「ジェンダー平等」がSDGsの目標に掲げられる現在、大学では関連の授業に人気が集中し企業では研修が盛んに行われているテーマであるにもかかわらず、いまだ差別については「思いやりが大事」という心の問題として捉えられることが多くあります。
なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのでしょうか? 女性差別と性的少数者差別をめぐる現状に目を向け、その構造を理解し、制度について考察。「思いやり」から脱して社会を変えていくためにいま必要な一冊が、『差別は思いやりでは解決しない』です。
本書の刊行を記念し、著者でLGBT法連合会事務局長の神谷悠一さん、ゲストに弁護士の太田啓子さんをお招きしました。離婚やセクシャルハラスメント、性被害などの案件を主に手がける太田さんの視点からは、本書の内容ならびに差別をめぐる日本の現状はどのように見えているのでしょうか。
法制度がもたらす、社会的な効果
太田 神谷さんの新刊『差別は思いやりでは解決しない』、まずタイトルにとても共感しました。差別を社会的な構造としてとらえることをせず、「思いやり」で終わってしまうことが多いということはずっと感じていたので、それと同じことを言っている! と思って。
差別の問題を「思いやれるかどうか」というふうに属人的に考えてしまうと、思いやりたくない相手、あまり気の毒だと思えない人の人権保障は後回しになってしまいます。そうではなく、自分が好きになれない、共感できない合わない相手でも、普遍的に人権というものはあって差別は人権に関わる問題なんだよ、ということがおそらくなかなか十分に伝わりづらい。そういう考え方をするための訓練が必要なのかなと思っていたので、そこにとてもフィットする本でした。
神谷 ありがとうございます。
太田 4〜5章は差別解消のための法制度が現状どうなっているかという話でしたが、私も弁護士として、日本では差別をなくすための法制度が弱いというのは常に感じてきました。
たとえば、1999年に施行された男女共同参画社会基本法も、性差別を禁止するという法律ではないわけで、「男女差別をなくそう」とははっきり言っていません。「男女共同参画社会基本法」制定の際、日本が「男女平等」ではなく「男女共同参画」という言葉を使った理由についての公的な説明は、「男女共同参画社会は、男女平等を当然の前提とした上で、さらに、男女が各人の個性に基づいて能力を十分に発揮できる機会を保障することをも重要な基本理念としていること」「男女平等を実質的に実現するためには、公的分野、私的分野を問わず、あらゆる分野における女性の意思決定への参加、すなわち参画が極めて重要であり、この点を強調する必要があること等を考慮したものである」とかなんですが、奥歯にものが挟まったようなというか、男女平等というと嫌がるような人に向けて「ほら、あなたの嫌いな男女平等という言葉は使いませんから」と言っているようにさえ感じてしまうんですよね(笑)。もちろん、それでも制定当時としては大きな前進ではあったろうし、当時いきなり性差別禁止法を作るというのはできなかったでしょう。でも、積み残した課題が解決されないまま長い時間が経ってしまったことの弊害は、今、やっぱりあるのではないかと感じます。
神谷 男女雇用機会均等法などもそうですね。男女共同参画社会基本法は施行から20年、均等法は40年くらい経ちますが、そうして弱い部分が残ったことが、裁判や行政指導の現場で使えなかったり、機能しなかったりという結果を生んできた気がします。
太田 法制度に関して、弁護士としての実務の上で一番引っかかるのは、セクハラやパワハラを訴えたときに得られる慰謝料の額の低さです。もう、被害者が受けてきた苦痛に照らすとなかなか納得しづらいレベルに低いですし、弁護士費用を払うとコスト倒れになりかねない。そういうことが実質的に救済を封じて、ハラスメントの責任を追及しづらい要因の1つになっていると言っていいと思います。
神谷 後遺症が残るようなレベルのひどいパワハラであっても慰謝料数十万円なんていうことがありますから、驚愕です。
太田 そうして慰謝料の額が低く抑えられていることで、ハラスメントの数が減らないだけでなく、その行為自体の悪質さが軽く捉えられてしまっているという問題もあります。加害者がお金に余裕のある人だったら「別にいいよ、払えば終わりでしょ」ということにもなる。ハラスメントがあったことを被害者が証明するのはすごく大変なのに、それでやっと認められても数十万円。あまりにも「コスパ」が悪いと感じています。
神谷 ハラスメントの被害者、特に精神的に苦痛を受けた人が、ショックを受けたり、傷ついた状態で被害の内容をきちんと論理的に語るのは非常に難しいですよね。そのことも本当に理解されているんだろうかと、歯がゆい思いがします。
太田 ハラスメントを受けたときに、反射的に「これは差別だ」なんてなかなか思えません。誰かと話したり、何度も記憶を反芻したりしながら「あ、私は差別を受けたんだ」と分かってくるわけですが、その過程では人間関係を気にしたりして迎合的に「あんなこと、気にしてません」なんて口にしてしまうこともよくあります。それが裁判で不利な証拠として使われて……ということもあるんです。
神谷 ただ一方で最近、トランスジェンダーなど性的マイノリティの学生が就職活動で差別を受けたときに、「ハラスメントだ」と主張する言説が出てくるようになっているのは、ハラスメントに関する法制度がある程度整備されてきたからだと思うんです。均等法にセクハラ防止措置が盛り込まれた時のこともそうですが、法制度を作ることはそういう意味でもとても大事なんですよね。問題はそこにどういう内容を乗せていけるか、その制度をどう普及させていけるかなんだなと、最近改めて認識しています。
太田 同感です。法制度というのは、直接的に司法解決の手段になるだけでなく、やはり社会的な効果も大きいんですよね。被害を受けたときに「それは違法だから」と言えるのは強いし、被害者に対するエンパワーにもなります。だからこそ法律を作らせたくない人もいるわけですが……。
神谷 刑法の性犯罪規定改正などは、まさにそういう感じになっていますね。
世の中は、昔よりよくなっている?
