった。私は欲望の果てに到達されるものである。
神学と神性の多様な理解
英国伝統派ウイッカで重視される男神と女神の両極性については、現代の魔女たちからはさまざまな解釈がなされている。
たとえばアメリカ西海岸で発展したダイアナ派は、女神のみを崇拝の対象とし、基本的には女性中心のコミュニティを形成してきた歴史がある(現在は男性の司祭も一部いるそうだ)。この流派には多くのレズビアンの女性が参加しており、男神女神の二柱の両極性は重視されない。また、女神運動の実践者においては、女神を一神教的に捉える場合がある。これは女神を創造の源泉として位置づける世界観である。
魔女たちはある時は神々を個別の人格を持つ存在として理解する一方で、「女神のチャージ」にあるようにすべての神々を単一の女神の異なる側面として捉える見方も同時に存在する。これは多神教的な世界観と一神教的な世界観を巧みに調和させる試みとして、ウイッカの神学的基盤の一つとなっている。
この考えにおいては、女神から生まれた男神もまた女神の一側面として理解される。
「すべての女神は一つの女神」という考え方は、「すべての神々は一なる神であり、すべての女神たちは一なる女神であり、そして一人のイニシエーターが存在する」というダイアン・フォーチュンの代表的な一節によってペイガンたちの世界にもたらされたと考えられている。
また、神性は必ずしも人格化された形でのみ現れるのではなく、自然界の様々な現象——花や虫、石、あるいは混沌そのもの——として顕現するとも考えられている。四元素の理解についても同様の多様性が見られる。
外界に存在する精霊として四元素を捉える魔女たちがいる一方で、人間の身体に内在する事象として——血液の循環や呼吸のように——理解する者たちも存在する。だから、魔女たちは儀式で自分の体の中の四元素も喚起する。この四元素の考え方が西洋儀式魔術と大きく異なっている。
「女神は私である」という言葉に代表されるような内在的な神性の理解は、現代の魔女たちの特徴の一つと言えるだろう。ただし、これも絶対的なものではなく、超越性と内在性の両方を重視する魔女たちも存在する。現代の魔女たちの実践は多様で有機的であるため、単一の教義や解釈に収斂することはできないのである。ただし、全体的な傾向として、西洋儀式魔術の伝統と比較した場合、内在性がより強調される傾向にある。
女神―変容する存在
女神は月の満ち欠けのように、処女、母、老婆という三つの姿を持つ。これは生命の誕生、成長、衰退、そして死と再生の循環——自然界のリズムそのものを象徴している。新月は純粋さと新しい可能性を、満月は女神の慈愛と包容力を、そして欠けゆく月は知恵と静寂を象徴する。
女神は多くの異なる名前で知られている。アラディア、アリアンロッド、ケリドウェン、ブリジッド、ディアナ、ヘカテ、イナンナ、スターゴッデス。森を歩けば木々のざわめきに、海辺を歩けば寄せては返す波の音に、夜空を見上げれば月の輝きに、魔女たちは女神の存在を見出す。女神は地球や大地、星と解釈され、大地母神、グレートマザーなどと呼ばれる場合もある。これは生命を生み出す母や、死者が帰っていく大地の比喩である。
また、世界各地の神話や民話には、女神が殺された死骸、あるいは排泄物から穀物・食物・財宝などが生まれる神話が数多く存在する。この、ハイヌウェレ神話は農耕起源神話とも呼ばれ、日本神話ではオオゲツヒメの物語がこれにあたる。
ウイッカの世界観では女神が自然の森羅万象に内在する点が強調されがちではあるが、歴史的に見れば、女神たちは必ずしも自然のみと結びついていたわけではない。
古代世界において女神たちは、都市の守護者であり、正義の執行者であり、戦いの指導者であり、工芸や学問の庇護者でもあった。アテナは知恵と戦略の女神であり、イシュタルは都市と戦いの女神、セクメトはエジプトの戦いの女神であった。アルテミスは出産の女神であると同時に狩猟の女神でもある。彼女たちは文明と技術の体現者としても崇拝されていた。
女神というと、母性的で善なる慈悲深い存在を真っ先に思い浮かべる人も多いかもしれない。しかし、たとえばインドのヒンドゥー教におけるカーリーは創造と破壊の女神であり、その姿は首飾りとして人間の頭蓋骨をまとい、片手に血滴る刀を持つ。彼女は慈愛と同時に、激しい怒りと破壊の力を併せ持つ存在である。
古来より女神たちは、文明と技術の体現者として、また時として恐るべき力の持ち主として崇拝されてきた。しかし女神のイメージが大きく変容したのは19世紀以降、特にロマン主義の影響下でのことだ。産業革命と都市化の進展によって失われゆく自然への憧憬と結びつき、女神は次第に「母なる大地」「自然の化身」としての側面を強調されるようになり、後の現代の魔女たちの女神観にも大きな影響を与えた。
しかし、女神を単に「自然の化身」として捉えることは、その複雑な性質を単純化してしまう。現代の魔女たちの中には、女神の多面的な性質を包括的に理解しようとする動きや、より現代的に解釈する者も多く存在し、さまざまなワークが行われている。
女神は決して単一の固定された概念ではない。むしろ、時代背景や文化的土壌、そして実践者個人の信仰や願望に深く根ざしながら、絶えず多様な形で顕現し、変化し続けてきた存在なのである。
男神―角を持つ野生の神
現代魔女文化における男神は、一神教世界の父なる神とは異なる存在として理解されている。音楽を好み、遊び好きで、好色で陽気な存在として描かれる彼は、女神の子供であると同時に配偶者でもある。女神と男神、この二柱の神は、自然界のあらゆるものに宿る神性の象徴であり、ウイッカの魔女たちの信仰の中核を成している。
