水道橋博士の「日記のススメ」 第17回

短期間から日記をはじめられる「旅行記」

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。
小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。
なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか? そこにはいったいどんな意味があるのか?
そう問うあなたへの「日記のススメ」です。

土佐日記、深夜特急、オーパ! 

「選挙日記」「還暦日記」と個人的な話題が続きましたが、本来、当コラムは、毎日みなさんに数行でいいので日記を書く習慣を身につけていただけるよう、その魅力、効用をご紹介していくのが主旨です。
 今回はどうしても「毎日は無理!」という方のために〝短期間から始める日記〟というものをご提案してみたいと思います。
 日記には、小学校時代のアサガオの観察日記のような1ヶ月限定の日記や、闘病記、就職活動記、自分のお店を始めるまでの開店日記、育児日記等々、自身の人生においてエポックな日々のみにフォーカスを当て、その苦労、挫折、そして成功、感動を綴った短期間の日記というものが多数存在します。
 そして、こういった短期間の日記の類で最も著作が多く、古今東西、親しまれているのが〝旅行記〟ではないでしょうか?
 何と言っても、日本最古の日記文学にも分類される紀貫之の『土佐日記』は、土佐国から京へと帰る55日間の出来事をユーモアたっぷりに綴った、日記と題された〝旅行記〟です。
 旅行は人に、「文字でこの記憶をいつまでも残そう」というモチベーションを与える最大の撃鉄なのかも知れません。普段日記を書かない方でも、例えば海外旅行の間だけ日記を付けた経験、空港の長い待ち時間の間に暇つぶしから書き始めた経験などをお持ちの方は、いらっしゃるのではないかと想像します。
 旅行中、現地で写真やムービーをどれだけ必死に撮り続けても、数年もしない内に、細かいことは忘れてしまいます。
「あの美味しかったレストランを、今度同じ場所に旅行に行く友人にオススメしたいんだけど、店名なんだっけ? 場所どこだっけ?」とか、旅行中に見た有名な教会や城や景色を、今まさにテレビのクイズ番組で見てるんだけど「名前なんだっけ? あ~ホラホラ」などという隔靴掻痒の体験は、みなさんも一度や二度ではないと思います。
 現地で起きた、何気ない出来事や、異国の人々と心が触れ合った瞬間など、写真には残し得ない思い出をいつまでも記憶に留めておくには、やはり旅行記によって文字で残すのが一番です。
 旅行記は出版の分野でも、長く売れ続けるキラーコンテンツです。
 冒頭の『土佐日記』なら、各出版社から様々な現代語訳が出ていますし、「原書で読むぜ!」という熱量の高い方や受験生向けには、岩波文庫の黄帯も常に用意されています。

 そして古典以外で旅行記の不動の名著といえば、沢木耕太郎の『深夜特急(全6巻)』(新潮文庫)がありますが、初版は1986年ながら現在も書店の文庫売り場に必ず並ぶロングセラーです。

 そのさらに上の世代の方なら、1977年から78年にかけて『月刊PLAYBOY日本版』(集英社)で連載された開高健のアマゾン釣行記『オーパ!』を旅行記の最高峰として思い浮かべるかもしれません。
『土佐日記』同様、65日間、約2ヵ月の旅行記ですが、この『オーパ!』は、後世の出版界のみならず、テレビの海外ロケ番組、釣り雑誌、キャンピング雑誌の文体、表現法に影響を与えました。
 集英社への経済貢献も息が長く、2021年には箱入りで『オーパ! 完全復刻版』が登場、実に212ページ(+ブックレット56ページ)、縦29センチ、重量1.7キロ、価格8800円という本まで出ました。

『オーパ! 完全復刻版』

 これまでにも、大判のカラー本から直筆原稿版などなど、様々な「オーパ!」本は出続けていますし、映像の世界でも釣りと冒険をテーマにしたドキュメンタリー番組まで、どれだけの経済効果を生み出したかわかりません。

 ただし、『深夜特急』や『オーパ!』は、厳密には旅行記ではなく「紀行文」だとする人もいるでしょう。
 同じく開高健の『ベトナム戦記』(朝日文庫)などは、さらに「ルポルタージュ」として別の分類をされるのかも知れません。
 日付ごとの明確な区分がなかったり、内容の重厚さ、文学性の強さ、海外特派員として書かれたなどなど、単に日記というには軽すぎる場合、いろいろと格式の高い分類名になるのかも知れませんが、しかし、どんな紀行文も戦記も、この連載で以前ご紹介した、日々の「メモ」を活用して書かれているであろうことに相違ないと考えると、これらもボクなりには広義の日記として考えることとします。

