「大島渚があなたの許可もなしに映画を作りましたよ」
御年90歳を数える朴壽南(パク・スナム)監督(1935年生まれ)、そして『よみがえる声』共同監督を務めた娘の朴麻衣監督は、大島渚監督による盗作をどう受け止めているのだろう。映画監督ヤンヨンヒが迫る。
(8月5日、神奈川県茅ヶ崎市の自宅にて収録/構成・文=荒井カオル)

ヤンヨンヒ 『絞死刑』(1968年)は大島渚監督の代表作です。低予算で作られた映画であり、当時とても話題になりました。この作品はカンヌ国際映画祭でも上映され、海外での大島渚ブームに火をつけるきっかけになります。その後『愛のコリーダ』(1976年)が爆発的に注目され、「大島渚」という固有名詞は世界中のシネフィル(映画ファン)に知られるところとなりました。大島渚ファンの中で『絞死刑』を知らない人はいません。
『絞死刑』の主人公「R」は「小松川事件」(在日朝鮮人が引き起こした殺人事件)の青年・李珍宇がモデルです。主人公「R」が「お姉さん」と呼ぶチマ・チョゴリ姿の女性(李珍宇と交流する朴壽南監督)は、小山明子さん(大島渚夫人)が演じました。ただし『絞死刑』には、朴壽南監督が出版された李珍宇との往復書簡集が原案・原作として使われている事実は、どこにも明記されていません。
大島渚監督の映画『絞死刑』について、初めて知ったときのことは覚えていらっしゃいますか。
朴壽南 「大島渚があなたの許可もなしに映画を作りましたよ」という話を人から聞いたとき、私は何も反応せず無視しました。「あの男ならやりそうだ」と思ったものです。そんなことにいちいち反応するのはあまりにもバカバカしいし、世界に訴えるなんて労力の無駄です。だから私は無視しました。
朴麻衣 いつぞやソウルの映画祭に出かけたとき、たまたま特集上映で『絞死刑』が上映されていたんですよ。2人で映画館に出かけたものの、観るのが耐えられないほど気持ち悪くなって、途中で映画館から出てきてしまいました。
「日本のヌーベルバーグ」によるあからさまな盗作
ヤンヨンヒ 大島渚監督に対して、抗議されようとは全然考えなかったんですか。
朴壽南 ウチの店に飲みに来るお客さんが「大島渚とは飲み友だちだ」と言うんです。その人が「この件は大島に言わなきゃダメだ」と言いました。大島渚がやったことがあまりにも非常識だったので私はまったく相手にしませんでした。
朴麻衣 「お客さん」って、「味道苑」(※1971年、朴壽南監督が茅ヶ崎駅前で開店した焼き肉店)に食べに来てたお客さんのこと?
朴壽南 「舎廊房」(※サランバン/1979年、朴壽南監督が茅ヶ崎市東海岸に開店したパブ・レストラン)だね。東京大学で学生を指導していた大学教授や、いいだもも(社会運動家)さんやら、舎廊房に夜な夜な飲みに来てたのよ。皆さん私の著書『罪と死と愛と』『李珍宇全書簡集』の読者でした。そのお客さんたちから「この件は大島に言わなきゃダメだ」と言われました。
大島渚の作品の中でまともに観られるものは『忘れられた皇軍』(1963年、日本テレビで放送されたドキュメンタリー番組)くらいでしょう。彼が作った『愛のコリーダ』とかなんとか、作風を聞いただけで観る気も起きません。怒る値打ちがない相手なので、『絞死刑』を問題にしようとも思いませんでした。
ヤンヨンヒ 『絞死刑』が話題になると、いろいろな人たちから「朴壽南さんも関係しているんですか」と声がかかったんじゃないですか。だって獄中の死刑囚・李珍宇の心の葛藤を描く一次資料は、朴壽南監督が出版した往復書簡集しかないわけです。
朴壽南 大島渚の『絞死刑』を観た人たちから、ずいぶん電話がかかってきましたよ。「あの映画は朴壽南を貶(おとし)めている。名誉毀損だ。そのままにしておいちゃいけない」と意見する電話がずいぶんたくさん私に直接入ってきました。でも私は無視したんです。「あの男らしいやり方だ」と思いました。
その後彼が作った一連の映画は、映画のタイトルを聞いただけでバカバカしい気持ちになっちゃう。「何がヌーベルバーグだ」と思いました。
【※フランス語の「nouvelle vague」(新しい波)。ジャン・リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルらの映画の作風が「ヌーベルバーグ」と評された。それになぞらえて、大島渚監督は「日本のヌーベルバーグ」と評価を受ける】
朴壽南 軽蔑している監督の映画なんて、観る気もしないし腹を立てるのも虚しい。だから黙殺しました。(往復書簡集(『罪と死と愛と』を無断で使用した事実を)知っていながら、観て観ないフリをして、完全に黙殺しました。
黙殺していることについて怒る私のファンもだいぶいましたけれども、それでも私は黙殺しました。私は大島渚を、映画監督としては全然まったく評価していません。アンチの評価しかしていない相手と争うのは、時間の無駄だと考えます。

