中国で取材していると、当局から発給された正規の記者証を持っていても、突然拘束され、パトカーに押し込まれて警察署に連行されることがあります。しかし、それが二一回にも上るとなると、尋常ではありません。テレビ局の記者である著者は、それを経験しています。つまり、尋常ならざる取材魂を発揮して、中国の現実を日本の視聴者に伝えようとしてきたのです。
ところが、新疆ウイグル自治区で、ウイグルの若者たちが警察官に暴行を受けている様子を取材中、自身が拘束されると、それ自体がニュースになってしまいます。
凡庸な記者なら、この体験を武勇伝にしかねないのですが、彼は、こう書きます。
「武装警察がデモの参加者を拘束し、殴る蹴るの暴行を加えた。この理不尽な事実がニュースであるべきだ。ところが、取材する側である自分が不本意ながらニュースの対象になってしまい、本来のニュースが霞んでしまったのである」
自分がニュースになってはいけない。それでも、自分が拘束されるシーンを撮影することで、中国の権力者の理不尽さを際立てる手法もあります。四川大地震では、学校の建設工事の手抜きから校舎が崩壊。多数の児童が犠牲になりました。遺族にインタビューしようと著者が電話をかけると、落ち合う場所に現れたのは目つきの悪いゴロツキ風の男たちばかり。電話が盗聴されていたのです。小林記者は拘束されますが、その瞬間の映像が撮影できませんでした。そこで、釈放後に同じ行動を再度取り、拘束の様子を隠し撮りしようと考えます。
それは「地震で子どもを失った親と連絡を取ろうとしただけで、警察に捕まる国。この現実こそが、手抜き工事の問題の真相を物語っている」ということを伝えたいからなのです。拘束二一回は、こうした取材の積み重ねです。
いけがみ・あきら●ジャーナリスト
青春と読書「本を読む」
2014年「青春と読書」11月号より