なぜ働いていると本が読めなくなるのか 第5回

1950~60年代の読書と労働―「サラリーマン特化本」のベストセラー化

三宅香帆

1.1950年代の「教養」をめぐる階級差

●ギャンブルブームの戦後サラリーマン


この連載の冒頭では、労働の合間にスマホで「パズドラ」をする姿を描いた映画『花束みたいな恋をした』を引用した。が、スマホがなかった時代――戦後日本においても、「パズドラ」はなくとも、「パズドラ」に代わる娯楽は多々登場していた。というか、戦後こそ、日本における本格的な商業的娯楽が到来する時代だった。

そう、戦後ブームを起こしたもののひとつが、ギャンブルだった。

戦前は若いサラリーマンや労働者にも相当普及して、元気のいいのが碁会所へ来ていたものだが、思うにあの連中、もしくはあの連中の後継者たるべき若者はパチンコとか競輪に熱をあげているのだろう。

特にパチンコ屋と町の碁会所とはその簡単なヒマツブシという点で甚だ類似した性格があるから、碁会所へ通う可能性の青年はパチンコ族になったと見てよかろう。パチンコ屋で一番根気よくねばっているようなのが昔なら碁席の常連になっているのかも知れない。

(坂口安吾「碁会所開店」『明日は天気になれ』収録、1953年)

1950年代に発表された坂口安吾の小説には、はっきりと「昔は囲碁を娯楽として楽しんでいたサラリーマンや労働者たちが、今はパチンコや競輪に向かっている」と書かれている。つまりはギャンブルだ。

ちなみに競輪に関しては、戦後の復興資金の調達のために政府主導で始まった娯楽だった。既に人気になっていた競馬に続く競輪は案の定人気になり、1950年代には60以上の競輪場が日本に建設されたという。

そしてパチンコに関しては更に身近な娯楽、というかギャンブルになった。戦前は子供の遊びのような存在だったパチンコが、戦後「正村ゲージ」という釘配列を発明し、1950年代には大人が熱中するギャンブルと化していったのだ。たしかに坂口安吾の小説には、しばしば娯楽の代表のひとつとしてパチンコが登場する。

教授会で彼が話題になったとき、誰かが言った。

「しかしだねえ。彼は酒を知らず、タバコを知らず、映画を知らず、ダンスを知らず、パチンコを知らず、女を知らず、しかも飽くことなく校門をくぐり必ず教室に出席しとるよ。何年おいても同じことだね。したがって、四年目には静かに校門より送りだすべきであろうと思う」

(坂口安吾『牛』1953年)

お酒やタバコ、映画やダンス、女性……ここまでは戦前も登場していた趣味だっただろう。だがここに「パチンコ」が入ってきたのは、戦後になってからだった。

「若者が真面目であること」の表象のひとつとして、パチンコをしないこと、が挙げられる時代だったのだ。

パチンコもあり、映画もあり、お酒も楽しめる時代に、はたして労働している人々が、本を読む時間はあったのだろうか? 今回はそこを読み解いていこう。

●「教養」を求める勤労青年

戦後の読書層について調査した久井英輔は、1950年代の読書の実態について、官公庁や大企業の事務員をやっているサラリーマン層と、農業や工場の労働に従事している労働者階級では、とくに書籍においては普及率が異なることを示す。しかし一方で、雑誌はかなりどちらの層も読んでいるのだった。つまり「新中間階級は本も買い雑誌も買うが、労働者階級は雑誌を買うようになってきた」という傾向が見られるのだ。

私は大正時代からはじまる教養主義について、第三回で以下のようにまとめた。

つまり私たちが現代で想像するような「教養」のイメージは、大正~昭和時代という日本のエリートサラリーマン層が生まれた時代背景によって生まれたものだった。労働者と新中間層の階層が異なる時代にあってはじめて「修養」と「教養」の差異は意味をなす。だとすれば、労働者階級と新中間層階級の格差があってはじめて、「教養」は「労働」と距離を取ることができるのだ。

(「大正時代の読書と労働―「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級」)