 むしろ旅中はずっと簡単な「メモ」でいいのかも知れません。
 なにせ旅中は忙しいし、疲れも溜まります。旅の最高の瞬間瞬間を「ちょっと日記に書くから待って!」と中断するのも本末転倒です。
 もしも山下清画伯ばりに、旅先では一切メモすらとらず、家に帰ってからすべて記憶で描くような天才である場合には、メモすらいりませんが……。

人生史から地政学を学ぶ

 今回、最後にご紹介したい旅行記はハイリッヒ・シュリーマンの『シュリーマン旅行記 清国・日本』(石井和子訳/講談社学術文庫)です。
 先日、対談したゴンザレス丸山さんがこの本を推していて、学生時代以来、久々に再読しました。

『シュリーマン旅行記 清国・日本』

 シュリーマンは、ホメロスの叙事詩『イリアス』で描かれるトロイの遺跡の実在を信じ続け、ついには発掘した考古学者として有名ですが、人生前半は、15カ国語に長けた語学の天才たる貿易商でした。
 この旅行記の原書はフランス語で書かれ、1868年にパリで出版されたシュリーマンの処女作です。
 彼が41歳の時、貿易商としてのキャリアをすべてリタイアして、念願のトロイ発掘に取り掛かるその前に、清国や日本、そしてカリフォルニアへと訪れた、その旅行記です。シュリーマンがトロイの遺跡を発掘する6年前に書かれました。
 日本編は1865年6月1日から7月4日まで約1ヶ月です。
 時はあと3年で明治という幕末の、尊皇攘夷吹き荒れる江戸です。シュリーマン来日の4年前には、品川で水戸藩脱藩の攘夷派浪士によりイギリス公使ラザフォード・オールコックらが襲撃され、アメリカの公使館付き通訳ヘンリー・ヒュースケンは暗殺されるという、そんなご時世でした。
 シュリーマンはヒュースケンの墓を訪れるも、日本を野蛮な後進国と見ることはなく、この国の身分制度、幕府政治のシステムを仔細に分析、見抜きつつ(吉原の花魁が単なる遊女ではなく芸と学識を備えている民衆のスターであることまで)、それでいて、鎖国をしながらも独自に高度に発達した江戸の街、人々の衛生観念、人柄、文化、食事、景色に魅了されていきます。

 文中にはボクの青春の街、浅草も登場します。  
 浅草観音寺(浅草寺)で大仏を見たり、境内の見世物、曲芸師の独楽の技に圧倒されます。そして劇場で芝居を見て、言葉もわからないはずなのに、芝居の筋を詳細に記述するあたりに、語学の天才と言われる所以を感じました。
 シュリーマンはドイツ人ですが、貿易商としてロシアで会社を興し、現地女性と結婚(後に離婚)した、ロシアともゆかりの深かった人物です。
 インド藍の貿易で成功し、さらに、ロシアが冬でも凍らない黒海の不凍港を手に入れようとクリミア戦争(1853~1856)が起きると、武器や物資をロシアに卸して巨万の財を築きます。これを原資にシュリーマンはトロイの遺跡を発掘するわけですが、ちょっと今の御時世、この経歴にはかなりモヤモヤさせられます……。
 しかし、昔からロシアにとってクリミア半島というのは絶対に手に入れたい歴史があったこと、そしてクリミア戦争では、英仏オスマンなどの同盟軍にロシアが敗北した蹉跌の歴史があったことなど、シュリーマンの人生史から今の地政学を学ぶところが大きいです。

 今回の旅行記というテーマですが、当初、コロナ禍終了を当て込み、軽い気持ちで、旅行ブーム復活を祈念して書き溜めていたのですが、戦争が始まってしまい、またぞろ海外旅行、特に欧州方面に行く気持ちが臆するところとなってしまいました。
 一方で、避難民のことをいつも気にかけ、思いながらも、それ以外の地域の人々が「日常を取り戻す」ことも、侵略者に対する強烈なカウンターパンチではないかとも思います。
 世界情勢はまだまだ予断を許さないですが、みなさんも、晴れて旅に出る日がきたら、是非、日記を書き始めるキッカケにしてみて下さい。■
 

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プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

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短期間から日記をはじめられる「旅行記」