書店は「言論のアリーナ」か?

『本づくりで世の中を転がす』刊行記念 福嶋聡×木瀬貴吉
福嶋聡×木瀬貴吉

「国のお金」は誰のものか

木瀬 一方で、国からの助成ということについても考えていく必要があるんじゃないかと思っています。

 たとえば韓国では、小説や漫画、さらには演劇や映画も含め、あらゆる著作物に対して国からすごい金額の助成金が出ています。ころからで日本語版を出した韓国の漫画『カデギ』も、著者は政府から助成金を受けて描いたそうです。それも、せいぜい数十万かと思ったら、200万円。要するに、半年くらいはバイトもせずに創作に集中できるくらいのお金ということなんでしょうね。しかも、内容についてはまったく口出しされなかったそうで、「金は出すが口は出さない」姿勢が徹底しているんです。

 著者たちにそうして国から助成を受けることに抵抗がないのは、「国の金は自分たちのものでもある」という認識があるからだと思います。日本だと「アーティストたるもの国の支援なんか受けてたまるか」みたいな風潮がありますよね。その違いの根源にあるのは、国からのお金は誰のものなのかという問いだと思います。上野公園の正式名称が「上野恩賜公園」であるように、「恩を賜る」という感覚がまだまだ日本には強いのではないでしょうか。

 でも、今政府は防衛費に9兆円使うと言っているわけで、だったらそれを1兆円くらい減らしてこっちに回してもらってもいいんじゃないか、と思いますよね。

福嶋 たしかに、防衛費にそれだけのお金を回すぐらいだったら、おっしゃるとおりこっちにもらってもいいんじゃないのかなと思います。

木瀬 ただ、そのときに重要なのは国が金は出しても「口は出さない」ということです。だから、さっき言ったような議連が後ろにいると考えると、助成をもらったからといって「お金が降ってきた、よかったな」とはならないですよね。

 彼らが助成金を出したとして、「お金を出してやってるんだから日本の文化を守れ」といって、たとえば「外国の本の翻訳を出すな」みたいなことを言い出しても全然不思議ではありません。だから、議連そのものを一度解体して、超党派でちゃんとした議連を組み立て直すところから始めるべきではないかと思います。

福嶋 そういうことも、出版には先ほどおっしゃったように監督官庁がないわけですからやりやすいはずですよね。

木瀬貴吉さん

「書店=言論のアリーナ」論をめぐって

木瀬 ちなみに今回の本で私は、福嶋さんがヘイト本の問題をめぐって提唱されてきた「書店=言論のアリーナ」論を批判しています。

 「悪書」を店頭から追放したところで世の中はよくならない。であれば、ヘイトがあふれかえる現状を書店という「安全な場所」で展示し、主張と主張が本を介してぶつかり合う「アリーナ」をつくるべきだ──という論には、私も頷くところが少なくありません。でも、そこにヘイト本が置かれている以上、ふらりと立ち寄った書店で『大嫌韓時代』なんていうタイトルに出会って、まるで流れ弾を受けたように傷つくマイノリティの人たちが必ずいる。とりわけ、そうした10代、20代の若者たちの気持ちを考えると、それは本当に「安全な場所」だといえるのだろうか? 少なくともヘイト問題については、「言論のアリーナ」論は成り立たないのではないか? と思うのです。

 でも、福嶋さんはそうした批判を含む本のゲラをきちんと見た上で、帯に推薦コメントを寄せてくださいました。実はびっくりしたのですが、どうして受けてくださったのでしょう。

福嶋 読ませていただいて、むしろ嬉しかったですよ。ものを書いていて一番つらいのは「反応がない」ことですから、批判であっても反応していただけることはありがたいんです。むしろ、批判を受けることによって私も勉強したいという思いがあります。

 本でも触れていただいているように、「言論のアリーナ」論は、私がヘイト問題についてのイベントでマイクを回されたときに、半分苦し紛れに「書店の人間としてヘイト本を書棚から外す選択はしない」と言ったのが始まりです。というのは、そこで「明日にでもヘイト本を全部外します」と言ってもそんなことはできないわけで、噓になってしまうから。それと、ただヘイト本を「排除する」というだけでは、外国人を「排除する」のと姿勢としては同じになってしまう気がしたのです。

 加えて最近は、ただヘイト本を置くだけではなく、反論するために「おびき出す」ことの重要性を感じるようになりました。つまり、その本の著者が排外主義的な言説を展開しているということについて、本という動かぬ証拠を示した上で批判していく。そのために書店という「アリーナ」が必要なんじゃないかと考えています。

 とはいえ、もちろん「ヘイト本であってもどんどん置くべきだ」と言いたいわけではありません。おっしゃるように「流れ弾」による被害を生み出していいとは思っていないし、「嫌韓」「反中」などの言葉を冠した「分かりやすい」ヘイト本だけではなくて、一見ヘイトとは無関係に見えても実は歴史修正主義的な言説の本もたくさんあるわけで、それをどう扱うのかという問題もある。正直言ってそこは非常に悩ましいところです。

木瀬 考え方は違っても、私が福嶋さんの主張に耳を傾ける必要があると思う理由の一つは、ヘイト本に対して「自分で目を通して批判的に論ずる」という困難な作業を地道に続けてこられていることです。

 たとえば、百田尚樹の『日本国紀』についても、あれだけの「大著」を詳細に読み込んで批評され、ウェブで公開されていましたよね。

福嶋 問題になっている本を店に置く限りは、自分で読まなくてはならないという意識はありますね。もちろんすべての本に目を通すことはできないけれど、厳しい判断を求められるような本は、読んで考えを整理してからではないと置くことはできないだろうと思っています。全体としてよくない本、マイナスの本だという判断を下すとしても、そのマイナスがどういう理屈で出てくるのかは知っておくべきかなと。

木瀬 そうして「読む」ことも、私たちマジョリティの責務の一つなんじゃないでしょうか。マイノリティの若者がそれを読むことで非常に大きな被害を受けることを考えれば、私たちには読んできちんと批判する責任があるんじゃないかと思います。

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プロフィール

福嶋聡×木瀬貴吉

福嶋聡(ふくしま・あきら)

書店員。1959年、兵庫県に生まれる。京都大学文学部哲学科を卒業後、1982年2月ジュンク堂書店に入社。仙台店店長、池袋本店副店長などを経て難波店に。2022年2月まで難波店店長をつとめる。著書に、『書店人のしごと』『書店人のこころ』(以上、三一書房)、『劇場としての書店』(新評論)、『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書)、『書店と民主主義』(以上、人文書院)、『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』(dZERO)、共著に『フェイクと憎悪』(大月書店)、『パンデミック下の書店と教室』(新泉社)などがある。

木瀬貴吉 (きせ・たかよし)

出版社「ころから」代表。1967年滋賀県生まれ、早稲田大学第二文学部中退。1991年からNGOピースボートに勤め2004年に退職。地域紙記者を経て、2008年に出版業界へ。2013年に二人の仲間とともに「ころから」を設立。加藤直樹『九月、東京の路上で』、永野三智『みな、やっとの思いで坂をのぼる』、ソン・アラム『大邸の夜、ソウルの夜』など、これまでに約80冊の本を刊行。

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