小さい時から絵ばかり描いていた。絵を描くのが「好き」だったというよりも、白い空間を見つけると、そこに何かを描かずにはいられない衝動を抑えられなかった。そして、そんなへんな性質を持った自分は、大人になったら絵を描く職業の人になるしかない、とやがて思うようになっていた。
娘が絵描きになるのを目指していると知った母は、『フランダースの犬』の絵本を買って来て、絵を描くのが大好きな主人公の少年と愛犬が、飢えと寒さと孤独の中で非情の死を遂げる場面を見せた。そして「絵描きになってもいいけど、あんまり幸せにはなれないみたい……」とアドバイスにみせかけた警告までしてくれたものだった。にもかかわらず、結果的に私がイタリアで美術を学ぶ段取りを水面下で進めたのは彼女だった。波瀾万丈の人生を過ごして来た彼女にとっては、私がたとえ油絵画家になれず貧乏でもがき苦しんでも、そんな経験も決して人生の無駄にはならないと考えたのだろう。その大胆さがいわば彼女の教育姿勢なのだ。
イタリアへ渡った私はとある知り合いのつてでフィレンツェの美術学校に通い始めた。知り合いというのは、一四歳でフランスとドイツを一人旅した時に偶然出会ったマルコというイタリア人の陶芸家の爺さんのことだが、わざわざ欧州にまで来ていながら私の旅程にイタリアが含まれていなかったことに「センスのない旅だ、けしからん!」と、見ず知らずの東洋人の小娘に対して激怒した人だ。ましてや絵を描くのが好きだと言った時、イタリアを端折った私の旅に呆れた彼の顔は忘れられない。ところが帰国後、この奇妙な爺さんと母が文通で繋がり、それが私の渡伊に繋がっていく。
一七歳でフィレンツェに渡ってからの十一年間は、まさに『フランダースの犬』の顛末が現実になったような、貧困と苦悩に喘ぎ苦しむ日々だった。この古都が美術を志す人間にとってどれだけ大事な街なのか、そこに暮らし始めた時点ではしっかりと認識していなかったが、やがて美術学校でボッティチェリやラファエロの絵を散々模写させられ、彼らの生き方や当時の社会事情を学ぶうち、絵を描いて食べていく事ができた当時の人々を羨ましく思うようになった。
もちろん、金融業で潤い、沢山の富豪がゆとりある人生の象徴として文化の繁栄をサポートしていた、あの特殊な時代がそう簡単に蘇るものではないというのも判っていた。ただ、どんなに頑張って大きな力作を描いても、まったく需要に結びつかない、そんな油絵を将来も続けていく難しさを考えない日はなかった。一度は油絵を中断して古絵画の修復などを学んでみたりもした。【古/いにしえ】の画家たちの描いた絵と間近に接し、その顔料の質や発注者からのリクエストの痕跡などから、絵画越しに当時の画家工房や人々の暮らしの様子を思い浮かべる面白さはあったが、結局修復という仕事も資本家がいなければ食べていくことは出来ないのだ。
最終的に、私は美術学校のイタリア人の仲間に「日本なら、漫画を描けば食べていけるらしいよ!」と薦められるがまま、二七歳になって初めて、それまで描いた事もない漫画というものをやってみよう、と思い立ったのである。当時フィレンツェに留学していた美大卒の日本の仲間から貰った水木しげるやつげ義春、花輪和一などの作品を何十回も読み直し、描き方や表現法などを必死に分析しながら仕上げた不思議な一作目は、その奇抜さからかある雑誌の新人漫画賞になんとかひっかかり、私はそこでやっと、自分の絵で食べていけるという可能性を掴んだのだった。
そして、自らを漫画家と名乗り始めて暫くしてから、日本の漫画界というものが、いかにルネサンスの画家たちの有様と似ているか、ということに気がついた。
ルネサンスの画家たちは、現代の多くの人々が考えるようには、芸術家としての意識や文化人的な特異性などは念頭に置かず、あくまで職人として、工房という一組織の中で祭壇画や装飾画を請け負ってやりくりしていたわけだが、漫画家という職業も日本の出版産業と密接に結びついた一種の職人的職種であり、自分の好きな時に好きな作品を描いて、それでも食べていけるという作家は一握りも存在しない。その共通点に気がついた時、自分が頑張って学んで来た西洋美術史というものの面白みがぐっと増したのである。
古代ローマにしてもルネサンスにしても、我々日本人にとって文化が栄えた西洋の過去というのはどうしても取っ付き難いものになりがちだ。古代ローマを舞台にした『テルマエ・ロマエ』はそんなある種の偏見を取り除くために、「風呂文化」という双方の共通点をとっかかりに描いた比較文化論的な作品だったが、ルネサンスでもいずれ同じ試みができないかと心の底で思い続けていた。
今回の新書は、漫画作品でこそないが、あの時代の文化人とよばれる人たちが、いかに我々の想像以上に面白く、多種多様であり、変人であり、そして文化復興という概念のもとに古代ローマ的寛容性を発揮して、後世の人々をも感動させる作品を生むに至ったのか、私の情報倉庫の中から湧き出てくる数々のエピソードを、作品のバックグラウンドが垣間見えそうな構成で本にしたつもりだ。
フィレンツェでお腹を空かせながらも学んだ事が、やっとここにきて形になってくれて、内心ホッとしている。
やまざき・まり ● 漫画家
青春と読書「本を読む」
2016年「青春と読書」1月号より