男神は「角を持つ神」、すなわちホーンド・ゴッド(有角神)として表現されることが多い。その姿は、パン、ヘルネ、ケルヌンノス、カルナイナなど様々な名で呼ばれ、時には緑色の葉に顔を覆われたグリーンマンとして現れることもある。
特にパン神への関心の高まりは、19世紀のロマン主義の詩人たちの間で劇的に起こったとされている。ロマン主義運動において、パンは女性の秘められた欲望や社会規範からはみ出た欲望、さらには同性愛とも結びつけられていた。産業化と都市化によって失われゆく自然との絆への深い渇望が、パン神を呼び覚ましたのだろう。
狩猟、森、野生動物を司るパンは、自然界との原始的な結びつきを象徴している。彼の蹄は大地との直接的な接触を表すと同時に、太陽をも象徴する。力強さ、生命の創造性、そして死をも司る存在なのである。
角を持つ神は「死ぬ神」とも考えられている。狩猟によって動物の命を奪う行為は生命の循環の一部であり、死は新たな生命へと繋がる。太陽の光が植物を育て、動物たちに命を与え、私たちの生活を照らすように、太陽が沈んでもまた昇るように、死んでも繰り返し復活する男神は、こうした生命力の源泉を体現している。
現代社会において失われつつある野生との繋がり、文明化された生活の中で抑圧された動物的な力を、男神は体現し続けているのである。
魔女の信条―何人にも害を及ぼさないならば、汝の望むことをなせ
魔女の倫理として広く知られる「ウイッカン・リード」は、魔女の信条とも呼ばれる。
いくつかのバージョンが存在するが、最も重要な部分がこの一文である。
「何ものにも害を及ぼさないならば、汝の望むことをなせ」
一見シンプルで自由主義的に聞こえる言葉だが、深い責任と熟慮を伴う。重要なのは「害」の定義だ。ウイッカにおいて、害とは物理的な危害だけでなく、呪いなども含まれる。自分の行動が他者や環境に不合理な害を及ぼす可能性があるならば、ウイッカの世界では避けるべきだとされる。
ウイッカンの関心は、人間だけでなく動物・植物・霊・先祖・環境といった人間以外の存在にも向けられている。こうした姿勢は、人間を特別視し他の生命を劣位に置く人間例外主義への疑問にもつながっており、多くの魔女は共生を重視し、環境問題や生態系保護に少なからず関心を抱いている。
またウイッカの魔女たちは、基本的に呪いは行わないのだが、それもこの一文に由来する。
「汝の望むことをなせ」は自分の魂の欲望に従って行動することを促す言葉であり、欲望を仏教のように執着として切り捨てることはしない。魔女の世界では欲望を非常に重要なものと捉えていることがわかる。
現代魔女術の世界にはドグマや戒律のようなものはほとんどないが、この簡潔な一文の中に、周りの世界に対する責任、他者への配慮、調和、そして欲望を大切にすることといった、ウイッカの倫理観が凝縮されている。これは教条的な戒律ではなく、個々の魔女が状況に応じて判断し、適用すべき指針であるとされている。
以下の「ウイッカン・リード」は、1975年の『グリーン・エッグ』誌(第3巻・第69号)の春分特集号に掲載されたロング・リードと呼ばれるものである。レディ・グウェン・トンプソンによって発表されたが、彼女はこの詩を祖母から受け継いだと主張している。この由来には疑問があるが、それでもなお、重要なウイッカのテキストとして読み継がれている。
以下は、「ウイッカン・リード」のテキストである。
ウイッカン・リード
魔女の法に則り、完全なる愛と完全なる信頼をもって
生き、生かせよ。公正に受け取り、公正に与えよ
円を三度描き、悪しき霊を退けよ
呪文を唱えるたび、韻を踏む言葉で紡げ
柔らかな眼差しと、軽やかなる指先で。多くを聞き、少しを語れ
月の満ちるに従い、右回りに進み、魔女のルーンを歌い、そして踊れ
月の欠けるに従い、左回りに進み、狼男が恐ろしいトリカブトのそばで吠える時
女神の月が新たに生まれる時、二度、その手に口づけを
月が頂点に輝く時、汝の心の望みを探し求めよ
北風の強き嵐に心せよ。戸を閉ざし、帆を下ろせ
風が南から吹く時、愛が汝の唇に口づけを授けるだろう
風が西から吹く時、去りし魂は安らぎを得られぬ
風が東から吹く時、新たなものを予期し、宴を設けよ
九種の木々を大釜にくべよ、速やかに、そして緩やかに燃やし尽くせ
ニワトコは女神の木、燃やすべからず、さもなくば呪われん
季節の輪が巡り始める時、ベルテインの炎を燃やせ
輪がユールに辿り着く時、薪に火を灯し、角ある者が支配する
花、灌木、そして木々に気を配れ。女神の祝福あれ
さざ波の立つ水の流れに、石を投げ込めば、真実を知るだろう
真の必要に迫られた時、他者の貪欲に耳を傾けるべからず
愚者と共に時間を過ごすべからず、さもなくば汝も愚者と見なされるだろう
喜びのうちに会い、喜びのうちに別れよ。明るい頬と温かい心
三倍の法則を心に留めよ。悪しきことも善きことも、三倍
不幸に見舞われた時、汝の額に青い星を飾れ
汝の愛する者が偽りをもたらさぬ限り、汝も愛に誠実であれ
八つの言葉が魔女の信条を満たす
汝、何ものにも害をなさないならば、汝の望むことをなせ
影の書―実践の継承
影の書は、ウイッカの伝統と実践を伝える書物だ。儀式・呪文・信仰体系・伝統などが記され、実践を弟子へ伝えるための私的かつ秘伝的な文書である。
