「仕事に疲れて休みの日もスマホばかり見てしまう……」「働き始めてから趣味が楽しめなくなった……」。そうした悩みの根本を読書と労働の歴史から解き明かし、発売1週間で10万部を突破した『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆 著)。
その刊行を記念して、芸人・YouTuber・ラジオパーソナリティとして活動しながら、ドラマや映画などのコンテンツを紹介している大島育宙氏と、著者の三宅氏が対談。エンタメ業界に身を置く大島氏から見た「働いていると本が読めない」社会の実態とは?
忙しすぎて本が読めない現代人
三宅 この書籍の元になる連載がはじまったとき、大島さんがラジオでいち早く紹介してくださって、とても嬉しかったんです。実は私、大島さんとほぼ同い年で、勝手に親近感を持っています(笑)それもあって、今日このように対談させていただくことになりました。
大島 ありがとうございます。自分が高校生のとき、周りの大人を見てて、明らかに今の生活と変わって本が読めなくなるだろう、という恐怖を持ったんです。それがそのままタイトルになっている連載だったので、興味を持って読み始めました。
三宅 うれしいです。以前インタビューで大島さんが「働いたら好きなコンテンツを見れなくなるから、どうやって働きながら好きなものを見続けられるのかを考えた結果、こういう仕事を選んだ」とおっしゃっていたことが印象に残っていて。
大島 いつも言っていますね。とはいえ、芸人は自由な仕事のようでいて、かなり働き方が固定化されているんですよ。だいたいの芸人が賞レースで結果を残して人気者になることを目指しているし、バラエティ番組での役割やポジションも決まりきっている。「エンタメ資本主義」とでもいうべき体制が確立されているわけです。
三宅 エンタメ資本主義! すごい言葉。
大島 自分で仕事を選べる人はごく少数で、明石家さんまさんみたいな超大御所か、フワちゃんみたいな独自のポジションを築いている芸人に限られると思います。ほとんどの芸人は普通の労働者です。それに、自由に生きているように見えるTikTokerやYouTuberでさえ、裏側では、ほとんどビジネスマンのような仕事をしていますね。
三宅 実際芸人さんの活動を観ていて、自由なようでいてめちゃくちゃ忙しいんだろうなと思うときがあります。
大島 そうなんですよ。だから、エンタメの世界で表舞台に立っている人のほとんどはインプットする時間が取れなくて、バズった動画でトレンドを確認するぐらい。読書なんて出来ないように見えます。
三宅 こうやって働きながら本を読めない社会になっていくわけですね……
大島 もっというと、カルチャーとかエンタメの制作の現場にいる人たちのなかでも、本とか映画とかに対する接し方が二極化している気がします。まず一つは、「最新のコンテンツだったら一通り全部観ている人」ですね。ほかのスタッフに「そんな短い時間でよくそんな全部観てますね!」みたいなことを言われているタイプ。言い方は悪いですけど、「ミニ佐久間(宣行)さん」みたいな人がいっぱいいるんです(笑) バラエティやラジオやYouTubeをバリバリやっているのに、誰よりも作品を観ている佐久間さんはすごいけど、残念ながら誰も佐久間さんみたいには上手くできていない(笑)
三宅 いわゆる「インプット上手」みたいなことですよね。もう一つは?
大島 「何かの徹底的なオタク」というポジションです。一つのことは詳しいけど、「あの人は〇〇専門だから、ほかのものの話は通じないよ」と言われるタイプ。どちらも、それぞれで悪いことだとは言わないまでも、その中間の、自分の興味に応じて普通に映画を観たり本を読んだりしている人がいないんです。なんでかというと、極端なことをしないとキャラが立たなくなっちゃうから。特にエンタメが生活の中心になってる人は、仕事をしながらカルチャーが好きな自分としてのアイデンティティを確立させようとすると、そうなってしまいがちなんですよね。
三宅 なるほど、コンテンツが自己紹介の手段になっているわけですね。カルチャーを通して誰かと繋がる分には楽しいですけど、そればっかりになると余計しんどくなると。
大島 自分が芸人になったときも、本を読む量が減った実感がありました。芸人やエンターテイメントの世界で働く人でさえそうなのだから、どんな仕事でも同じだろうという実感はすごくあります。
感想をシェアできない作品は見ない?
三宅 ちなみに大島さんはどういう本がお好きなんですか?
