「疎外感」の精神病理 第2回

コロナ禍と疎外感

和田秀樹

人と人を引き離したコロナ禍

精神科医の目からみると、コロナ禍がいつまで続くのかは重大事です。

前回、心の治療の目標は人が素直に甘えられるようになることだと書きました。

依存症の治療にしても、自助グループを通じて人と人とのつながりがもてるようになれば、物質や行為への依存から抜け出せるという治療が現実的には一番有効です。

コロナ禍は、その人と人とのつながりを一気に引き裂くものでした。

ソーシャルディスタンスと言って、人と人とが一緒にいる際は、一定の距離を取らないといけない。

原則的に人と人が一緒に食事をすることはなるべく避ける。もし会食する場合は、パーテーションというアクリルの壁を間に立て、会話は慎まないといけない。

仕事を終えた後、愚痴を肴に酒を飲むことは厳禁。

不要不急の外出も禁止。

原則的にマスクをして日常生活を送り、表情は見せない。

そのほかにもいろいろありますが、コロナ禍以前の、精神科医が患者さんに方向づけるものとはまったく逆のものだらけです。

もっと人を信頼し、人と接し、人と話し、ストレスがたまったら仲間と酒が飲めるようになればいいねと言ってきたわけですから。

そもそもマスクというのは、感染を予防するというより感染している人が人にうつさないためにするものです。

コロナ禍になって以来、たとえばマスクをしていない人がエレベータに乗ってくると汚いもののように見られ、不快そうにする人は珍しくありません。どんなに多いときでも人口の1000人に一人(検査をすればもっと多いかもしれませんが)しか感染していない病気(風邪やインフルエンザでは10人に一人になることもあります)で、みんなが推定「有罪」の扱いを受けるわけです。

実際には感染していない確率のほうがはるかに高いのに感染者の扱いを受け、マスクをしていないだけで人から忌み嫌われる存在になってしまいます。もちろん、ある一定の確率で感染しているわけですから、感染していない人もマスクをして感染を予防するという考え方は間違いではありません。しかし、いっぽうで私たちの認知が、人をみたら感染者、あるいは感染しているかもしれない人と見るのも、ある種の認知の歪みです。

我々、精神科医の仕事のひとつに、過去のトラウマ的な出来事から「人をみたら泥棒と思え」という人生観を持つ人に、「渡る世間に鬼はない」とまでは言わないけれど、少なくとも鬼ばかりではないから、「ときには人を信用しようよ」「ためしに人を信用してみれば」という形で、認知を変えていくことがあります。

ところが、コロナ禍において、すっかり「人をみたら泥棒」が定着してしまいました。

人が人を信用できなくなるというのは、心理的にみたら孤立状態と言えます。

こうして、コロナ禍の中で、疎外感を強めた人が少なくない数でいるというのが私の診たてです。

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「疎外感」の精神病理

コロナ孤独、つながり願望、スクールカースト、引きこもり、8050問題……「疎外感」が原因で生じる、さまざまな日本の病理を論じる!

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プロフィール

和田秀樹

1960年大阪府生まれ。和田秀樹こころと体のクリニック院長。1985年東京大学医学部卒業後、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て、現職。主な著書に『受験学力』『70歳が老化の分かれ道』『80歳の壁』『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』『70歳からの老けない生き方』『40歳から一気に老化する人、しない人』など多数。

 

 

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