映え疲れから逃避できるSNS
筆者はいくつかの大学で非常勤講師を務めている。講義では主にデジタルメディアを扱い、電話からスマートフォンにいたる電子メディアの誕生やインターネットの歴史、ソーシャルメディアの隆盛といった話をする。
昨今の大学の授業はインタラクティブ性が求められている。そのため、受講生に質問を投げかけたり、受講者同士でディスカッションをしてもらったりするのだが、各大学で「よく使うSNSは?」と尋ねると、2024年くらいからBeReal.を挙げる学生が増えた。ほかにも講義ではスマートフォンアプリをめぐる社会問題を一つ挙げて調べ、その解決策を提案するグループディスカッションも取り入れている。そこでもBeReal.をテーマに選ぶ学生が1クラスに必ず1グループは現れるようになった。個人情報の流出や、映り込んだ人の肖像権の侵害など、BeReal.を使っていて「これやばくない?」と思うことが度々あるようだ。
BeReal.とはどんなアプリなのか。iOS向けのApp Storeの説明文を見ると、「BeReal. リアルな日常を友達と。これまでにない新たなSNS」と書かれている。詳しい説明には「BeReal.(ビーリアル)は、あんたと友だちが毎日1回、本音で今やってることをシェアする、めっちゃシンプルな写真アプリや」となぜか関西弁で語られている。
毎日ランダムな時間に通知が来て、そこから2分以内に写真を撮って投稿すんねん。カメラは前と後ろを同時にパシャッと撮って、その瞬間をそのまま残せるんや。フィルターなんかいらん。ほんまの今を見せるだけや。
ここにはフォロワー獲得目的のインフルエンサーなんておらんで。おるのは、コーヒー淹れてる友だちがおったり、いつもの何気ない通学路だけやったり、ベッドでゴロゴロしてたり、よーわからへんけど笑ってたり、渋滞にハマってたり。完璧に見せるんやなくて、「今ここにおるで」って伝わるほうが、ええやん?
ネットに毒された筆者は「なんJ語」を読んでいるのかと錯覚したりするのだが、ともかく加工や映えを意識しないフランクなコミュニケーションができることを、関西弁によってアピールしようとしているらしい。さらに「もし、『バズりたい』とか『“いいね”集めたい』って気持ちに疲れてるんやったら、BeReal.でちょっと一息つきや。1日1回の通知、2分だけ。ホンマの友だち、ホンマの瞬間」と、アテンション・エコノミーと化したSNSから距離を取ることを勧めている。バズ疲れ、映え疲れから逃避できるSNS、それがBeReal.なのだ。
映えなくていい写真は安全か?
このBeReal.のコンセプトから逆説的にわかるのは、映える写真というのは時間をかけて作られるということだ。例えばラグジュアリーなホテルでのアフタヌーンティー体験を投稿するとしよう。そのためには当然のことながら、まずアフタヌーンティーを提供するホテルのラウンジに出向く必要がある。しかも近年はアフタヌーンティーを「アフヌン」と略し、アフタヌーンティーを楽しむことをオタ活ならぬ「ヌン活」と言ったりするほどブームとなっている。社会学者の木村絵里子は、ラグジュアリーホテルのナイトプールやアフタヌーンティーが「映える空間」のスタジオセットとして利用されていることを指摘する。それらは富裕層を顧客としたホテルの中にありながら、宿泊するよりは安価に利用可能な、一時的な舞台装置と見なされ人気を博しているのだ。
そのため、人気ホテルの提供するアフタヌーンティーは予約が必須だったりする。予約をしていざ当日を迎えたら、映えるためにメイクや髪型、服装を入念に準備する。ヌン活写真の多くはアフタヌーンティー一式と自分が一緒に映っている構図が多いため、自分も映えていなければだめなのだ。そうして撮影した写真を、今度は加工する必要がある。背景に人が映り込んでいたらぼかして、色味と明るさを調整して、自分の顔も加工して、やっと完成する。
世の映え写真は、たった1枚投稿するにしてもかなりの手間がかかる。しかもそこまでしてどれだけいいねがつくかは未知数だ。たしかにアフタヌーンティーのために出かけることも、メイクもおしゃれもそれそのものがやっていて楽しいことである。写真を投稿してバズるというのは多くの人にとって副産物でしかない。それでもやはりバズっている投稿はうらやましく思ってしまう。自分もそうなりたい、同じことを自分もしているのになぜバズらないのか、などともやもやする気持ちも生まれてくる。そしてその気持ちにだんだんと疲れてきたり、そもそも映えとかめんどくさいという人もいる。もっと気軽に写真を投稿して友達とコミュニケーションしたい。そんな人びとにとって、撮影から投稿まで2分しか時間を与えてくれず、強制的に映えさせてくれないBeReal.はきっと魅力的だろう。
