台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~ 第四回

牡丹社事件と清末の偉人たち

前川仁之

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。
ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。
前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

文・写真/前川仁之

海はつなげる

台湾島最南端の碑の前で。

 墾丁(第一回参照)で泊まった翌朝、大きな荷物は宿に置き、自転車で台湾島最南端へ向かった。ふつうに台湾一周の旅にこだわるのなら、最南端の碑からそのまま国道で東海岸を目指すのだが、私にはそうできないわけがあった。引き返して山間部に用があるのだ。

 おなじように最南端の碑をめざす、フィリピン人のサイクリスト6人組と出会った。全員男のにぎやかなチームだ。彼らは自転車を墾丁まで運んできて、最南端から西海岸を北上する予定だという。

 最南端から見るバシー海峡の水は、やや暗い色を帯びてたゆたっていた。船影ひとつない水平線を、穴があくほど凝視した。ほんとうに穴が開いて、隣国フィリピンの大地が姿を見せたら、次はそこを旅するのになあ。台湾の旅を決めたのは、昨年の夏に与那国島まで足をのばした際に、たまたま運よく島の西端から台湾の島影を認めたのがきっかけだった。

「お、君らの故郷が見えるよ」と、フィリピン人の彼らに冗談を言うと、「ないない!」と笑い声がかえってくる。モスキート音がするので見上げると、ドローンが飛んでいる。彼らが撮影をはじめたようだ。

 風が心配だ。

「君たちは今日、どこまで行く予定?」

 彼らとの会話は英語だ。

「高雄です」

「ちょうどぼくが昨日走ってきたコースの逆だね。ここから120キロ。たぶん、一日中向かい風になるから気をつけて」

「そうなんですか?」と丸いサングラスをかけた髭もじゃの青年が訊ねる。

「昨日は追い風でだいぶ楽できた。おなじ北風が、今日はさらに強まったみたいだから」

 向かい風は自転車旅行の大敵だ。とはいえ風の力をもろに体感できるという点で、これだって自転車という人類最高の発明が与えてくれる特権のひとつにちがいない、と負け惜しみ気味に強弁したくなる。

 そして風は時おり、意識を時間旅行にいざなう。

 155年前にこの付近に漂着した琉球の船だって、風に翻弄されて運命を狂わされてしまったのだ。

 墾丁に戻る途中、来るときに気になっていた浜辺に寄った。白い砂浜の波打ちぎわをサンゴの岩礁がふちどっている。海の色は劇的に変わり、琉球的なコバルトブルー。砂の上にひとり、すわって海を見ている日よけ帽子をかぶった若い女性に話しかけた。私の中国語は、コンディションと話す相手によりレベルが大きく変化するような代物だが、この人相手にはかなりスムーズに話ができた。彼女は地元の人で、ウミガメを見に来たと言う。

「卵を産みにくるのですか?」

「いいえ、泳いでるんです。あ、ほらいま、そこに!」と彼女が指さした水面には息つぎをするウミガメの首がたしかに見えた。

「わーほんとだ! 石垣の海で見たのとおなじだ」

 与那国島から石垣島へ帰るフェリーのデッキから見たウミガメを思い出した。それから、米原ビーチで泳いだ時にニアミスしたウミガメのことも。

琉球人の墓地

琉球藩民54名の墓。

 およそ3時間後。ちかくのネギ畑から流れてくるにおいがツンと鼻をさす。荷物を積んで重くなった自転車で向かい風と格闘してきた私は、「大日本琉球藩民五十四名墓」の前で手を合わせていた。

 牡丹社事件で殺された宮古島民の墓だ。

 事件は1871年10月に始まる。宮古島から那覇港に年貢を届けて帰途についた1隻の大型船が嵐に遭遇し難破。乗員66名が台湾の南東端に漂着した(3名は上陸時に溺死)。生き残った人々は助けを求めて山を登り、原住民の集落にたどりつく。原住民――パイワン族の人々は宮古島民に寝場所を提供した。

 しかし宮古島民は、台湾の原住民には首狩りの習慣があると聞き知っていた。たがいに言葉の通じない中、次第に疑心暗鬼がつのり、夜のうちに逃げ出そうとしたところを怪しまれて襲われ、54名が殺されたのだった。からくも難を逃れた人々は漢人に救われ、清国の福建経由で帰国し、悲劇のニュースを伝えた。事件の起きた場所と部族の名をとり、牡丹社事件と呼ばれる。

 異文化集団の出会いから生じた悲惨なできごとだった。とはいえその半世紀前や200年前だったら、事件はそこで終わっていただろう。ところがここに、前近代の海にはなかった、とある思惑が介入してくる。

 明治維新が始まって3年目のこの時期、日本本土では廃藩置県がまさに行われている最中だったが、琉球王国は依然として清国に朝貢をしつつ、薩摩藩(鹿児島県)にも服属するという、あいまいな立場を維持していた。日本は翌年に琉球王国をまず琉球藩とし、尚泰王を「国王」から「藩王」に格下げする。それでもまだ琉球は、清国への朝貢はやめていない。宮古島や八重山諸島は、その琉球にさらに従う、という力関係だ。

 ちょうどその頃に、牡丹社事件が日本政府にも伝えられた。これは使えると判断した維新政府は、台湾を領有する清国政府に抗議を申し入れる。うちの臣民があんたのところの住人に殺されたんだから誠意を見せてくれ、というわけだ。台湾の高校で使われる歴史教科書(『詳説台湾の歴史』)では、「それから二年後、日本政府はこの一件を持ち出し、清朝廷の出方を探った」と記述に嫌味を含ませている。本気で憤っていたなら2年もなにをしてたんだって話だ。宮古島民の死は外交カードにされている。

 清国政府は、事件が起きた台湾島の東部は統治のおよばない「化外の地」だから自分らに責任はないし調査もできない、とはねつけた。これは当時の清の平常運転で、少し前にアメリカ人が台湾原住民に殺された件で抗議を受けた時も同様の返事をしている(ローバー号事件)。

 しかし今回は相手が悪かった。これから新たに帝国を育てていこうとする維新政府だ。琉球をめぐる政治上の恋敵でもある。おまけにこの時期はいわゆる不平士族が各地でくすぶっており、対外戦争がいいガス抜きになりそうだった。

 はたして日本は、そっちがやる気ないなら直接こらしめてやろう、と台湾へ兵を送り、牡丹郷に攻め込んだ。近代日本最初の海外出兵だ。1874年5月のことである。総大将は大西郷の実弟・西郷従道。台湾島の南西端付近に上陸した3658名の日本軍はパイワン族の住む山間部目指して駒を進める。事件はこれより次のフェーズに移る。

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平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

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プロフィール

前川仁之

まえかわ さねゆき

ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。

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