大島 広くなんでも読むタイプですね。売れてるエンタメも読むし、自己啓発的なものも手に取ってみたりはするし、古いものも好きですね。古典文学なども折に触れて読みます。仕事と関係ないから読んでいて楽しいですね。
三宅 なるほど。いつも、ドラマの考察や評論をされているので、本の書評や評論も書いてみてほしいなと思っちゃいますが。
大島 難しいところで、本の紹介ってなかなか注目を集めにくくて、YouTubeでも再生回数が回らないんですよね。正直に言えば、仕事につながりやすいジャンルではもうないな、という判断をしているんです。本の魅力を伝えるのにも、今のトレンドに乗っからないとバズらない。
三宅 本屋大賞の受賞作なら……みたいな。
大島 この辺りの判断は僕もマーケティングに流されていると自覚はしているんですが……ただ本について、同じような温度で話すことのできる同世代の書き手や話し手がほとんどいないに等しくて、本を読むことを大事に扱う共通感覚が失われているのは寂しいですね。もっと言うと、温度が高い人がいないことによって業界の衰退が確定しているのではないかと思ってしまう。読書とか本を書いたりするっていうこと自体が、もうすごくマニアックなことになっている。
コスパ主義に侵食される読書と映画
大島 実は、三宅さんが読書について書かれたことは、僕は映画でも同じだと思っています。
三宅 映画を観る時間が無くなってる、ということですか?
大島 そうですね。観る時間がないのに、発信されるものが多すぎる。それだと過去の名作に触れる時間がないんですよね。
三宅 先日、『海がきこえる』が渋谷でリバイバル上映されていたので、見に行ったのですが、平日の昼間でも若い子だらけで満員だったんですよ。そのとき、逆にこの作品を観たことがあり懐かしんでリバイバルを観にくる人よりも、「過去のジブリ名作を渋谷で限定リバイバル上映!」という体験をするエンタメとして観に来てる若い子のほうがずっと多いんだな、と感じたんです。その話につながるかもしれません。
大島 たしかに。ただ、それも、ファッション的に観に行く人が多いと思うんです。見たことをSNSに載せて「いいね」をもらいたいというゴールが見えている行動ですよね。
観ることは豊かなことだけど、ゴールが見えてないと行動のコスパが悪いと思う時代になっている。というのも、若い人を見ていると、彼らが今、一番嫌がるのは、作品を見たことを共有する相手がいないことだと思うんですよ。映画は観るのに時間がかかるコンテンツなので、下手すると自分しか観ていない映画は、共有できないわりに時間を奪われるからコスパが悪いと判断されてしまう。映画はすでにコスパ重視の流れに完全に巻き込まれている気がしますね。
コスパ主義を作り出すSNSの「インタラクティブ性」
三宅 どうして、今はコスパ主義に陥るほど時間がないんでしょう。コンテンツが多いからですかね?
大島 いろいろ理由があると思うんですけど、感想を発信をしなきゃいけないという呪縛があるんじゃないかと。SNSのインタラクティブ性が人の時間をとてつもなく奪っている。
例えば、1時間後にスマホを開いたら100人の友達がその日あったことをつぶやいて、それに対して100回の感想を持つ作業が生まれるわけです。そうしないと何かサボっているような気にさせられる。それに飲まれているのが、今の時代の特殊性ですよね。ネット社会の中で一人前だと認められるための最低発信量が、一人の人間で背負える量を超えている。
三宅 たしかに。今回の本の最終章で『疲労社会』という本を引用しました。私たちは、誰かに強制されて長時間労働をしていると思いがちですが、実は現代では、自分を駆り立てて自発的に行っている行為がすごく多くて、そのためにみんな疲弊するんだ、と。その話と同じですよね。SNSが強制しているわけではなく、その仕組みによって、我々が内側から何か発信したくなっている。
大島 そうですね。SNSのアルゴリズム以外の価値基準もあることに気づけないと、かなり消耗してしまう。
「インタラクティブ性」に対抗せよ
三宅 大島さん自身が、SNSに抗うために考えていることは、なにか、あるんですか?
