水道橋博士の「日記のススメ」 第18回

他人のことを書く日記

水道橋博士

浅草キッドの水道橋博士は、タレントや作家の顔を持つ一方で「日記を書く人」としても知られています。
小学生時代に始めたという日記は、たけし軍団入り後も継続、1997年からは芸能界でもいち早くBLOG形式の日記を始めた先駆者となり、現在も日々ウェブ上に綴っています。
なぜ水道橋博士は日記を書き続けるのか? そこにはいったいどんな意味があるのか?
そう問うあなたへの「日記のススメ」です。

「将来、とんでもなくなるかもしれない」人物を観察し続ける

「みなさん日記を毎日書きましょう!」と旗振り役をしていますが、現実問題、自分の人生は毎日毎日同じことのルーティーンで何ももう書くことがないとか、某坂道グループの歌ではありませんが、もうドキドキすることなんてないってわかってしまったと悟りの境地に入ってしまった方も多いハズです。
 その退屈な日常こそ、阪神淡路大震災から27年、東日本大震災から11年が経つ現在、そしてコロナ禍、ウクライナ侵攻を思えば、この上なく贅沢で幸福な日々に違いないはずですし、明石家さんま師匠の人生訓ではありませんが「生きてるだけで丸儲け」ではないかと気づくわけですが、こと日記を書くという場合、この平々凡々とした毎日というのは本当に困ったものです。

 自分自身の人生があまりに平凡すぎて書くことがない方は、このコラムで以前にも書きましたが、小学生時代のアサガオの観察日記や夏休みのお天気日記などを思い出してみてください。
 こういった日記の特徴は、自然など自分以外のものを観察して書いている日記だという点です。
 日記とは先入観で「自分自身のことを必死に書かなければならない!」という意識に囚われがちですが、別に他人や自然物を主題に書いても良いわけです。

 想像してみてください、もしあなたがテレビ朝日『徹子の部屋』を過去46年間、放送回数1万回以上の視聴日記を毎日書いていたとしたら?
 想像してみてください、もしあなたがフジテレビ『笑っていいとも!』のゲストコーナー「テレフォンショッキング」全8054回の視聴日記をつけていたとしたら……。
 恐らく、もうそれだけであなたは市井の「黒柳徹子博士」「タモリ研究家」の域を超え、出版社から「本にしませんか?」、番組制作会社から「タモリ特集をするのでご助言をいただけませんか?」等々の話が来て、あなたがテレビを見る方から見られる方にデビューする可能性だって大いにあります。
 はたまた、押入れから古い深夜放送のカセットテープがかなりまとまって出てきたり、何らかの事情で今はDVD化、再放送されないドラマやバラエティ番組のVHSテープが出てきたり……。
 こういったものを1日1本ずつ聞き直したり見直したりして、感想やフラッシュバックしてきた当時の思い出などを、内容と共に書き留めていく作業を続ければ、今からでも過去を辿る立派な日記が出来上がります。

 さらに別の書き方として、もしあなたがベンチャー企業の起業家の秘書や部下として働いてる、はたまた、学校のクラスに将来オリンピック選手を目指してるクラスメイトがいる、プロ野球のスカウトが注目する野球部の投手がいる、「半端ない」サッカー部員がいるサッカー部でマネージャーをしている、あるいは、駆け出しのインディーズバンドが好きで追っかけている、まだ売れていないが絶対〝来る〟に違いないアイドルグループに注目している、客が二人の演芸場で毎日ネタをしている毒舌漫才師がいるストリップ小屋に毎日通っている等々、あなた自身の毎日が平凡すぎて何も書くことが無いならば、「この人は将来、とんでもない人物になるかもしれない」と確信している人物を、至近距離から、あるいはテレビ・ラジオを通じてでも、客観的に観察し続けて日記にするという書き方もあります。

 自分ではなく、他人のことを徹底的に観察し続け、日々メモやデータを取り続けてデビューしたのが、「明石家さんま研究家」のエムカクくんです。
 このひとなど、偶然にもボクが発見した素人研究家だったのが、ボクが主催ししていたメールマガジン『メルマ旬報』に連載を始め、今や、かの新潮社から『明石家さんまヒストリー』を2冊、上梓しています。

 明石家さんまの出生から日付を追って、今も生きているレジェンド芸人の過去と未来を無限に書き続けているこのシリーズは、もはや評伝ではなく、「他人が書いている日記」です。