ウイッカの教えは口伝で伝えられ、それぞれのカヴンにおいてそれらをまとめた独自の書物を作り、保管してきた歴史がある。
影の書には、儀式の適切な準備方法、サバト、新月/満月の儀式(エスバト)、儀式の後に共有する食物と飲み物、道具の聖別、魔術の実践の方法、イニシエーションの方法、神々への祈りのための言葉など、多くの情報が記載されている。新しい入門者は影の書を受け取り、それを自分の手で書き写す。それぞれが独自の影の書を持ち、そこに新たな儀式や呪文、瞑想法などを追加していくことができる。
現在広く知られている形の「影の書」の完成には、ドリーン・ヴァリアンテの貢献が決定的に重要であった。儀式魔術の伝統やクロウリーの著作、グリモワール、民間伝承を引用し、基礎的な枠組みを作ったのはガードナーであったが、1950年代半ばに、ヴァリアンテは大幅な改訂を行った。彼女はクロウリーの悪名高い評判が新しい宗教の信頼性を損なう可能性があると懸念し、カヴンのメンバーたちの要望に応じてクロウリーからの直接的な引用を削り、詩的で美しい文体に書き換えた。彼女が改訂した『女神のチャージ』も、前述の通り現代のウイッカにおいて最も重要な典礼の一つとなっている。
影の書はもともと公開されることを想定していなかったが、1964年にはチャールズ・カーデルによってガードナー派の影の書がガードナーの意思に反して流出した。1971年にレディ・シバによって影の書が出版された際、ヴァリアンテは、公開された版に古いバージョンの内容が含まれていることを批判した。影の書はガードナー、ヴァリアンテを含むカヴンの魔女たちの実践の中で有機的に編まれた秘密の文書だったため、この出版に不満を感じたのだろう。
このような内部資料流出という出来事がウイッカコミュニティ内で実践の情報共有の仕方を再考するきっかけとなり、実践者たちの意識に変化をもたらした。1970年代にウイッカの知識は秘められたものではなくなり、司祭たちが本を執筆し、出版によって広まり始めたのである。アレクサンダー派のジャネット&スチュワート・ファラー夫妻は、ドリーン・ヴァリエンテの協力を得て、ウイッカの内部文書を体系的に分析、研究し、出版した。ヴァリアンテも個人で実践をするソロ魔女向けに本を出版していった。出版によってウイッカの実践や思想は公になり、より多くの人々が書籍によってアクセス可能なものとなっていった。
サバト―季節の車輪を祝う
サバトという言葉は、元々ユダヤ教の安息日を意味する言葉であった。
魔女迫害の時代、反ユダヤ主義と結びつく中で、異端審問官たちは魔女たちの集会を「サバト」と呼んだ。悪魔学や異端審問の中ではシナゴーグやオルギとも呼ばれていたが、現代の魔女たちはこの言葉を異なるスペルで綴り、季節の祭りとして祝うようになった。
1950年代、ジェラルド・ガードナーがウイッカの実践をはじめた当初は、ケルト由来とされる4つの大サバトを主に重視していた。これは当時の民俗学者マーガレット・マレーの研究の影響を受けている。マレーによれば「春分と秋分はイギリスに浸透することはなかった」という。また、マレーは「sabbat」という言葉は「s’ébattre(楽しむ、戯れる)」というフランス語の古い動詞から派生したのではないかと主張し、踊りや祝宴を伴う楽しい集まりであったと考えていた。この解釈が、後のウイッカにおいて、サバトを喜びと祝祭の場として捉える考え方に影響を与えた。
現在の8つのサバトは、2つの異なる流れが統合されて成立している。一つは古くからケルト文化圏で実際に祝われてきた4つの季節の祭り(大サバト:インボルク、ベルテイン、ルーナサー、ソーウィン)であり、もう一つはドルイド教復興運動の中でも重視された太陽の周期に基づく4つの祭り(小サバト:春分、夏至、秋分、冬至)だ。これらは20世紀半ばにジェラルド・ガードナーによってウイッカの祭祀体系の中で統合され、その後、現代の異教徒たちに広く受け入れられることとなった。
もともと、初期のガードナーたちの実践は古代の魔女信仰における重要な集会日として、ケルト文化圏の伝統的な四季の変わり目の祭りのみに注目していたようだ。これらの日付は実際にケルト文化圏で古くから祝われてきた伝統的な祭りの日付と一致していた。しかし、ガードナーと親しい関係にあったロス・ニコルスは、ドルイドの実践者でもあり、太陽暦を重視する立場から、春分・夏至・秋分・冬至の重要性を主張した。このようなペイガン間の交流を通じて、ガードナーはウイッカの実践の中に太陽暦に基づく4つの祭り(小サバト)も徐々に取り入れていったと言われている。これにより、現代の8つのサバトの基礎が形成された。
名称については1970年代以降、アメリカでエイダン・ケリーが重要な役割を果たした。ケリーは古代神話や文献を独自に研究・解釈し、8つの祭りの意味づけや儀式をより体系的に整理しようと試みた。彼は既存の儀式を踏襲するのではなく、現代的な再解釈を加えた。この過程で、太陽暦の4つの祭り(小サバト)に新しい名称が付与され、アメリカで広まることとなった。春分を「オスタラ」、夏至を「リーサ」、秋分を「メイボン」、冬至を「ユール」と名付けた。
しかし、「ユール」以外のこれらの名称は歴史的根拠に乏しく、ふさわしくないという議論が存在する。現在では単に「春分」「秋分」と呼び、これらの名称を避けるべきと考えるペイガンや現代魔女も多い。
