台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~ 第四回

牡丹社事件と清末の偉人たち

前川仁之

旅に学び、学びを旅する快感

現在の蘇花行路。

 劉銘伝といえば、この旅でたいへんゆかいな出会いがあった。

 旅の終盤、前述の蘇花公路を北上していて花蓮県北端の和平村に泊まった時のことだ。旅程の都合でそこに一泊したのだが、折からの曇り空に、台湾セメント社の巨大な工場と発電所がもたらす圧迫感で、村の第一印象は必ずしもよくなかった。しかもたまたま食堂が閉まっていた。しかたなくコンビニのテラス席で缶ビールを飲みながら弁当を食べていたら、セメント工場で働く陳さんという新竹の客家出身の男性と、その後輩が声をかけてくれたのだ。2時間以上もつづく楽しい宴のはじまりである。

 平成日本のテレビドラマの話から、台湾における同性婚についての見解まで、話題は蝶のように舞う。ビールがなくなるとコンビニで買い足し、「これは糖質0%だから健康にいいよ!」と勧めてくれる。

 いくら飲んでもアンケートは忘れない。陳さんが尊敬する人物は劉銘伝だった。

「彼が台湾で最初の鉄道を敷いたんだ。基隆-台北間と、台北-新竹間」

「そうか、あなたは新竹出身だからそれでよけい好きなんですね。新竹は私も一泊しました。いい街ですねえ」なんて話をしたのだった。2人のおかげで翌朝出発する時の村の雰囲気は、到着時とはがらりと変わり、いまではなつかしく思い出される。ウミガメにもあこがれるが、人間もいいものだ。

 劉銘伝を知る前、私はうかつにも、台湾で鉄道が敷かれたのは日本の統治下になってからだと思っていた。「日本は台湾にいいことをたくさんした」式の言説はいまも昔も日本で幅をきかせており、それは一面正しいのかもしれないが、時には私のような知ったかぶりを作る副作用をもたらすだろう。台湾は、私たち=かつての支配者がいつのまにか自分の理想を圧しつけて理解してしまいがちな隣人だ。典型的にはたとえば、おそるべき中国と戦いつづける、親日の国、という理想像を造ってしまってはいないか。

 沈葆楨は1年、劉銘伝は6年ほどで台湾を去った。台湾人というたてつけから見ると、助っ人にすぎない。そういう人物が、いまでも語り継がれ、100人中3名のファンを持っている。こうした心情の距離感はやはり、現地の人に会って聞いてみないとわからないものだ。現地在住です、と称する匿名アカウントではなく、実際に現地で面つき合わせた相手に。

 このアンケートでは、他にも実にさまざまな人名があがった。すべてをたどれば台湾400年の歴史に民間信仰の神々も加えた見取り図くらいのものは描けるだろう。アンケート以外でも、たのしく、勉強になる出会いは数知れない。詳しくはまた別の機会にお見せするとして、かんたんなまとめを試みる。

人々の知恵

つぎの出会いに向かってペダルを漕ぐ。

 台湾で私が出会った人々を「台湾人」とひとまとめにして見たとき、その気質や行動様式に、どのような傾向が認められるだろうか。

 一つ感じたのは、この人たちは、きれいな言葉の誘惑に抵抗できる知恵を育んでいるのではないかということだ。つまり「言葉の上」と「実質」との乖離に気づき、後者に重きを置く傾向があるのではないか。第一回では理念先行に走らない、と指摘したが、もう少しひろげてみてもいいように思える。

 清国から大日本帝国、大日本帝国から国民党独裁政権、そこからいまの民主主義と、ざっと150年の間にもコロコロと頭がすげかえられてきた台湾では、それだけ大義名分も目まぐるしく変わってきた。より厳しく言えば、大きなウソにまみれてきた。戦後の例だけでも思いつくままにあげると、まず国民党の陳儀・初代台湾省行政長官は来島当初「同胞」と呼んだ台湾の人々を「台湾人は中国人ではない、殺せ」と容赦なく虐殺し(二・二八事件中、3月上旬に大陸からの増援部隊が到着すると態度を豹変させた)、民衆の自発的な抗議からはじまったこの騒乱を、当時まだ南京にいた蔣介石は「元日本軍人と共産党員の合作である」と遠方から決めつけたのだし(3月13日の談話)、その蔣介石は台湾に君臨すると今度はできもしない「大陸反攻」という大義名分を息子の代までかかげさせたのだった。また、その間さかんに行われた特務による非人道的な取り調べにあっては、

「きさまはいつからアカ(共産主義者)になったんだ?」

「ここ(取り調べ所)に連れてこられた時からです!」というやりとりが繰り返されたというブラックジョークが生じた(※1)。つまりそれだけ、実質とはかけはなれた言葉が専横を極めたのだ。