そう、大正時代から戦前にかけては、「教養」はエリートのためのものだった。

だがじわじわと、戦後、労働者階級にも「教養」は広がっていく。それはまさに、労働者階級がエリート階級に近づこうとする、階級上昇の運動そのものだったのだ。

人生雑誌への掲載が優越感をもたらし、低学歴のコンプレックスをいくらかでも和らげたであろうことは、容易に想像できよう。実利や学歴を超越した「生き方」「教養」への志向が、相当な倍率の選別を経て、編集部に承認される。それは、学業優秀ながら高校や大学に進めなかった勤労青年読者の鬱屈を和らげ、その自尊心を少なからず満たすものでもあった。

(福間良明『「働く青年」と教養の戦後史 「人生雑誌」と読者のゆくえ』筑摩書房、2017年)

これは1950年代の「勤労青年」たちの雑誌投稿について、社会学者の福間良明が綴ったものである。1950年代、学生たちははっきり二つの進路を選ばざるを得なかった。就職組に入るか、進学組に入るか。1955年には高校進学率が51.5%になっていた。2人に1人が就職する時代だ。むしろ高校進学率が低かった時代と比較して、家計の事情から就職せざるを得なかった人々の鬱屈は増した。

その鬱屈は、定時制高校に働きながら通う人々の多さにも表れた。60年代半ばまでに50万人を超えたという彼らが求めるのは、「教養」だったのだ。しかし定時制高校に通える時間のある人々ばかりではない。そんな彼らが読むようになったのが、当時流行していた「人生雑誌」だったという。

「葦』や「人生手帖」といったいわゆる「人生雑誌」は、学歴や就職を度外視した「教養」について語る内容が多かった。なにより特別だったのが、読者の投稿を掲載していたことである。農村にいる勤労青年、女性たちの内面はそこで吐露された。あるいは文通欄を設けた。そう、雑誌が、一種のコミュニティ――今で言えば同じ状況をシェアするSNSのような存在を果たしていたのである。

人生雑誌には「農村では親によるいつまでも電気をつけて本を読んでいることを咎められる」という投稿や「農村の嫁にももっと自分の時間がほしい」という声、「農家の次男は学歴がないのに就職しなくてはならず、困っている」という叫びが掲載されていた。そのような鬱屈を共有できる場として、雑誌があったのである。

「教養」は、家計の事情で学歴を手にできなかった層による、階級上昇を目指す運動の手段だった。学歴が階級差として存在していた当時、そこを埋めるのは、学問そのものだったのである。

●紙の高騰は「全集」と「文庫」を生んだ

もちろん旧制高校、あるいは大学を卒業していた都市部のサラリーマンたちも、戦前から引き続き、同様に「教養」を求めていた。世は空前の教養ブームだったのである。戦前の「円本」ブームの再来かのように、戦後、「全集」ブームがまたしてもやってきた。

1953年には角川書店から『昭和文学全集』、新潮社の『現代世界文学全集』、河出書房から『現代文豪名作全集』など、立て続けに全集が刊行される。

というのも実はこの全集ブームにはある社会状況が関係しているのだ。

1951年、戦時中から続いていた用紙の割当制が、ついに廃止された。すると統制が解かれた紙価は高騰した。紙が高くて、売れる本が少なければ、出版社はやっていけないのだ。どんどん懐事情が厳しくなっていった出版社は、「ベストセラー」を生もうと奮闘する。ちなみに「ベストセラー」という単語が日本で広がったのは、戦後1950年代のことだった。

そう、懐事情が厳しくなった出版社は、戦前の「円本」ふたたび、と狙ったのである。その狙いはまんまと大当たり。「円本」と同様に新しい家のインテリアとして、「全集」は大量に購入された。

ちなみに現在まで続く「文庫」の誕生もこの時期だった。紙が高くなり、とにかく少ない紙で本を発行するために考えたアイデアが、すでに売れている本の文庫化――普段より小さい紙での刊行――だったのである。なんとも商売魂のこもった話だ。