魔女のサバトの時期と、東アジアの暦である二十四節気には興味深い対応関係があり、インボルクは日本の「立春」、つまり節分の行事が行われる時期にあたる。人々は東西で異なる文化を持ちながらも、自然の循環を重視し、その節目を大切に祝ってきた共通点と言えるだろう。
伝統(流派)
現代の魔女たちは、決して単一の信仰や実践を共有する均質な集団ではない。むしろ、その起源や思想、実践方法において、実に多様な流派や伝統が存在し、カヴン同士には縄張りのようなものも存在した。それぞれの流派は、独自の歴史と特徴を持ちながら、時には重なり合い、時には対立しながら発展している。
興味深いのは、マーゴット・アドラーが指摘するように、流派による考え方の違いよりも地域差の方が大きい点である。国や州によって、同じ流派でも構成するメンバーの背景により様々な実践に枝分かれしているのである。
ウイッカ(現代魔女宗)
本連載で何度も使われている「ウイッカ」とは何か、今一度確認してみよう。ウイッカは最も広く知られている魔女の宗派であり、現在の現代魔女術はそれらに対してのカウンター勢力をふくめてすべて何かしらの形で影響を受けている。
現代魔女運動の一つの源流とされるウイッカには、いくつかの流派が存在する。ジェラルド・ガードナーとその周辺人物によって確立されたガードナー派は、ニューフォレスト・カヴンからブリケット・ウッド・カヴンへ引き継がれたということになっているが、ニューフォレスト・カヴンには謎が多い。ニューフォレスト・カヴンでガードナーと確実に活動していたと確認できる人物は、ダフォという魔女名で知られるイーディス・ウッドフォード=グライムズのみである。彼女はガードナーの主要な儀式パートナーを務めていた。
主にアメリカで使用される言葉だが、「英国伝統派ウイッカ」という言葉で呼ばれる場合は主にガードナー派とアレクサンダー派のことを指しており、
様々な霊的実践と混淆した折衷的なウイッカの実践とは区別される。
1940年代中頃に現在ウイッカと呼ばれる実践が始まったとされている。ガードナー派は、厳格な師弟関係と豊穣の宗教である点を重視し、男神と女神の二柱の神を信仰することを基本とする。儀式はスカイクラッド(裸体)で行われ、儀式では円を描き、四元素と四方位を使用する。ウイッカは、三段階のイニシエーションを経て、徐々に魔術的な知識と実践を深めていく。
アレクサンダー派は、アレックス・サンダースによって1960年代に設立された流派である。ガードナー派の基本的な構造を継承しながらも、より儀式魔術の要素を取り入れ、若い実践者たちを積極的に受け入れたことで知られる。サンダース自身とその妻マクシーンの主張によれば、1960年代後半までに多くの弟子を持っていたとされる。真偽は定かではないが、サンダースは1,621人の魔女たちからなるネットワークを持っていたと主張している。詳細な人数は知る術がないが、彼らのネットワークが1965年から67年にかけて着実に成長していたことは事実である。
ガードナーが21歳以上としていた入門の最低年齢を18歳に引き下げ、若い世代の魔女の参入者を増やした。サンダースたちは、裸体あるいは儀式用のローブを着た状態での儀式の様子をメディアに公開し、映画に出たり、儀式の音源をCDで発売するなど積極的に活動したため、60年代後半には彼らの姿が現代魔女の典型的なイメージとして定着した。アレックス・サンダース自身はもともとガードナー派のイニシエートであり、影の書はガードナー派のコピーであったが、ガードナーの亡き後、自身を「魔女の王」と称し、メディアへの露出を積極的に行って世間に認知度を広めた野心的な人物であったことで知られている。
シークス・ウイッカは、ガードナー派のレイモンド・バックランドによってアメリカで新たに創立された流派である。ガードナー派の影響を強く受けながらも、アングロ・サクソンの異教信仰、ゲルマン系神話や文化に寄せた実践を展開した。
ウイッカにはこれ以外にも、多くの枝分かれした流派、そして様々な団体が存在し、独自の考え方を採用するケースもある。特に1960年代後半に「ウイッカ」という呼称が米国で知られ始め、いくつかのグループが各地に作られた。1970年代前半にガードナー派とアレクサンダー派を融合させ、米国で最初に誕生したアルガード・ウイッカ、参入者がタトゥーを入れることで知られているペンシルベニア州フィラデルフィアのブルースター・ウイッカ、カリフォルニア州のセントラルヴァレー・ウイッカ、サンフランシスコのエイダン・ケリーによって創設されたN.R.O.O.G.D.、ジョージアン・ウイッカ、チャーチ&スクール・オブ・ウイッカなど、多くのグループが存在している。
「英国伝統派ウイッカ」についてもっと知りたいと思う方は、ガードナーの後を継いでウイッカの考えを広めたブリケット・ウッド・カヴンの女司祭たちの著書や、アレクサンダー派のファラー夫妻の著作、レイモンド・バックランド、ヴィヴィアン・クロウリーの著作などから読むことをお勧めする。
スザナ・ブダペストとダイアニック・ウィッカ
ダイアニック・ウイッカは、ウイッカの中でも女神崇拝を強調する流派である。書籍の出版や実践者の渡米などにより、イギリスからアメリカに渡ったウイッカは、70年代に新たな形へと変容した。当時のカリフォルニアの急進的なフェミニストたちはウイッカの実践を自分たちの形に変容し、多くの女性を巻き込んだムーブメントに発展したのだ。特にアメリカの西海岸では女性たちが神を崇拝するのではなく、女神を崇拝する「女神運動」としても知られるようになった。このムーブメントには当時の現代美術や考古学、心理学など学術的な様々な領域が関連していた。
