オレに死ねと言ってんのか? ━検証!高額療養費制度改悪━ 第16回

大局的な視野に立って高額療養費制度〈見直し〉を捉える必要がある【後編】

―二木立氏との一問一答
西村章

日本社会に適合している国民皆保険制度

――「医療保険の患者負担は究極的には全年齢で廃止すべき」という二木さんの持論が現実化される日が来れば、高額療養費制度も存在する必要がなくなっていると思います。もしもそれが実現すれば、日本の医療保険制度は〈世界に冠たる〉と自称することができるでしょうか?

二木:そのような質問をされると苦笑せざるを得ないのですが、「世界に冠たる」という言い方自体が私は大嫌いなんです。論文でも、今まで一度も使ったことがありません。
 そもそも医療制度というものは、それぞれの国の歴史と文化の上に作られているものだから、いい悪いなどないんですよ。たとえばアメリカは全国民を対象にした公的医療保険制度がなく、日本的な感覚で考えるとありえないと思うかもしれないけれども、共和党や支持者の人たちは今の制度が正解だと思っていますよ。ヨーロッパでもイギリスや北欧諸国など、医療費の自己負担のほとんどない国など、いろいろな制度があるけれども、それぞれ一長一短があります。だから医療に限った話ではないのですが、〈世界に冠たる〉という表現を私は絶対に使いません。
 最初にも言いましたが、給付は1973年がピークでした。その後、医療費は抑制論が強くなっていきますが、平均寿命が伸び、乳児死亡率が低くなり、2000年にはWHOの世界健康比較で日本が1位になりました。しかし、1970年代前半頃までは日本が遅れていることは常識でしたよ。今でも、国民全体でそう思っているかどうかは別にして、「世界に冠たる……」なんて言っているのは一部の人たちだと思いますよ。
 ただ大事なことは、「医療・年金・介護」と並べたときに国民の信頼が一番高いのは医療です。これは事実ですよね。医療機関は、国民のほぼ全員が1年に1回くらいは受診するじゃないですか。年金は歳を取らないともらえないし、福祉も建前は全国民が対象ですが実際に利用している人はごく一部です。

――体感的にも確かにそうですね。ただ、医療保険制度は二木さんが主張する理想的な方向に変わっていく可能性が極めて少ない……。

二木:逆に、「地獄のシナリオ」になるようなこともないと思います。一番いい例が、小泉純一郎首相が2001年から5年間かけて医療分野に市場原理を導入しようとして混合診療も解禁しようとしたことがありました。今はそんなことを誰も言いませんよね。正確に言えば、一部の病院団体の幹部がチラッと言うことはありますが、それでも組織としての決定や大きなムーブメントにはなっていませんよね。理由のひとつは、この20年間で日本の所得水準が下がって貧しくなっているから。格差が広がっているといってもアメリカほど極端ではないし、お金持ちだけで成り立つアメリカのようなマーケットもないんですよ。
 だから、なんだかんだと言っても国民皆保険を守り、改善するしかない。国民皆保険は、医療(保障)制度の枠を越えて日本社会の統合を維持するための最後の砦になっている、というのは要するにそういうことです。国会に議席を有するすべての政党が国民皆保険制度の維持・堅持を主張しています。具体的な医療政策・医療改革に関しては政党間で様々な意見の違いがありますが、国民皆保険の維持・堅持についてのみは合意があるんです。国民皆保険制度の機能低下は、社会の分断を促進し、社会が壊れることにもつながりかねないからです。
 ただし、私は今回の自民党と日本維新の会の「政権合意書」で「国民皆保険制度の中核を守る」という限定的表現が初めて使われたことはアブナイと思っています(※9)。
 結論を言えば、私が考える理想的な医療保険制度の実現可能性は、いまだ道遠し、ですが、地獄のシナリオになる可能性は今言ったとおり、さらにもっと低いと思います。なぜならさっきも言ったように、世論調査で国民の多くは社会保険料の負担を受けいれているし、すべての政党も国民皆保険に合意しているんですから。
(※9 二木氏の論文「高市自民党総裁の医療公約は積極的だったが 高市自維連立政権の医療政策は不透明」:『文化連情報』2025年12月号 28-37P、ではさらに複眼的な検討が行われている)

――高額療養費についても、新たに方針を決定するとして2025年12月にまとめる案は、2024年冬のものほど過激なものではなさそうです。

二木: 政府案が一度流れた、ということがやはり大きかったのでしょう。衆議院を通過した予算案が参議院へ回った後にもう一度衆議院へ回されるという、私から見ると画期的な出来事があって事実上の撤回ですから、あれは政府・厚生労働省には大きなダメージになったと思います。あれで出世が止まったお役人もきっといるでしょうから。だからもう極端に変なことはできないだろうし、何かやるとしても弥縫策、というのがせいぜいのところでしょう。

1 2 3
 第15回

関連書籍

スポーツウォッシング なぜ<勇気と感動>は利用されるのか
MotoGP最速ライダーの肖像

プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

プラスをSNSでも
Instagram, Youtube, Facebook, X.com

大局的な視野に立って高額療養費制度〈見直し〉を捉える必要がある【後編】

集英社新書 Instagram 集英社新書Youtube公式チャンネル 集英社新書 Facebook 集英社新書公式X