語り継がれる牡丹社事件

このあたりで前回同様、100人アンケート「台湾の歴史上、あなたが最も尊敬する人物は誰ですか?」の質問に戻ろう。
その日は牡丹郷に泊まり、図書館の司書さんや民族語教育員、檳榔
売りの一家などとお近づきになれた。私が泊まった民宿を営むアディンポン(漢名:古英勇)さんは、石門付近で生まれ育ち、家が貧しかったため中学を出るとすぐに都会に出て電気設備技師の修行を積んで、起業。おりからの新築ラッシュにのって休み返上で働き財を築いた。歌がうまく、とあるホテルに頼まれて18年間もステージに立ち、そうかと思えば郷土のため、パイワン族のためにさまざまな活動をしている。仮にパイワン魂というものがあるとすれば、その体現者のような人だ。なにより驚いたのは、『ウルトラマン』で有名な沖縄出身の脚本家・金城哲夫(1938~1976)に顔がよく似ていたことで、ふしぎな縁を感じずにはいられなかった。
古さんは「尊敬する人」の欄にこう記した。
「牡丹社事件の時期のパイワン族族長と族民。民族の精神を守った」
発端となった宮古島民の虐殺については、やはり「あれは誤解から起きてしまったのです」とさびしげに言う。この事件の詳細と、21世紀に入ってから実現した宮古島民とパイワン族の遺族同士の和解については、平野久美子氏の労作『牡丹社事件 マブイの行方―─日本と台湾、それぞれの和解』(集広舎)を読まれたい。ただ、丘の上の西郷都督記念碑の修復や牡丹社事件館の開館(2024年)など、同書の刊行(2019年)後に生じた変化は少なくなく、現地でもりあがりを見せているのが感じられた。日本軍が持ち帰り、エディンバラ大学の解剖学博物館に渡っていたパイワン族の頭骨4個が2023年に牡丹社公所との協議のすえ返還された件もそのひとつだ。
また、2022年にはマンガ『暴風、葛藤、隼 牡丹社事件』(イラスト:張重金、編集:施百俊/時報出版)が台湾で出版された。私も村の図書館で閲覧できた。丸っこくデフォルメされたかわいらしい絵柄だが記述は詳細で、当時の原住民がはなから悪意をもっていた、といったふうに読まれないよう気をつけて書かれているのがうかがえた。たとえば事件の場面では、マンガとは別に監修者の註を入れ「当時、村の人は水と食料で歓待し、彼らを客人として扱ったが、琉球人は理解できず、自ら立ち去ることを選び、それが悲しい事件につながった」と記している。
清朝末期のがんばり

ところでこの事件は清国政府にも大きな衝撃を与えたのである。ちょうどそれに関連する人物をアンケートで挙げてくれた人がいる。牡丹社事件館の学芸員、邱さんだ。彼女はパイワン族の女性がよくするように、美しい幾何学模様の刺繍が入った手織りのポーチを身につけているが、客家との混血だとのことで、「民族」の質問には「台湾人」と記した。原住民としての意識よりも台湾人としての意識が強いのだろう。
邱さんは「尊敬する人物」には「①沈葆楨 劉銘傳 ②蔣経国」と分けて記した。蔣経国についてはここでは繰り返さない(第一回参照)。最初の2人は清国末期の官僚で、清国の近代化を模索する洋務運動の担い手だ。
「この2人が台湾の建設を加速させたのです」と邱さんは評する。これは牡丹社事件が原住民と清国政府にどのような影響をおよぼしたのかを踏まえてのこと。館内の展示では「牡丹社事件後、清国は台湾の積極的な統治に力を注ぎ、土地の開墾と漢人の移民をすすめ、原住民族に対しては懐柔をはかりつつ警戒をつづけ、一連の措置は台湾社会の発展に深い影響をもたらした」とまとめられていた。そして原住民については「石門の天険は、もはや集落を守る障壁にはなりえず、牡丹地区の原住民族は文字の歴史の舞台に上がったのである」と。守るべきものは守りながらも、いわゆる近代文明とも折り合いをつけていかねばならなくなったのだ。
清国政府がとったこれらの一連の措置――「開山撫番(山をひらき、原住民を宣撫する)」と呼ぶ――を指揮したのが、台湾を守るために派遣された沈葆楨(1820~1879)だった。牡丹郷を含む台湾南端を恒春半島と呼ぶが、「恒春」と名づけたのは彼とのこと。熱帯なのでむしろ「恒夏」のほうがリアルだが、いい名前だ。
彼は「化外の地」をなくすべく、漢人社会が育っている中央山脈の西側と、原住民族のテリトリーがひろがり踏み入りづらい東側とをつなぐ、総延長400キロにおよぶ3本の横断路の建設に着手した。そのうちの北路は現在「蘇花公路」の名で親しまれている、東海岸の断崖をぬう道路の前身である。私も旅の終盤にその道を走破し絶景とスリルを堪能したので、ありがたみはよくわかる。
また沈は行政区分を刷新し、台北府と基隆庁を新設して南部に比べおくれていた北部の発展をうながした。こうした剛腕の改革にくわえ沈は、台湾の人々が慕う英雄・鄭成功(1624~1662)の廟を修復し、追諡
するという、人情にまつわる仕事もしている。ちなみに鄭成功は長崎・平戸の生まれだが(母は日本人)、幼いころに泉州に移ったので、沈葆楨の認識では自分とおなじ福建人だった。その人気はいまだにおとろえず、私のアンケートでは11票を獲得して堂々の単独2位。17世紀の人物としては唯一のエントリーで、突出した知名度がうかがえる。
沈葆楨は1年あまりで台湾を去ったが、それから10年後に初代の台湾巡撫として改革を推し進めたのが劉銘伝(1836~1896)だ。劉は前述の開山撫番を拡大するとともに、台湾のさらなる近代化を目指した。人材育成にも力を入れ、台湾初の西洋学問の教育機関となる西学堂を台北に設置。他にも、電信の敷設と、技師育成のための電信学堂の開設、郵便制度の導入、樟脳の専売化、採鉱など、のちの日本の植民地経営の手本となるような諸改革を断行した。それらの経費をまかなうために徹底した土地清丈(検地のようなもの)をおこない、税収を飛躍的に上げたが、地主層から民衆まで反発も大きく、6年で離職。後任者は改革を白紙にもどした。それから間もなく、日清戦争の勝利で日本が台湾を獲得し、50年におよぶ統治を始めるのだ。

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。
プロフィール

まえかわ さねゆき
ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。
前川仁之





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