盗作を自ら認めた大島渚
興味深いことに、朴壽南監督の往復書簡集『罪と死と愛と』を盗用して映画『絞死刑』を作った事実を、当の大島渚監督自身が認めている。大島渚監督へのインタビューから、該当部分をご紹介しよう。
〈●映画の後半部で白いチョゴリを着た女(小山明子)が登場。以後、獄中の李珍宇と女性ジャーナリスト朴寿南との往復書簡『罪と愛と死と』【※註/正しくは『罪と死と愛と』】(三一書房、一九六三)が各所で引用される。
往復書簡は読んだけども、そのときはどうこうしようという気はなかった。あらためて、『絞死刑』の脚本をつくろうということになって、もう一回読んでみた。李珍宇は、牢屋へ入って、死刑になる日が近づいてくるなかで、最終的な自分自身に到達したと考えてました。そういう意味で、あの往復書簡のもった意味は大きいんじゃないかと思います。彼女に会って、初めて他人の死というものが想像力のなかに入ってくる。それで彼が反省したんじゃつまらないんで、そのへんが難しかったところなんですけど。
朴寿南という実名を書いたら具合が悪いだろうという気もあったから、名前は出してない。〉(大島渚著『大島渚1968』青土社、164〜165ページ)
〈実際の朴寿南をぼくは知らない。これはぼくらがシナリオを書く秘密なんだけども、具体的な関係者にはなるべく会わないで膨らましたほうがいい。会うと、現実の朴寿南に引きずられてしまうんで、あれだけカリカチュアライズすることは、相手を知らないという強みがあるからできる。そのかわり、あの往復書簡だけは一生懸命読みましたけども。本のなかから、どんどんいいところは使わせてもらってる。〉(大島渚著『大島渚1968』青土社、165ページ)
〈朴寿南は総連系。彼女の本を作品の題材としては使ったけども、ことわりませんでした。でもそれに対する朴寿南のリアクションも、入ってこない。これは異常だよね(笑)。そのぐらい北朝鮮が閉鎖社会であり、逆にいえば、ぼくらの対し方も閉鎖的であったということは言えると思う。〉(大島渚著『大島渚1968』青土社、167ページ)【※ヤンヨンヒ註/朴壽(寿)南監督は1961年末〜62年初めに朝鮮総連を追放されている。】
〈ぼくは終始一貫、朴寿南には会わなかった。引用しているんだから、当然、会わなきゃいけないと思うでしょ。絶対に会わないでおこうと思った。あの時点で、いくら殲滅(せんめつ)しようと思っても殲滅できないんで。相手にするだけ損だというか、相手を有利にするだけだと。〉(大島渚著『大島渚1968』青土社、172ページ)
著者に許諾を得ることなく〈本のなかから、どんどんいいところは使わせてもらってる。〉と言い切ってしまう大島渚監督には驚愕する。映画製作におけるこの重大な瑕疵(かし)が指弾されないまま、『絞死刑』が上映され続けて果たして良いのだろうか。