 そんな中たくましく生きてきた人々は、大きな言葉に愛想をつかす、とまではいかないにしても、やはり一歩引いて警戒する知恵をもって、理念はともかく楽しくすごせておいしく食べられるかどうかがだいじ、というメンタリティを育んできたのではないか。

 例として、南部の大港湾都市・高雄市内の居酒屋で働く28歳の男性へのアンケート結果を紹介しよう。彼は「民族」の問いに「外省人」と、「アイデンティティ」の問いに「中国台湾人」と答えた。こういう言葉づかいは初めてで、わざわざ外省人と記すことといい、若い人には珍しくかなりの親中国なのかなと思いきや、「尊敬する人物」の質問には「ひまわり学生運動に参加した人たち」と答えるではないか。2014年に起き、学生たちによる立法院の占拠へと発展したこのデモは、簡単に言うと中国の台湾に対する経済的な影響力を強めかねない政策に対する反対運動で、どっちかにタグ付けするなら当然「台湾独立」向きの動きであったろう。

 つづいて「あなたが考える、台湾と中国の最良の関係は?」の問いがある。彼の答えは「九二共識」だった。1992年に中台間で交わされたとされる、「一つの中国」は堅持しつつ、その意味は各々が解釈するという合意で、これまたどっちかにタグ付けするなら、少なくとも積極的な「台湾独立」の主張とはならない(そもそもこの「共識」自体が、言葉が重視される政治・外交の世界にあって「言葉の上」に入れ込みすぎないよう水をさすような内容に思え、興味深い)。

 そうして次の「台湾についてもっとも誇りに思うことは?」という質問には端正な筆跡で「民主自由」と記したのだった。有権者としてやる気満々といったところか。

 この男性の回答から、彼が、「台湾独立」という言葉よりも、いまのこの暮らしができる台湾という実質のほうをだいじにしていると考えるのは、決して横車の押しすぎではないように思うが、いかがだろう。ここにもまた、理念先行型の思考にこり固まらないしなやかさが見てとれるのである。

 見方によっては無節操と否定的にとられるかもしれないが、私はむしろ、この台湾人気質をこれからの世界のためにも称揚したい。

 なぜならそれは、私が台湾から受け取ったもうひとつのだいじなレッスンである、共に生きるためにゆるす知恵、にもつながるのだから。

 私がここに素描した台湾像もまた報告者(私)の願望のようなものに影響されているにちがいない。アンケートの使い方ひとつとっても、いわゆるチェリーピッキング(都合のよいデータを選んで使うこと)に近い操作をしていることもあるだろう。

 ただしそれは、まったくの結論ありきで純度100%の願望に現実を合わせて描いた姿ではない。私の好きな数学用語を使うと、少なくとも漸近線――延ばせば延ばすだけ対象に接近するが、ついに接触することはないいじらしい曲線――を引き始めたくらいの手ごたえはもっている。こんなに楽しく刺激に満ちた旅をさせてくれた台湾の人たちに心から感謝し、これからもみなさんが笑顔でいられるよう願ってやまない。  

(了)

(※1)『台湾事件簿 国民党政権下の弾圧秘史』(林樹枝著・平岩一雄訳/社会評論社)

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 第三回
台灣無事行 イントロ ~路上の声から考える~

平和を実践するためにスペイン、韓国など世界の大地に自転車を走らせ、亡命者や難民との邂逅を通して思考をめぐらし続ける──。 ノンフィクション作家の前川仁之氏は『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』など、他者との共生と平和の希求をテーマに、独自の世界観を持つ作品を発表してきた。 前川さんが今回赴いたのは、台湾。台湾有事が叫ばれる今、この島の人々は何を思い、暮らしているのだろうか。自らのルーツでもある琉球弧をつたい、台湾の路上の人々の声を集め、その無事の未来を考える短期連載。

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プロフィール

前川仁之

まえかわ さねゆき

ノンフィクション作家。1982年、大阪府生まれ。埼玉育ち。東京大学教養学部(理科Ⅰ類)中退。人形劇団員、警備員等を経て、立教大学異文化コミュニケーション学科卒。2014年、スペインの音楽家アントニオ・ホセの故郷を訪ねてその生涯を辿った作品で開高健ノンフィクション賞の最終候補となる。著書に、亡命者や難民の境遇を追った『逃亡の書 西へ東へ道つなぎ』(小学館)、『人類1万年の歩みに学ぶ 平和道』(インターナショナル新書)、『浄土真宗「道場」の四季 北陸・福井に残る真宗信仰の古層』(宗教問題)などがある。

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牡丹社事件と清末の偉人たち

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