プラスインタビュー

「異色の登山家」栗城史多氏をなぜ追ったのか

『デス・ゾーン』著者・河野啓氏インタビュー【前編】

河野啓

第18回開高健ノンフィクション賞を受賞し、2020年11月に刊行された『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)。2018年に亡くなった「異色の登山家」とも称される栗城史多氏を描いて注目を集めている。

栗城氏は「夢の共有」というキャッチコピーを掲げて登山の様子を動画配信するなど、従来の登山家のイメージには収まらない型破りな活動を続け、話題を呼んだ人物だ。その活動には激しい毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)()がついて回った。

本書の執筆に至ったきっかけとは何か。そして、この本を通して世に訴えたかったメッセージとはいかなるものか。著者である河野啓氏へのインタビューを前・後編に分けてお届けしたい。

 

――まずは、なぜ栗城史多さんについてノンフィクションを書き始めようと思われたのか、執筆の経緯について教えてください。

河野 2008年から2009年にかけての約2年間、勤務する北海道放送でドキュメンタリー番組制作のために栗城さんを密着取材していました。しかしその後はずっと疎遠になっていました。

それから約10年が経って、2018年に突然の訃報を聞いて驚いたんですね。それも、エベレストの登山中に亡くなったと。

理由については主要なメディアが報じてくれるんだろうなと思っていたんですけれども、少なくともテレビから聞こえてきたのはお悔やみの言葉ばかりで、それがなんとも薄気味悪く感じました。しかも、当初は死因については「低体温症」という誤報だった。その後、だんだんと詳細がわかってきても、「滑落死」と「体調不良」という2つのキーワードが繰り返されるばかりでした。

僕の中では、彼は登山家というよりも、登山を観客に届ける「エンターテイナー」でした。「ただ登るだけじゃつまらない」と言い放ったこともあります。もう登山は引退しているのではないかとも思っていました。それなのに、なぜ彼は亡くなる直前までエベレストに挑み続けたんだろうという、その理由を知りたくなったというのがまず一番の動機です。

そしてもう一つの理由ですが、僕はかつて短い期間、彼のことをブログに書いていたことがあります。その反響が、予想を遥かに超えて大きかった。知らない間に彼が非常にビッグな存在になっていて、僕のような無名のテレビマンのブログにあれだけの反応が来たことに本当にびっくりしたんですね。

10年前の栗城さんのイメージは、世間的に知名度が上がってきていながらも、取材の約束を破ったり、番組制作の途中で音信不通になってしまったりする「困ったおにいちゃん」というもの。

その後、ネットを中心に激しいバッシングを浴びるようにもなっていて、そのことも僕はまったく知りませんでした。

その10年の間に、彼に一体何が起こったんだろう。栗城さんの「空白の10年間」を知りたいなあという思いが、取材を始めるきっかけになりました。

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デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場

プロフィール

河野啓

1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年北海道放送入社。ディレクターとして、数々のドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組(『学校とは何か?』〈放送文化基金賞本賞〉、『ツッパリ教師の卒業式』〈日本民間放送連盟賞〉など)を担当。著書に『よみがえる高校』(集英社)、『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館、第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)など。『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』で第18回開高健ノンフィクション賞を受賞。

 
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