大島 情報過多に飲み込まれないように、タイムラインは見ていませんね。むしろ、人の投稿を見なくていいように、自分がひたすら投稿し続けています(笑)
三宅 すごい!そんな方法を編み出したんですね(笑)プライベートのアカウントもないんですか。
大島 ないですね。
三宅 タイムラインを見ない理由を詳しく教えてください。
大島 あの情報の並び方に意味がないからです。何かについての一般的な感想を検索したりはしますが。
三宅 なるほど。それでいうと最近、新聞って、今さらながらすごい重要なメディアだなと思ってて。見出しの大きさで情報の大きさを決めているじゃないですか。インターネットやSNSのタイムラインだと、情報が全部同じ重さになってしまうから、そんなに拡散されなくていい話題も重要に思えてしまう。
複数の自分を持てなくなっている時代
大島 それと、もう一つSNSとの付き合い方で意識しているのは、マーケティング的な使い方を疑う、ということです。
具体的には、自分を半分にする、という感覚でSNSを使っています。単にバズってプレゼンスを高めるには、発言のトーンも一貫して並列なほうがよいということになっています。でも、そこには自分をすべてSNSで表現しなきゃいけないという誤解があると思う。そもそも、僕は自分のことを知っている人全員に、同時にしゃべりたいことはほぼ無いんですよね。そういう考え方は、すごく人間を縛ると思うんですよ。僕はいまXだけでアカウントを4つ持っているんですけど、それは自分にとって心地よい使い方でもある。
三宅 今、SNSで難しいと思うのがフォロワーが少ないと内輪だけで文脈含めた言葉として通じる話題が、ある程度拡散されると、言葉の文脈を誤解されてしまって炎上する、という事態をしばしば目にすることです。
大島 文脈に対する配慮がどんどん欠けているというか。本来は、文脈を把握するのにも、その人がどういう人なのかを知らないといけないはずです。文脈を把握する時間がないなら、わざわざ批判しなくてもいいと思うんですが、先ほどの話にもつながる通り、発信しなければならないという呪縛がある。
三宅 哲学者の朱喜哲さんが書かれた本『〈公正〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス)で面白かったのが、「現代では無関心でいる倫理が大切ではないか」いう話をしてて。現代だと無関心は悪、みたいに言われがちだけど、自分に関わりのないものは、ある程度距離を取るべきではないでしょうか。自分に関係なくて、本当は言及しなくていいものにまで言及して、その結果、大事なものが見えなくなることがすごくあると思うんですよね。
「本」は時間を止める
大島 ご著書の話に戻ると、本を読むことって、時間を止めることだと思うんです。本を読んでいる間は時間が止まる。時間を絶対に止めさせてくれないSNSとは違うわけです。
無駄に自分の時間をSNS側に奪われている感覚を、「いや、今は一時停止でいい」と止める自主性があれば、絶対にそっちのほうが豊かな情報にアクセスできる。ただ、問題は、本をどうやって読むのか、なんですが(笑)
三宅 SNSの欲望って、「感情を人と同期したい」ところから来ているものだと思うんです。でも、一度、その同期を切って自分だけの別の時間を保つことは、自我を保つために大事だと思います。それがないと、結局、自分は何を考えているのかがわからなくなってしまう。SNSはそれを奪うと思います。
大島 われわれが本を読みたいのは、本だけでしか得られない情報と体験があるからですよね。だから、時間が止まれば、僕は無駄な時間でもいいと思っている。最新のものより古典を読む価値があるのはそういうところだと思っています。そういえば、三宅さんの本では、本が持つ面白さが「ノイズ」という表現で表されていて、これは言い得て妙だと思いました。そのノイズは、僕の話でいうと、名作とされている本の中にも自分にとってはハズレがあるかもしれない、ということで、コスパばかりが重視される時代において、それもいいじゃん、と思えるようにしたいですね。
取材・構成:谷頭和希 撮影:内藤サトル
プロフィール
三宅香帆(みやけ かほ)
文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。
著作に『娘が母を殺すには?』、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』、『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術―』、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』、『人生を狂わす名著50』など多数。
大島育宙(おおしま やすおき)
1992年生まれ、東京都出身。東京大学法学部卒業。2017年、お笑いコンビ「XXCLUB」としてデビュー。所属はタイタン。フジテレビ『週刊フジテレビ批評』ドラマ辛口放談にコメンテーター、Eテレ『太田光のつぶやき英語』に英語インタビュアーとしてレギュラー出演。MX『5時に夢中!』『バラいろダンディ』にコメンテーターとして不定期出演。ポッドキャスト「無限まやかし」「炎上喫煙所」「夜ふかしの読み明かし」「OH! CINEMA PARADISE」に出演。YouTubeでは「大島育宙【エンタメ解説・映画ドラマ考察】」を配信。