筆者はさすがにBeReal.のメインユーザー層とされるZ世代(10代後半から20代)から外れているし、周囲にアプリを入れている友人もいないから、BeReal.に実際に触れる機会はない。しかしXを見ていると、BeReal.に投稿された写真のスクリーンショットが回ってくることがある。よく見かけるのはライブ会場で撮られた写真で、フロントカメラで撮った自撮り写真と、同時に撮影された背面側の周囲の様子が映っているものだ。一時期はライブの上演中にBeReal.を撮ったと思しき写真が拡散され、マナー違反ではないかと物議を醸した。直近では銭湯の脱衣所で「BeReal.きた!」という声が聞こえてきて怖かったという投稿がXでバズるなど、映えを意識せずいつでもどこでも撮れるからこそ、BeReal.には撮影場所のマナー問題がつきまとっている。
バズを意識した投稿は、いいねやリポストといったSNS上の反応に一喜一憂し、ストレスにもなる。しかしバズを意識しない、すなわち大勢に見られることを意識しない投稿は、プライベートとパブリックの境界が曖昧になりトラブルを引き起こす。SNSが登場した2000年代から指摘されていた問題が、何周も回って再び繰り返されている。バズや映えから逃避した結果、SNSがもたらす問題がより一層ラディカルに浮かび上がっているのだ。
首下界隈がとる自己演出の戦術
バズや映えから逃れるBeReal.は、自分をどう見せるかという自撮りの様式にも結果的に影響をもたらしている。その象徴が、文字通り首から下だけを映した、首下界隈と言われるタイプの自撮りだ。ライブの参戦服姿、それこそホテルのアフタヌーンティーに行く時のような、おしゃれに決め込んだ服装。ここぞというハレの姿を首から下だけ映すのが首下界隈の流儀である。
首下界隈の特徴は、多くの写真が友達と二人で映っていることだ。しかも同じ服の色違いや、アイテムこそ違えど似た雰囲気の服を着ており、いわゆる双子コーデ、シミラーコーデをしていることがほとんどである。ここで着用されているのは、第2回連載で取り上げたぽこぽこ界隈系の大人ガーリーな服であったり、もう少しかわいさに振ったフレンチガーリーないし量産型系、または地雷系であったりする。
首から上、つまり顔を隠す写真はきわめて匿名的だ。BeReal.における個人情報流出の問題は、撮影者の個人特定という観点に限って言えば、そのおそれはない。背景や服装から、例えばどこで撮影されたとか、どういう趣味の子なのかとか、そういった周辺情報を読み取ることはできても、首より下しか映らないことで、徹底的に匿名化された存在であるのだ。
顔を盛らない写真は、実は数年前からトレンドになっている。女子高生のプリクラを収集し「盛り」写真の分析をした久保友香によると、「インスタ映え」が流行語大賞にも選ばれた2017年、Instagramによく投稿されていたのは顔を見せない他撮り写真だった。いわゆる「映えスポット」で、みんなが同じような構図の写真を撮影するが、顔がクローズアップされることはない。久保が実際に女子高生に話を聞くと、友達からナルシストだと思われるから、あるいは知らない人から批判されることが怖いから、自撮りを投稿するのは恥ずかしい、と答えたという。
さらにこの時期Instagramで流行っていたのは、ディズニーランドで双子コーデやキャラクターをモチーフにしたコーデをして撮られた写真だった。これらの写真は個人を主張するというより、他の人が真似したくなる写真を投稿する遊びとして流行っていた。久保はこういった自撮りではなく他撮り中心で、ロケーション込みの映え写真を「『シーン』の盛り」と名付けている。
首下界隈の自撮りは、この延長線上にある。先ほど、首下界隈ではシミラールックで友達と映ることが多いと述べたが、例えばここで顔が出ていたら、右の子のほうがかわいいとか、左の子はかわいくないとか、どうしても見る者からの評価に晒されるだろう。または、どうせ自分のほうがかわいいとアピールしたいんでしょと、ナルシシズムを見出されて批判されることも考えられる。2010年代のティーンたちは、だから自撮りから撤退し、あくまで背景の映えスポットにフォーカスした(という体裁の)「シーン」盛り写真を投稿していた。しかし2020年代になって、首下界隈の子たちは自撮りからの撤退ではなく、「シーン」盛りと自撮りを巧妙に組み合わせ、批判を避けながら自撮りを投稿する戦術を編み出した。つまり顔を隠し、でも見た目は合わせることで、比較や批判の視線を回避しながら仲の良さをアピールする。そして「シーン」盛りの写真同様、これらの写真は真似され、首下界隈と呼ばれるまでに広がった。
