無条件で生きていることを肯定してくれる懐の深さ
──一之輔師匠は高校一年生のとき、ラグビー部を辞め、そこはかとない挫折感を抱えながら、ふらりと入った浅草演芸ホールで落語に目覚めるわけですが、落語のどこに惹かれたのでしょうか。
一之輔 怠惰な空気感ですよね。あんな居心地のいい空間、他にないじゃないですか。高校生の僕が行くのはだいたい休日の昼間なので、そこそこ客は入ってるんです。でも、演者もしゃかりきさがないし、客も真剣に聴いてるんだか聴いてないんだかよくわからない。刺激の少ない、ぬるま湯な感じが肌に合いましたね。
──亡くなられた立川談志師匠の名言の一つに「落語は業の肯定だ」というものがあります。師匠が惹かれたのは、落語のそういうところでしょうか。
一之輔 それはすごくわかりますね。落語って、無名のダメな人ばっかり出てくるじゃないですか。そのうち、オレもこれでいいんだな、みたいになってくるというか。人間というだけで無条件で生きていることを肯定してくれるようなところがありますもんね。めちゃめちゃ懐が深い。
──個人的な話で恐縮ですが、私の中で、3本の指に入るくらい感動した落語の名演があったんですよ。でも、そのとき落語が初めてだという友人と一緒で、その友人は横でずっと寝ていました。それがショックで……。
一之輔 落語ってね、向き不向き、ありますよ。落語で寝ちゃうのって、わかるな。どんなにおもしろい芸でも、一人がおしゃべりしているだけですからね。ライブとか漫才のような強さはない。弱い芸なんだと思います。なので一度、シャッターが下りちゃったら、もうダメでしょう。頭に話が入ってこないし、頭の中に想像が広がっていくこともない。でも、そこを無理に聴こうとする必要もないんじゃないかな。
──師匠が一度、落語は話芸よりも音楽に近いんじゃないかという話をされていて。その説でいくと、うまい落語ほど眠気を誘うものなのかなと思ったりもしまして。
一之輔 それはあるかもしれませんね。子守歌じゃないですけど。落語は何度同じネタを見ても飽きないというのも、好きな音楽は何度でも聴きたくなるのと似ていますしね。
【中編へ続く】
取材・構成/中村計
撮影/今津聡子
プロフィール
落語家。1978年、千葉県野田市生まれ。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。2012年、異例の21人抜きで真打昇進。寄席から全国各地の落語会まで年間900席以上もの高座をこなしながら、ラジオ・雑誌ほかでも活躍。