ダイアニック・ウイッカにも複数の団体が存在するが、最も有名なのがスザナ・ブダペストという人物である。ハンガリー出身の移民であるスザナ・ブダペストは、1970年代初頭、ロサンゼルスで「スーザン・B・アンソニー・カヴン」を設立した。彼女は英国伝統派ウイッカの男女両神を祀る形式ではなく、女神のみを崇拝する女性のみのカヴンによるウィッチクラフトの実践を提唱した。これをダイアナ派、ダイアニック・ウイッカと呼ぶ。
この流派はフェミニスト魔女の代表的な流派の一つであり、魔女とは家父長制に抵抗する女性の象徴であると同時に、ウイッカ的な古代の女神信仰の継承者であるという歴史観も引き継いでいる。また、家父長制やレイピストは呪っていいなど、「呪い」を行うことに対してデリケートな反応をする現代魔女の中では呪いを部分的に肯定する過激な思想で知られ、両極性を否定した女性のみの分離主義的な実践は魔女の中でも賛否両論であるが、女性解放運動と結びついた魔女の実践のパイオニアとして知られる。
ちなみに、スザナ・ブダペストはタロットカードの合法化に大きく貢献した人物として知られている。
彼女は当時タロットカードが違法だった七十年代半ばカリフォルニアで魔女のお店を経営していた。
その際、私服警察官のおとり捜査に引っかかってしまったものの、裁判を起こし、タロットカードは女性たちにとって重要な精神的実践であると主張して勝訴した。
そのほかにもメディアにも登場し「オーマイゴッド」を「オーマイゴッデス」と言い換える提案など、積極的に女神運動を広めた人物である。
また1996年に公開された映画『ザ・クラフト』の監修はダイアナ派の女司祭パット・デヴィンが行っている。
フェリ
フェリ派は、ヴィクター&コラ・アンダーソン、そしてギディオン・ペンダーウェンによって確立された流派で、より神秘主義的な要素を強く持つ。フェアリー・フォークロアやアフリカの伝統との強い結びつきを特徴とする。北米の現代のウィッチクラフト世界において、フェリはウイッカとは異なる独特の存在感を放っている。ヴィクター・アンダーソン、その妻コラ、そして彼らが「養子」と呼んだギディオン・ペンダーウェンによって形作られたこの伝統は、神秘主義的な深みと実践的な魔術の両面を併せ持つ道として知られ、スターホークやT・ソロン・コイル、ストーム・フェアリーウルフなどがイニシエートしたことでも知られる。
ヴィクター・アンダーソンは盲目のアコーディオン奏者であり、ほとんど口伝によって弟子たちに術を伝えた。彼は千里眼のような能力で世界中の魔術についての知識を持っていたとされる。ヴィクターはフェリについて、イギリス、スコットランド、アフリカなどの石器時代の小人たちが持っていた魔術的スピリチュアリティが生き残ったものだと主張した。この説明を文字通りの歴史的事実として受け取る者は今日では少ないが、それでもなおフェリの象徴的な神話として受け継がれている。
記録によれば、フェリの歴史はオレゴン州の「ハーピー・カヴン」に当時15歳のヴィクターが1932年に迎え入れられた時代にまで遡る。ウイッカと違い、アフリカにルーツのある魔術やハワイの魔術的伝統を多く吸収している点が特徴的である。そもそもすべての魔術の起源はアフリカにルーツがあると考えていたようだ。これもウイッカとは大きく異なる世界観である。
フェリの特徴的な教えの一つに、「三つの魂」についての考え方がある。人間の魂は、生存に関わる部分、社会的な自己、そして神聖な部分という三つの層から成り、それぞれが様々な先祖と結びついているとされる。これらの調和を取ることが、フェリの霊的実践における重要な目標の一つとなっている。
初期は口伝による秘教としての性格が強かったが、1980年代に入ると、フェミニズムやエコロジー運動との結びつきを強めていく。妖精の民との交流を重視し、エクスタシー的な実践を取り入れ、より個人的な探求を重んじるフェリの道は、伝統派的であり、現代の魔女術の中でも独特の位置を占めているが、口伝によって伝わったため、参入時期や魔女によって解釈や実践が大きく異なり、同じフェリの中でも時代や魔女によってかなり実践や考え方に差がある。そのため同じフェリだからといって考え方が近いとは限らない。ヴィクター&コラからの直接の考えを継承するラインをアンダーソン・フェリと呼ぶ。また、フェリの実践はリクレイミングに大きな影響を与えている。サンフランシスコから広がったこの流派はクィアの魔女が多い傾向がある。
スターホークとリクレイミング
1979年、スターホークの著書『スパイラルダンス』の出版は、フェミニスト魔女運動に大きな転換点をもたらした。この本はフェミニズム、環境運動を魔女の実践と結びつけた画期的な著作だった。スターホークらは、魔女の実践をアクティビズムに接続した。女神信仰に基づく世界観は、支配ではなく調和を、分離ではなくつながりを重視する。彼女たちの実践は、スピリチュアリティと政治的行動を結びつけ、新しい社会変革の可能性を示唆するものだったと言えるだろう。スターホークは、現代魔女の伝統をエコロジカルフェミニズムに接続し、人々の意識を変え、世界に働きかける魔術を広めた。彼女によれば、女神は単なる神の女版ではない。女神は体験である。スターホークは内在性を強調し、神聖なものが自然界や私たち自身の中に内在するという考え方を強く打ち出し、父なる超越的な神の概念とは一線を画す世界観を提示したのだ。