時代はラジオでNHK紅白歌合戦が始まり、手塚治虫が漫画を描き、テレビ放送が始まろうとするタイミング。そう、本格的に「余暇」を埋めるエンタメが、「本」以外に増えようとしている頃だったのだ。

2.サラリーマン小説の流行

●源氏鶏太のエンタメサラリーマン小説

1950年代、つまり戦後のサラリーマンの新しい娯楽。それは「パチンコ、株、そして源氏鶏太のサラリーマン小説」だといわれていたと社会学者の鈴木貴宇は説明する。

パチンコは先述した通り、そして株もまた1950年の朝鮮戦争特需、1951年の信用取引制度と投資信託の導入によって、日本の株式市場は大衆にとって身近なものになっていった。しかし小説もまた、「新しい娯楽」なのだろうか。

ここには「源氏鶏太」という名前が入ることが、「新しさ」なのである。

というのも、それ以前のサラリーマンの読書といえば、「教養」一辺倒だった。具体的にいえば、岩波書店の翻訳モノ。あるいは哲学的な思索を考えさせる、教訓のある小説。あるいは戦争や貧困についてのルポタージュ。戦前のベストセラーを見ても、その傾向は強い。

しかしここにきて登場したのだ。

「サラリーマンのためのエンタメ小説」が。

茂木さんは大学を出ていなかった。大学どころか小学校を出て、あとは斎藤博士の正則英学塾に学んだだけである。そのあと、どんな苦労をして英語を勉強したのか不明だが、英語にかけては達人と自認し、またその実力があった。外人との交渉にも、会社に茂木さんがいる限り決して不自由をしない。それほどの茂木さんだが、ついに今日まで、嘱託から職員にして貰えなかったのは、学歴の関係もあろうが、もっと大きな理由は、どうやら次の挿話でわかりそうである。

数年前に或る新入社員がやはり茂木さんにやり込められたのである。ただし、その時は、あばたもえくぼ、ではなくて、番茶もでばな、の英語であった。その新入社員は、得意げに引きあげていく茂木さんのうしろから、

「やい、ペーパー・ドッグめ!」

と、口惜しまぎれにいったのである。

(源氏鶏太「英語屋さん」『英語屋さん』1954年発表)

これは直木賞を受賞した『英語屋さん』の一場面である。「茂木さん」は57歳の「英語屋」つまり通訳者であり、会社の嘱託である。この、職員ではなく嘱託であることを茂木さんはいつまでも悔いており、職員にしてもらえなかったことをいまだに不満に思っている。

そんな茂木さんは新入社員に「おい、君は大学を出たんだってね」と訊ねる。相手が頷くと、「英語はさぞかしうまいんだろうね」「ぜひひとつご質問させていただきたいんだが」と、茂木さんは英語でこのことわざは何というのか? と問う。

もちろん新入社員は答えられない。茂木さんは、そんなことをし続けているのであった。

しかしそんな茂木さんに、「ペーパー・ドッグめ!」と言う新入社員が現れた。

茂木さんは分からないまま、意味を訊ねる。

「ペーパー」は、紙。「ドッグ」は、犬。つまり、

「紙犬?」

「イエス。すぐ、誰にでも見さかいなしにきゃんきゃんと噛みつく犬。略して、噛み犬。わかったらしいね。英語屋のくせに、何んも知らんらしいね。困るね。ダメだね。もっと――」

(『英語屋さん』)

と、新入社員は茂木さんの口調を真似て言うのだった。

このように源氏鶏太の書く小説は、基本的にサラリーマンおよびサラリーマンの家庭を主人公に据え、日常的な物語が基本である。そこにあるのは、読みやすく、キャラクターもわかりやすい、サラリーマンのための小説なのだ。

源氏鶏太の小説は、雑誌に一回ずつの読みきりを連載する「読み切り連載」をとることが多いのも特徴だ。つまり、サラリーマンが雑誌で、前のあらすじを覚えてなくとも読める小説になっている。