大島渚監督の実子・大島新氏に訊いた
映画「絞死刑」のエンドクレジットにも、シナリオ(『絞死刑 大島渚作品集』至誠堂)にも、「朴壽南」『罪と死と愛と』という固有名詞はどこにも見当たらない。手がかりを仔細にたどった結果、映画公開当時に発刊された小冊子「アートシアター」55号(1968年2月発行/「絞死刑」特集号)の「あとがき シナリオについて」において、大島渚監督が以下のように謝辞を綴っていた。
〈死刑の問題、小松川事件の問題については無数の文章、資料を参考にさせていただいた。特に朴寿南氏によって編まれた少年の書簡集「罪と死と愛と」(三一書房版)は、これがなかったならば作品は成立しなかったと思う。特に感謝すると同時に心から敬意を表したい。〉
ベストセラーになった朴壽南監督の著書を「これがなかったならば作品は成立しなかったと思う」くらいに盗用し、別の場では一方的に謝辞を述べるとはあまりにも身勝手すぎないか。この謝辞だけを読むと、朴壽(寿)南監督と合意の上で書簡集を参考にしたと読者たちは思うだろう。傲慢な上、卑怯で姑息に思えて仕方がない。
あいにく大島渚監督は2013年1月に鬼籍に入り、すでにこの世にはいない。映画『絞死刑』を含む作品の版権を管理するのは、大島渚監督の実子である大島新(あらた)氏(映画監督、プロデューサー、株式会社大島渚プロダクション代表)だ。本件について、大島新監督に見解を問うた。
「ヤンさんのお話を聞き、初めて知ったことが多いです。朴壽南さんの許諾を当然得るべきでしたし、『絞死刑』には朴壽南さんのお名前と著作名を当然クレジットすべきでした」
「父がいい加減だったのか。あの時代がいい加減だったのか。あの時代の映画の作り方が仮にいい加減だったとしても、そのことが免罪符にはなりません。実際に傷ついておられる方がいて、しかも放っておかれた。この問題を今ヤンさんが指摘されることは、非常に大事です。他人の著作物を作品に使用するときには、必ず当事者から許諾を得る。クレジットを明記する。それが今後の映画のスタンダードになっていくべきです。
人間、みんな間違えることはあります。間違えたときには、あるべき方向へと更新されていくべきです」
(前編はこちら)

作品情報
映画『よみがえる声』
2025年/日本・韓国(合作)/上映時間 148分
2025年8月2日(土)ポレポレ東中野ほか全国順次公開中
監督:朴壽南、朴麻衣(共同監督)
配給:「よみがえる声」上映委員会
https://tinmoku2025.jp/
今後の上映スケジュール
2025.9.1(月)〜9.7(日)【東京】シネマ・チュプキ・タバタ(*9.3 休映)
2025.9.10(水)〜9.19(金)【東京】シネマハウス大塚
2025.10.15(水)山形国際ドキュメンタリー映画祭 クロージング上映
2025.10.25(土)〜【大阪】第七藝術劇場/ほか、続映
プロフィール

映画監督。1964年、大阪市生野区鶴橋生まれ。コリアン2世。米国・ニューヨークのニュースクール大学大学院コミュニケーション学部メディア研究科で修士号を取得。2005年、デビュー作のドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表。2009年、ドキュメンタリー映画「愛しきソナ」を発表。2012年、初の劇映画「かぞくのくに」を発表。2021年、「スープとイデオロギー」を発表。著書に『兄 かぞくのくに』(小学館文庫、2013)、『朝鮮大学校物語』(角川文庫、2022)、『カメラを止めて書きます』(CUON、2023)がある。