織田信長の一代記はメモ書きの重要性の証

 今回「他人のことを書く日記」というテーマで最後に触れたいのは、1600年頃に書かれた『信長公記(しんちょうこうき)』です。
 歴史好きの方なら言わずと知れた『信長公記』は、現在でも戦国ドラマの基礎資料として用いられる、非常に精度の高い織田信長の一代記です。
 著者は信長の近習(きんじゅ)の祐筆(ゆうひつ=右筆=武家社会の書記)であった太田牛一です。
『信長公記』は日記的に細かい日付と、その日その日の出来事が書かれてありますが、全16巻に整理整頓、編纂されたのは後年です。
 このコラムではとにかく日々、瞬間瞬間、メモを取ってくださいとお願いしていますが、それさえあれば後年でも立派な書物になる証明です。
 本書はまさに太田牛一の日々のたゆまぬメモ書き、日記を記した努力、時にはリアルに従軍した従軍記であり、その場にいなかった事件の時も、情報が風化する前に生きた情報をかき集めた努力が、今に残る綿密で正確な一級史料の完成に繋がったのだと思います(もちろん後の研究でいくつかの錯誤や間違いも指摘されていますが)。

『信長公記』は、父・織田信秀が今川義元と戦った小豆坂の戦い(1542年)をプロローグとして、信長史としては13歳(数え)で元服して吉法師から織田三郎信長となり、14歳で初陣を果たした吉良・大浜の戦い(1547年)を端緒に、足利義昭を奉じて上洛するまでを首巻、永禄11年(1568年)の上洛から天正10年(1582年)の本能寺の変に至るまでの15年の記録を1年1巻の15巻として、計16巻にまとめられました。
 2020年のNHK大河ドラマ『麒麟が来る』をご覧になっていた方ならわかるでしょうが、主人公・明智光秀(長谷川博己)の人生を翻弄する織田信長(染谷将太)が起こした数々の戦(いくさ)や事件、桶狭間から、蘭奢待の切り取り、比叡山焼き討ちから、本能寺まで、そのすべてが本書には詰まっています。
 そして今やアニメやゲームの影響から、世界中で有名となった「日本史上最初の外国人サムライ」であり「史上初の黒人サムライ」であった、弥助(やすけ)」と信長の出会いも記述されています。なんだか、殿(ビートたけし)とゾマホン(元駐日ベナン大使、元二代目そのまんま東)の関係性をも彷彿とさせます。

 この『信長公記』を読む上で、訳本として秀逸なのは、新人物文庫から出ている中川太古訳による『現代語訳 信長公記』で、この手の歴史書としては異例の21刷5万部を突破しています。

 古典にありがちな、原文を忠実に現代語訳するだけでは意味が通じない箇所を、「①必要な語句を補い、②主語を明確にし、③人名については通称を実名に替え、④敬語表現を廃し、⑤文の区切り等を変えた」などなど、相当に工夫を凝らしておりとても読みやすいです。

 ただし、正直に言うと、『信長公記』は歴史書として正確だということは、それは逆に文学的には作者の私情や、合戦シーンの抑揚を極力排するが故に、物語性には欠けるところはあるかも知れません。
 以前にご紹介した立川談志師匠の『談志の日記1953  17歳の青春』同様、読み物としては淡々としすぎている日記の記述は、その人物についてどんな細かいことでも知っておきたいというマニア心理をくすぐり、そして当時の情景を必死に思い浮かべて映像化するといった脳内作業をフルに楽しみながら読むタイプの書物であるのでしょう。

 いずれにせよ、自分自身の人生が平凡すぎてつまらないと嘆く前に、400年後も人々に読み継がれる「他人の日記」を、あなたも今日から始めてみませんか?■

 第17回

プロフィール

水道橋博士

1962年岡山県生れ。ビートたけしに憧れ上京するも、進学した明治大学を4日で中退。弟子入り後、浅草フランス座での地獄の住み込み生活を経て、87年に玉袋筋太郎と漫才コンビ・浅草キッドを結成。90年のテレビ朝日『ザ・テレビ演芸』で10週連続勝ち抜き、92年テレビ東京『浅草橋ヤング洋品店』で人気を博す。幅広い見識と行動力は芸能界にとどまらず、守備範囲はスポーツ界・政界・財界にまで及ぶ。著書に『藝人春秋』(1~3巻、文春文庫)など多数。

水道橋博士の日記はこちら→ https://note.com/suidou_hakase

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

他人のことを書く日記