私は自分が、他人に比べて格別へそ曲りだとは思わないが、現世のわが国で起こっていることは、ほとんど気に入らない。その忿懣の源は、日本人に論理性も知性も感じられないことに原因がある。その一方で、周囲の友人・知人たちには、ことごとく知性を感じるのだから、すべての日本人が知性に欠けているのではないことも知っている。つまり、私は大手を振ってのし歩く「政治と、テレビと新聞の報道」が気に入らないのであって、私の友人たちも、ほぼ私と同意見である。
こうした現象は、実は昔から「世の掟」であり、歴史的には、日本に限らずどこの国でもあったことのようだ。まともに物事を思考する人間は、どの時代でもほんの5%ぐらいしかいない、否1%いればよいとも言われてきた。過去の歴史を振り返ってみると、その少数の人間が、悪しき政治家を批判し、イエロージャーナリズムと対峙して、世の中を先導して、佳き時代へ招こうとしてきたのだ。
はっきり言えば、よい書物を読む人が、すぐれた知恵者になるのだ。
しかし今テレビに流れる圧倒的な文言を聞いていると、「サムライニッポン」であるとか、「武士道」だ、「大和魂」だといった言葉の氾濫と手を結んで、「集団的自衛権の行使」であるとか、「原発再稼働」という論調を耳にしなければならない。われわれの忍耐にも限度というものがあると、肚の底から叫びたくなる。お前たちには、ほかに日本語の語彙がないのかと詰問したくなるほど、日本人としての誇りが低俗なので憮然たる思いがする。人間が犬猫などほかの動物と異なっている最高最大の特長は、火を扱う、二本足で歩く、食べ物を料理する、といった点にあるのではなく、ずっと先の未来を沈着に思考できるところにあるはずだ。その人間らしい高度な思考力が、今の日本の王道から失われているのだ。どこを見ても、まったく論理性がない。こうした低俗な大和魂的思想を語っている人間を見ていると、その発言の根源が、暴力を礼讃した明治維新と、戦時中の大日本帝国の遺産を後生大事に守ろうとする歴史観からつむぎ出されていることは間違いない。
特に、多くの現代人は、「明治維新がアジア侵略を始めたスタートであって、それがその後の日本を悪くした」という当たり前の事実に気づいていないのだ。そこで歴史を調べてみると、坂本龍馬や桂小五郎に代表される維新の志士たちの暴力によって席捲された時代、つまり昔のチョンマゲ時代の日本でも、まともに思考した「静かなる人たち」は地獄の針のむしろの上で苦しみ、それでもなお逆境を乗り越えようと、自ら体得した知性によって世を変えようと骨折っていたという数々の史実に行き着く。そのことが、ほとんどの日本史に書かれていないので、日本の国民全体がおかしくなっているのだ。
さらにその先を、一七〇〇年代へ、一六〇〇年代へと次々に調べてゆくと、一五四三年にポルトガル人が初めて種子島に来航して、日本人にヨーロッパ文明を伝えた時代から、日本のごく数少ない知識人は、今日まで実に四百数十年来、頭から外国を排除しようとする無知蒙昧な者たちと闘って、粒々辛苦してきたことが分る。この先見の明ある日本人たちは、決して外国人を甘く見ていたわけではなく、侵略主義的な外国人の危険性に気づきながら、しかし用心深くも、海外の新知識が教えるすぐれた面だけは取り入れるべきだと確信していた。維新の志士が金科玉条のごとく叫ぶ外国人排斥、すなわち攘夷を「井の中の蛙」の大和魂だとあざ笑いつつ、まともな日本人は、歯車を使った精密なヨーロッパ式時計を製作し、新しい医療法に頭をしぼり、高度な製鉄法を学んだのである。
たとえば今われわれが読書をできるのは、幕末から活版印刷術を研究して、この膨大な漢字・ひらがな・カタカナを用いる日本語を、活字によって大量印刷できる技術を確立した本木昌造という人物がいたからである。あるいは今、インターネットで多くの事物について知ることができるのは、幕末にヨーロッパ・アメリカの電信技術を学んで、通信法を日本に普及した人たちがいたからである。あるいは今、多くの日本人がデジカメを手にして写真が撮れるのは、幕末にカメラを使って映像を撮影する写真術を確立した上野彦馬という先駆者がいたからである。
本木昌造と上野彦馬は、どちらも長崎の人である。なぜかと言えば、江戸時代大半の期間を通じて、日本人がヨーロッパ文明を取り入れる窓口になったのは、唯一、長崎の出島だったからである。この長崎人たちが、日本全土に新知識を伝えて、今日の知性が育ったのだ。この知性を失えば、日本は再び、悪夢の時代に戻るだろう。
ひろせ・たかし●作家
青春と読書「本を読む」
2014年「青春と読書」12月号より