結果として源氏鶏太は、松本清張・井上靖と並んで「ベストセラー三人男」と呼ばれ、文壇高額所得番付にランクインするほどの人気作家になった。正直、今読むと小説としては物足りないところもあるのだが(「ペーパードッグ」で「噛みつき犬」って、どうなんだそのセンスで同僚を貶めるのは……! と思わなくもない)。しかしサラリーマンが日常の合間に読みやすい、カラッと明るい小説であることはたしかだ。

さらにサラリーマンの日常を描いた軽めの小説は、映画化されやすかった。源氏鶏太の代表作である『三等重役』(毎日新聞社)は映画化され大ヒットしたのだった。

このようなサラリーマン向けエンタメ小説が流行するに至ったのも「教養のためと言うよりも娯楽のために、サラリーマンが気軽に読める本」という需要が高まっていたからだろう。

●読書術の刊行が示す「読書危機」

1960年に刊行された、評論家の加藤周一の『読書術』では、さまざまな読書法について触れられている。なかでも印象的なのが、「通勤電車限定の読書をしろ」という部分だ。

片道1時間の通勤を前提とし、加藤は「月に48時間、つまり1年のうち1か月は電車の中にいるんだから、その時間を読書にあてるべきだ」と説く。その読書は満員電車のなかでめくらずに済む外国語の暗記はどうだ……と言っているのだからちょっとその勉強意欲に舌を巻くが、実際通勤電車のなかで往復2時間過ごすことが当然のように語られているのだ。そりゃスマホもない時代、雑誌や本を読んで過ごさざるを得ないのも当然だろう。パチンコも株も、電車の中ではできない。さらっと読めるサラリーマン小説が求められる理由もよく分かる。

また加藤の読書論は「テレビ・映画は受動的、読書は能動的」と、映像と読書を対比させているのも特徴的な点である。ある意味、これは「読書がテレビ・映画に取って代わられる」危機感のあらわれでもあるのではないか。

ちなみに同じ年の1960年にショーペン・ハウエルの『読書術』が岩波文庫から翻訳刊行されている。読書によって自発的な活動をしていこう! と読書の具体的なメリットについて哲学的に語ったこの本がこの年に刊行されたということは、ますますもって、読書そのもののメリットってどこにあるのだ? という問いが強く抱かれていた証ではないか。

読書の効用や方法について何の疑いも挟まなければ、「読書術」なんて必要ないはずなのだ。しかし読書が他の娯楽に圧迫されているからこそ――とくに「教養」を受け取るための勉強的な読書であればあるほど――「読書術」がこの時期に刊行されることになる。

それはテレビや映画の普及、そしてなにより、労働があったからだ。

●日本史上もっとも労働時間の長いサラリーマンたち

加藤周一の『読書術』が刊行され、源氏鶏太の小説『天下を取る』が石原裕次郎主演で映画化された1960年。厚生労働省の「毎月勤労統計調査」によると、1960年の労働者1人当たりの平均年間総実労働時間は2426時間だったという。

ちなみに2020 年の労働者1人当たりの平均年間総実労働時間は1598 時間なのだから、さすがに働きすぎである。現代の1.5倍は働いている。

どこにそんな時間があったのかというと、まず当時は祝日がほぼ、なかった。つまりお盆やお正月の長期休みはほとんどなかった。日曜は休んでいただろうが、それにしたって有給なんて概念もない。

当時の首相・池田勇人が国民所得倍増計画を発表し、4年後の1964年には東京オリンピック開催が迫り、そのインフラ整備の為に都市部の工事や企業が大量に新規採用していた時代。日本人はとにかく働いていた。労働時間は実はこの時がピークなのである。

だからこそ、1950~1960年代においては余暇も、職場のコミュニケーションを深めるためのレクリエーションに使われることが多かったと社会学者の小澤考人は指摘する。

当時、昼休みのスポーツ、社内旅行、そして運動会、あるいは休日のハイキングが盛んに催された。数少ない休日も、職場のレクリエーションで埋まることが多かった。もはや家族のような関係性を築く日本の企業文化は、高度経済成長期の余暇の使い方にもあらわれているのだ。