スターホークのベストセラー著書『スパイラルダンス』により、それまでとは比較にならないほど、多くの女性たちがモダンウィッチクラフトの世界に参入した。彼女も創設者の一人となって設立されたのが「リクレイミング」であり、階層構造を持たないアナーキズム的な組織運営と、合意形成の重視が特徴。
リクレイミングの儀式ではスパイラルダンスが踊られ、彼らの儀式は最大数百人規模で行われることもある。
参加者の多くがフェミニスト、環境活動家など、政治的なアクティビズムと結びついた運動に関わっている流派として知られる。
リクレイミングの儀式は即興を重視する傾向があり、異性愛規範も採用せず柔軟に儀式をデザインする。儀式や実践はウイッカとフェリの折衷であり、自分たちを「フェリの従姉弟」と認識している。
現在は多くのクィアの魔女がおり、アメリカ、ヨーロッパ、南米、オーストラリアなどに実践者がいる。筆者もこの伝統の実践者の一人である。
ミノアン・ブラザーフッド
ミノアン・ブラザーフッドは、1977年にエディ・ブジィンスキーによって創設された、ゲイおよびバイセクシュアル男性のための伝統である。ミノア文明の神話や象徴体系、特に地母神レアと雄牛神にインスピレーションを得ている。
エディは幼少期から古代エジプトや古代ギリシャの宗教に強い関心を抱いていた。彼は複数の魔女のグループと関わりを持とうとしたが、年齢が若すぎることや同性愛を理由にして断られた。イタリア系のウィッチクラフト実践者として知られるレオ・マルテロに出会ったことでも知られる。レオ・マルテロは著名なゲイ権利活動家であり、ストレガと呼ばれるイタリアを中心とした独自の魔術を実践する魔女であった。エディはレオ・マルテロと交流を持つことになる。
その後もエディはグウェン・トンプソンのカヴンに所属していた時期もあるが、後に自身のグループを設立した。彼は、従来の多くの魔女の伝統が異性愛規範に基づいていることに違和感を覚え、同性愛者である自分がオープンに活動できる伝統の必要性を感じていた。
ミノアン・ブラザーフッドの創設において、エディはクレタ島を中心に栄えた青銅器時代のミノア文明に魅了された。雄牛崇拝や地母神など、ミノア文明の宗教的要素に、男性性と性的エネルギーの肯定的な側面を見出し、自身のウィッチクラフトに取り入れた。当時のミノア文明に関する学術的研究はまだ発展途上であり、彼のミノア文明理解は主観を多く含み、必ずしも学術的に正確ではなかった可能性がある。
彼は独自のウェールズのトラディショナリスト・ウィッチクラフトも創設していた非常に精力的な人物であったが、エイズで若くして亡くなったため、近年までほとんど知られてこなかった。エディは、同性愛嫌悪が蔓延する当時の社会において、ゲイ男性のための魔女のコミュニティを作ることを目指した。彼の思想は、伝統的なウィッチクラフトの概念に挑戦し、男性同性愛者のための独自の精神世界を創造しようとする試みであったと言える。
ラディカル・フェアリーズ
ラディカル・フェアリーズは、1979年に米アリゾナ州の砂漠で始まった。「ゲイであること」を霊性と見なす、自然の中での集いとクィア霊性を重ねる国際的カウンターカルチャー運動である。初期からネオペイガニズムや環境主義、ヒッピー文化と交差し、各地にサンクチュアリと呼ばれる共同体も生まれた。アーサー・エヴァンズの『ウィッチクラフトとゲイ・カウンターカルチャー』やスターホークの『スパイラルダンス』など、ペイガン思想の影響が色濃く、思想面では、ハリー・ヘイの同化主義批判に加え、アナーキズム/ニューエイジ的実践が混在している。
イタリアのウィッチクラフト―ストレガリア伝統
ストレガリアは、1970年代後半から1980年代にかけて体系化された流派である。その発展には、レオ・マルテロとレイヴン・グリマッシという二人の重要な実践者が関わっている。
マルテロは1969年に公にウイッカンとしてカミングアウトし、ゲイ解放運動との関わりも深く、性的マイノリティの権利擁護にも尽力した。1970年にWICA(国際魔女クラフト協会)を設立し、1973年にガードナー派に入門。「La Vecchia(古き道)」と呼ばれるイタリア系のウィッチクラフトを実践し、家族伝統の継承者であると主張した。
一方、イタリア人の母フローラを持つグリマッシは、1969年からウイッカに関わり始め、1979年に「アラディアン・トラディション」を創始。これを発展させ、ストレガリアとして体系化した。グリマッシもまた、イタリアの家族伝統を受け継いでいると主張した。
両者の主張する家族伝統の信憑性については学術的な議論がある。文化人類学者サビナ・マリオッコは当初批判的な立場を取っていたが、グリマッシとの直接の面談後、彼が実際にイタリアの民間魔術と癒しの伝統に触れていたことを認めている。ストレガリアの多くはフェリと同じく、自分たちをウイッカだとは考えていないが、研究者の一部はウイッカの分派であるとみなすケースが存在する。
イタリアや北米の一部にこのストレガリアを実践するグループが存在する。イタリアの民間信仰とウイッカの要素を融合させた独特な実践として知られている。ストレガリアの理論的基盤は、ウイッカも大きな影響を受けた19世紀の民俗学者チャールズ・リーランドの著作『アラディア、あるいは魔女の福音』(1899年)に大きく依拠している。その中心的な神格体系は、女神ディアナとその配偶者ディアヌスを据え、預言者的存在としてのアラディアを重要視する。アラディアは、中世キリスト教の伝説で再解釈された新約聖書の登場人物ヘロディアを基にしている。