もちろん、BeReal.の仕様上、加工アプリを使って顔を盛る写真を載せることができないからそもそも首から下しか映さない、というアプリのアーキテクチャに促されて登場したという側面は大きいだろう。BeReal.の流行によって強制的に自撮りへと引き戻された時に生まれたのが、首から下だけを映すという匿名化された自撮りであり、それはプライバシー管理と同時に無用な傷つきを生まない関係性の呈示という界隈の戦術なのである。
パブリックなプライベートにおいて「何を見せる/見せない」のか
このような戦術が、今のSNSをめぐる状況を強く意識することで生まれてきたことはたしかだ。バイトテロやいたずら動画に象徴されるように、身内しか見ていないと思って投稿した動画や画像があっという間にサービスを超えて拡散され炎上し、場合によっては社会問題にまで発展するのが現代のSNSである。2000年代に東浩紀と濱野智史が中心となって行われた研究会「ised」(Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society)の議論ですでに指摘されていたように、SNS時代はプライベートの成立が不可能となり、あらゆる領域がパブリックとなってしまう時代なのだ。
この、パブリックなプライベートとも言えるような、語義矛盾的な世界にいることに気づかずに失敗してしまった例がバイトテロや迷惑系動画だとしたら、首下界隈はその世界のルールをわかった上で遊ぶ人々とみなすことができる。あらゆるプライベートな瞬間は、SNSを介してパブリックへとつながる。だとしたら、ヌン活やライブ参戦などで「プライベートな時間を楽しんでいる自分」を演出する回路が出てくることも自然である。
そこでは「何を見せる/見せない」が選択される。リスクを避けるため、友達と比較されないために顔は見せたくないが、ばっちりおしゃれしてイベントを楽しむ自分は見せたい。見せたい自分が様々な戦術を駆使して演出される。
ここでBeReal.のコンセプトを思い返せば、映えを意識しないリアルな日常を友達と共有することであった。首下界隈という現象は、BeReal.が想定する飾らないリアルな日常の共有が、少なくとも日本のSNSにおいていかに難しいかを教えてくれる。しかしそのことは、日本のティーンがSNSの承認欲求とアテンションの渦に飲み込まれやすいというような悲観的な話に留まらないと筆者は考える。彼女たちは、映えからの撤退ではなく、様々な戦術を駆使した映えのカスタマイズ、映えの再編によってプライベートがパブリック化した世界を遊んでいるのだ。
参考文献
App Storeプレビュー BeReal.
https://apps.apple.com/jp/app/BeReal.-%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%81%AA%E6%97%A5%E5%B8%B8%E3%82%92%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%81%A8/id1459645446
東浩紀・濱野智史編(2010)『ised――情報社会の倫理と設計 倫理篇』河出書房新社
木村絵里子(2023)「メディア化された都市の経験と女性文化――雑誌メディアからInstagramへ」大貫恵佳・木村絵里子・田中大介・塚田修一・中西泰子編著『ガールズ・アーバン・スタディーズ――「女子」たちの遊ぶ・つながる・生き抜く』法律文化社、85-10ページ
久保友香(2019)『「盛り」の誕生』太田出版

昨今若者の間で広まる「界隈」という言葉。インターネット空間上を通して広まったこのフレーズは、いま若者たちのゆるい繋がりを表すものとして、注目を集めている。この「界隈」の誕生は、現代の文化においてどのような意味合いを持っているのだろうか。本連載「界隈民俗学」では、インターネット上の若者集団をウォッチし続けてきたメディア研究者、山内萌がさまざまな場所で生まれる「界隈」の内実を詳らかにしていく。
プロフィール

やまうちもえ メディア研究者。1992年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院政策・メディア研究科後期博士課程修了。博士(学術)。単著「『性教育』としてのティーン雑誌──1980年代の『ポップティーン』における性特集の分析」『メディア研究』104号(2024)、「性的自撮りにみる「見せる主体」としての女性」『現代風俗学研究』20号(2020)。共著『メディアと若者文化』(新泉社)。


山内萌









小山 美砂(こやま みさ)
石橋直樹
青柳いづみこ
森野咲
西村章