源氏鶏太の小説を読んでいると、職場の人間関係の問題が、頻繁に登場する。というか、ほぼそれしか書いていないに等しい。しかしそれもそのはず、当時は余暇も職場の人と過ごしていたのだ。そりゃ当時のサラリーマンの心を掴むには、職場の人間関係どうするか、を書くのが一番だよな、と頷く。

やや困った上司や同僚を、スカッとこらしめる。しかし彼も悪人ではなく、最後にはユーモアのある落としどころで終わる。そんな小説が読まれた背景には、東京オリンピックを前にした空前の労働時間が存在していたのだろう。

3.ビジネスマン向けハウツー本の興隆

●カッパ・ブックスの誕生

さて、そんな忙しい高度経済成長期のサラリーマンに、本を買ってもらうためにはどうしたらいいだろうか。

1961年に100万部を超えるベストセラーを輩出した出版社がある。

「作家」というよりも「出版社」が輩出したベストセラーだ。

それは、『英語に強くなる本――教室では学べない秘法の公開』(岩田一男、光文社)だった。そう、英語学習のハウツー本である。

これは神吉晴夫という編集者が率いた光文社の「カッパ・ブックス」というレーベルの本だった。

それは当時存在していたインテリ向けの岩波新書に対抗し、「インテリとは違う、新たな読者層を掘り起こす」ことを狙って立ち上げた新書レーベルだった。

「カッパ」シリーズは、「カッパ・ノベルス」「カッパ・ホームズ」といったレーベルも生みだし、ベストセラーを次々に生み出してゆく。実は松本清張の『点と線』『ゼロの焦点』『砂の器』(いずれも100万部超えというのだからすごすぎる)もこのレーベルだった。あるいは70年代にはいるが、塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』『続冠婚葬祭入門』もいずれも150万部超え。そして小松左京の『日本沈没』に至っては200万部超えという数字を叩き出したレーベルなのである。

その先駆けとなる『英語に強くなる本』は、編集者と作者ががっつり組み、そのうえで漫画も入れながら、笑える例文の詰まった英語学習のハウツー本となった。

ビジネスマン向けハウツー本の流行

『英語に強くなる本』の新聞広告には、「これからのビジネスで英語に弱いと仕事に自信がもてない」という文が入っていた。それはつまり、忙しいサラリーマンを振り向かせるための広告だっただろう。カッパ・ブックスは、とにかく広告を出すことが特徴だった。

小説は読む時間がなくとも、これからのビジネスに必要な英語は学ばなくては。そんなニーズを汲んだ本書は、100万部を超える部数を叩き出した。

戦後に誕生した、ビジネスマン向けハウツー本の、ベストセラー化である。

このようにカッパ・ブックスは、徹底的に、従来の岩波新書的な「新書」イメージの逆をいった。

本のサイズは新書だが「新書」という言葉は使わなかった。あるいはタイトルもわかりやすいものに限定した。たとえば1961年のベストセラーである『記憶術――心理学が発見した20のルール』(南博)、『頭のよくなる本――大脳生理学管理法』(林髞)、『日本の会社――伸びる企業をズバリと予言する』(坂元藤良)はどれもカッパ・ブックスから刊行されたものだ。しかしこのタイトルを見るだけで、現代のビジネス本のタイトルの源流がここにあることがよく分かるだろう。

そう、カッパ・ブックスの誕生と流行により、「本」は、インテリ階級に限られるものではなくなったのだ。仕事に追われる労働者たちにとっても、身近で、役に立つものになった。

●「本」を階級から解放する

現代に至るまで、「読書」には二種類の意味がある。「感じるための読書」と「知るための読書」だ。

前者は小説や哲学書を通して、面白さや楽しさ、あるいは切なさや葛藤を感じる体験をさせてくれる娯楽である。

後者はなんらかの知識を与えてくれる情報源のことだ。これは戦前、教養をはじめとした学問の知識を授けてくれる、先生のような存在だった。

しかし戦後、カッパ・ブックスの登場によって、「本」は明日のビジネスに役立つかもしれない知識を授けてくれる存在にもなる。

つまり読者は、明日役に立つ知識を知るために、読書をするようになったのだ。

英語に強くなる方法も、頭のよくなる方法も、記憶術も、伸びる企業の予言も、いずれも、敷居の低い知識を教えてくれる。それは「本」をインテリ階級から解放する行為でもあった。