ストレガリアはウイッカの「サバト」に類似した年間サイクルを採用しているなど、現代のウイッカと多くの共通点を持ちながらも、イタリアの文化的要素を強調することや個人的な実践を奨励することで独自の立場を確立している。これらの実践は、伝統的なイタリアの民間信仰がカトリシズムと密接に結びついているのとは対照的に、古代ローマやエトルリアの多神教的要素を強調するなど独自のものになっている。
ストレガリア伝統は、特に中産階級の第二世代、第三世代のイタリア系アメリカ人の間で支持を集めている傾向があると言われており、従来の教会中心の共同体から距離を置きつつ、新たな形での文化的アイデンティティの探求を可能にしている。
伝統派ウィッチクラフト
伝統派ウィッチクラフトは、1960年代にウイッカに対抗する流れとして出てきた異なるウィッチクラフトの系統である。その代表的な人物であり、初期のウイッカ/ガードナーの最大のライバルとも言われるのがロバート・コクレンだ。
元々コクレンはウイッカの創始者であるジェラルド・ガードナーと協力的な関係があったと言われているが、創造性の違いから袂を分かつ。コクレンは若くして亡くなったものの、伝統派ウィッチクラフト運動において最重要人物と考えられている。
コクレンは謎に包まれた人物であるが、当時主流だったジェラルド・ガードナーのウイッカとは異なるアプローチを提唱した。彼が創設した「ツバル・カインの一族」は、より秘儀的で土着的な民間信仰との結びつきを主張する点と、自然の中でローブを着て行う儀式、より直感的で即興的な実践を特徴とした。ここではツバル・カインを「最初の鍛冶師」として、最初に技術を受け継いだ人物と考え、ルシファーやアザゼル、魔女の神と関連するものとして見ている。
角のあるホーン・ゴッドが重視され、マジスターやデビルといった男性の司祭たちが中心となる点はウイッカとは異なる。また、伝統派ウィッチクラフト特有のスタング(二又の杖)、墓の土や頭蓋骨など、ウイッカには見られない道具が見られる。コクレンは自分たちの実践を異教の宗教とは考えていなかった。彼は土地の精霊との関係性や、神秘的な探求を重視し、1964年以降、共に実践をしていたヴァリアンテもコクレンの儀式を高く評価した。
伝統派ウィッチクラフトは原始的なものからカバラのような洗練されたもの、いわゆる「低級魔術」から「高等魔術」に至るまで、さまざまな魔法のシステムや信念、魔術の働き方を組み合わせており、「魔女の血」という霊的な血統というコンセプトが登場する点も非常に興味深い。
ガードナーの儀式スタイルや過度な宣伝行為をコクレンは嫌い、批判していた。「ガードナリアン」というガードナー派を表す言葉は、元々ロバート・コクレンが彼らを揶揄して使用し、広まったとされている。
ウイッカの創始者ジェラルド・ガードナーは、自らの実践が古代の魔女カルトに由来すると主張したが、その主張を裏付ける確かな歴史的証拠は乏しく、多くの研究者から疑問視されるようになった。結果として、ウイッカはガードナーによって20世紀に再創造されたもの、あるいは既存の要素を再構成して作られた現代的な新宗教運動であるという見方が、ペイガンコミュニティや現代魔女の文化の中で一般的になっていった。実際に多くのウイッカ実践者はこの見解を受け入れ、ウイッカを古くて新しい宗教、霊性運動として捉え、隠すことなくむしろ理解した上で実践しており、むしろ化石のように形骸化されたものではなく、生きた創造的な実践であるとポジティブに考える傾向さえある。
一方、伝統的ウィッチクラフトの実践者たちは、自分たちの魔術の起源がガードナー以前の、口承や民俗伝承によって受け継がれてきた民間魔術にあると主張する。彼らはウイッカのような体系化された儀式や教義よりも、家系や地域ごとに異なる多様で断片的な実践を重視する。彼らの実践は時にキリスト教的な要素を含むことがある。これは民間魔術を行ってきた人々がキリスト教の祈祷文などを使用していたからだ。
ウイッカと伝統派ウィッチクラフトはアプローチの違いや考え方の違いから緊張関係を生み出してきた。ウイッカを現代的な創造物とみなす人々は、伝統的ウィッチクラフトの曖昧で不明瞭な起源、世襲という概念などに懐疑的な視線を向けがちな一方、伝統的ウィッチクラフトの実践者はウイッカを元々の彼らの実践を歪めたものであり、過剰に宣伝的、商業的として嫌う傾向がある。
ここからわかるのは、現代魔女術の世界はそれぞれの流派が正統性を主張し合ったり、批判を繰り広げる中でしのぎを削り、別の実践を多く編み出してきたということである。多くの魔女に会い、様々なスタイルを彼らから学んでみると、それぞれに良い場所があることも理解できる。散々批判し合ってきた様子を目の当たりにしている世代の人々は、過去の「本物の魔女」論争や他人の実践スタイルに難癖をつけることをナンセンスなものと見なす傾向がある。
また、「伝統派ウイッカ」という言葉は、ニューエイジ化するウイッカや「ヘッジウィッチ」や「キッチン・ウィッチ」、折衷的な実践をするソロ魔女たちと英国伝統派のウイッカを差別化することを目的として、アメリカで特に使用されるようになったと考えられている。「伝統派ウイッカ」も「伝統派ウィッチクラフト」もどちらも魔女文化のポップ化に抗う対立軸として広く使用されるようになった言葉であることは知っておいてもいいだろう。