階級が低くても、時間がなくても、労働で生活が埋め尽くされていても、それでも大丈夫なように設計された、「本」を読ませる仕掛けだった。

いうなれば源氏鶏太の小説も同様だ。あまり小説を読み慣れていない、難しい漢字が入っていないほうが楽に読める層に向けて、彼は小説を書いている。それはまさに、小説を大衆向けに、階級差から解き放つ行為だった。

雑に言ってしまえば、高度経済成長期の長時間労働は、日本の読書文化を、結果的に大衆に解放したのである。サラリーマンが増えた時代、出版社は余暇時間の少ないサラリーマンに売るために、サラリーマンに特化した本――つまり「英語」や「記憶力」を向上させるハウツー本や、読みやすくて身近なサラリーマン小説を誕生させたのだ。みんな働いているのだから、働いている人向けの本を出すのが、いちばん売れるのだから。そしてそれは結果的に、労働者階級に読書を解放する。読書が大衆化し、階層に関係なく、読書するようになる時代の到来である。

●勉強法がベストセラーになる時代

冒頭で言及した『花束みたいな恋をした』の主人公である麦くんは、労働の余暇に、パズドラをして、書店で起業家の前田裕二が書いた自己啓発本『人生の勝算』を手にしていた。

もしかすると、それは1960年代であれば、労働の余暇に、パチンコをして、書店で『頭のよくなる本――大脳生理学管理法』を手にするようなものだったのかもしれない。そしてそういう人は大量にいたのだから、時代が変わっても、案外私たちのやることは変わらない。

それでもあえて変化した点を見出すとすれば、当時はまだ、ベストセラーになるタイトルが「頭の良さ」や「記憶力」や「英語力」だったのだ。つまり成功する一要素として「勉強ができること」があったんだな、という印象を受ける。

2020年代の麦くんが「人生の勝算」、つまりもはや頭の良さとかどうでもよくて、ただ人生で「勝つこと」を志向するに至るまでには――もう少し、50年以上の時の流れを見て行かなくてはいけない。

次回へつづく)

〈参考文献〉
坂口安吾『坂口安吾全集 13』筑摩書房、1999年
久井英輔「戦後における読書行動と社会階層をめぐる試論的考察 : 格差の実態の変容/格差へのまなざしの変容」(『生涯学習・社会教育学研究』29、2004年)
澤村修治『ベストセラー全史【現代篇】』(筑摩書房、2019年)
福間良明『「勤労青年」の教養文化史』(岩波書店、2020年)
福間良明『「働く青年」と教養の戦後史 「人生雑誌」と読者のゆくえ』(筑摩書房、2017年)
鈴木貴宇『〈サラリーマン〉の文化史 あるいは「家族」と「安定」の近現代史』(青弓社、2022年)
源氏鶏太『英語屋さん』集英社文庫、集英社、2018年
加藤周一『読書術』岩波現代文庫、岩波書店、2000年
ショウペンハウエル著、斎藤忍随訳『読書について 他二篇』岩波文庫、岩波書店、1983年
小澤考人「近代日本における「余暇」の問題構成」(『ソシオロゴス = Sociologos』27、2003年)

 第4回
第6回  
なぜ働いていると本が読めなくなるのか

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではない。しかし、それは現代だけの悩みなのだろうか。書評家・批評家の三宅香帆が、明治時代から現代にかけての労働と読書の歴史を振り返ることで、日本人の読書観を明らかにする。

プロフィール

三宅香帆

みやけ かほ 

作家・書評家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。著作に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!?人生おたすけ処方本』(幻冬舎)、『妄想とツッコミで読む万葉集』(だいわ文庫)、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)、『それを読むたび思い出す』(青土社)、『(萌えすぎて)絶対忘れない!妄想古文』(河出書房新社)。

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1950~60年代の読書と労働―「サラリーマン特化本」のベストセラー化