昨今の「伝統派ウィッチクラフト」に対する注目や多くの本の出版は、明らかにこの10年間で現代魔女文化のニューエイジ化、商業化が進んだ現代魔女文化の中の反動のようにも見える。これらの背景を理解していない実践者の中でこれらを混同する誤解が生じ、この言葉は雑に使用されているケースが存在する。
ウイッカが古代の起源を主張しながらも、最終的には現代的な宗教として成立した一方で、伝統的ウィッチクラフトが歴史的な連続性を主張する一方で、その実態は多様で秘められ、断片化しており、文献による裏付けが難しい。
より現代的な解釈の加わった伝統派ウィッチクラフトを「モダン・トラディショナル・ウィッチクラフト」と呼び、この古くて新しいスタイルはここ数十年の間に広まった。
私に伝統派ウィッチクラフトについて多くを教えてくれたフィオの話では、彼らはカルロ・ギンズブルグ、エマ・ウィルビー、エヴァ・ポーチ、オーウェン・デイヴィスなどの民間信仰や民間魔術に関する研究から影響を受けているという。ウイッカの起源の信憑性が無くなった今も、最新の民間魔術の研究を吸収しながらウイッカと違う形で現代魔女文化は独自の発展をしている。
コクレンは若くしてこの世を去った。しかし、彼の伝統は様々な形で発展し、現代魔女文化の中に大きな影響を残している。代表的なものとして、アメリカのジョセフ・ウィルソンが1973年頃に設立した「1734伝統」、アンドリュー・チャンブリーによって体系化された「サバティック・クラフト」も、伝統派の重要な流れと考えられている。
その他にも2000年代以降、コーンウォールの魔女ジェマ・ゲイリーによる『コーンウォールの道の書』や、ケルデンの『曲がりくねった道』、ウェールズの魔術を紹介したマハラ・スターリングの『ウェールズのウィッチクラフト』など、興味深い「伝統派ウィッチクラフト」関連の出版が相次いでいる。
ソロ魔女/折衷派ウイッカ
ソロで活動する魔女のことをソロ魔女と呼ぶ。新たにクラフトを始めようとする多くの魔女が、はじめはソロ魔女である。
ソロ魔女は基本的には書籍によって学び、一人で魔女術を行うが、実践仲間を見つけ小さなグループで活動することもある。レイモンド・バックランド、スコット・カニンガム、マリアン・グリーンらによってソロで実践するための書籍が多く出版されるようになると、80年代からソロ魔女は増えていった。その後、90年代には現代魔女術がドラマや映画に登場した影響もあり、魔女文化の大衆化が加速。10代の若者たちが現代魔女文化に参入してきた時期は、シルバー・レイヴンウルフの本なども多く読まれ、注目された。
「キッチン・ウィッチ」「ヘッジ・ウィッチ」など様々な言葉が無数に作られたが、これは80年代以降ソロ魔女が増えたことによる現代魔女文化の大衆化の結果である。折衷派の魔女はそれぞれが独自の方法で実践を行っているため、良くも悪くもその他の霊的実践を取り込み、魔女術とそれらが混淆する場合もある。
特定の流派のスタイルに拘らず、様々な実践を取り込んでいる現代魔女はしばしば折衷派と呼ばれるが、厳密に言うとすべての現代魔女術は折衷的であるため、明確な境界線が存在しない。また、同じ流派であっても別の考えを持っていることは普通であり、一人の魔女が複数の伝統のイニシエートを受ける場合もあるため、個人個人を見たら実践は混ざったり流派を超えて折衷的に編まれることとなる。これが「魔女は一人一派」と言われる所以だ。
現在はSNSなどでも現代魔女たちは活動するようになっており、ソロの実践者はますます増えている。欧米ではカヴンや特定の伝統でなくても、インターネット上などに緩やかな魔女のグループが存在するため、緩やかな繋がりの中で実践をすることを求める魔女は現在では増えているようだ。
現代魔女文化の商業化を嫌う魔女も多いが、魔術の道具や書籍を取り扱うお店やコミュニティになってきた歴史があるため、初学者がまずそのような場所からアクセスするケースも多く、商業主義と霊的実践のバランス感覚は難しい。スピリチュアリティの探求過程において倫理的な問題を重視する魔女も多く、たとえば鉱物や特定の植物を販売することへの環境負荷の問題や、北米やオーストラリアでは脱植民地化の観点から文化盗用に関しても現代魔女文化の中では様々な議論が存在する。過度に商業的なものや現代魔女文化からかけ離れたものは「ニューエイジ・ウイッカ」などと揶揄され、絶妙なバランス感覚でこの文化が成り立っていることがわかる。
確かに「魔女は一人一派」と言われるように、それぞれが独自の実践を持っている。しかし、それは決して「なんでもありの寄せ集め」ではない。現代魔女術をこれまで築いてきた現代の魔女たちへの敬意や、彼らから受け継がれてきた実践の系譜を大切にする魔女たちは、自分がどこに立ち、何を大切にし、誰から何を学び受け継いできたのかに強い意識を持っている。その「実践の継承」はとてもハイコンテクストで奥深い楽しみ方をされている。表面的な儀式や魔術のテクニックだけでなく、背景にある美意識や思想の重なりを含めて世代を超えて深く味わわれているのだ。
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フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。
プロフィール

まどか
現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。