太田 優越的地位に乗じて性暴力、性的嫌がらせをするということの法的責任がなかなか問われづらいということに私はずっと関心をもっていて、そうした問題に関わりたいというのが司法試験を目指した理由の一つでした。試験に向けて勉強していたのは今から20年くらい前ですが、その当時の性犯罪や性暴力に対する社会の雰囲気を思うと、2017年の刑法の性犯罪規定改正や、昨今実名で顔出しでセクハラ被害を告発する人達の動きなど、隔世の感があります。
神谷 ちょうど最近、そのころの週刊誌に載っていたセクハラに関する記事がツイッターで流れてきたんですが、「おじさんにも言い分はある」とか「(女性が)派手な服を着てくるから悪いんだ」とか、すごかったです。「世の中って昔よりよくなってるんだ」というツイートが付いていました。
太田 そうなんですよ。社会学者の牧野雅子さんが、著書の『痴漢とはなにか』(エトセトラブックス)で戦後から現在までの日本における痴漢言説をたどって分析されているのですが、「女子高生にモミクチャ興奮される夢の都電トツゲキ」という痴漢行為そのもののレポートのような記事があったり、2000年代にさえ、女性は痴漢で性的快感を得ているということを堂々と書いているような週刊誌記事も普通にあるんです。びっくりしますし、本当に野蛮だったなと思いますね。今もそういう、性暴力をエロネタとして消費するようなことがなくなってはいませんが、でも以前と比べれば、そういうことが批判を受け、いわゆる「炎上」することがよくあります。そう考えると世の中いい方向に変わってはいるんですよね。ただ、スピードがあまりに遅いから、それをもっと早めたいという思いがあるのですが。
そのために一番邪魔になるのは、神谷さんの本の中でも取り上げられている「抵抗」だと思います。変わっていくこと、多様な考えを受け入れることへの抵抗がものすごく世の中に横溢しているから、それをなくすためのいろんな仕掛けとかコツがあればいいんだろうな、と考えています。
神谷 太田さんはいろんなところで講演などをされていますが、その中でもそうした抵抗のようなものは感じられますか。
太田 夫や親など、身近な家族にジェンダーとか性暴力とかの話をしようとしてもなかなか向き合ってくれない、どういうふうに声かけをすればいいでしょうか、といった質問をよくいただきますね。周囲の抵抗を取り除くためのヒントを求めている人はすごく多いと感じます。
個別のケースでは「私だったらこう言います」という話をしますが、一般論としてはやっぱり、本人が「向き合わなきゃ」と感じるようなモチベーションを持たせることだと思います。「ちゃんと向き合わないと嫌われる」「変わらないと、大事な人が去って行ってしまう」とか。本当は「変わらないと出世できない」くらいのフックがあったほうがいいと思うんですが、それは難しいかな。
神谷 たとえば一時期、妊娠・出産を経た母親から父親への愛情曲線の話がよく取り上げられていましたよね。乳幼児期にどれだけ子育てに関わったかが、後の父親への愛情に大きく影響する、という。
太田 はい。私は離婚事件を扱うことが多いのですが、妻の側から「なぜ離婚したいと思い至ったか」という話を聞いていると、産後の恨みは一生ものだと実感しますね。夫と妻との温度差が本当にすごいので、あれは男性も知るべき内容だと思います。
ただ、知らないことは誰にでもあるわけで、大事なのはそれを知らされたときにどういう態度で受け止めるかなんです。「そうなんだ、ちょっと考えてみるよ」くらいのことを最低限言えればいいんですが、反射的に否定したり矮小化したり「うるさいな」「俺が悪いっていいたいの?」みたいになってしまうと、コミュニケーションを自ら閉じてしまっていて、ちょっと救いようがないですね。
「声をあげることで自分の権利が守られた」という実感がない
太田 ちなみに「世の中は良くなっている」という話でいうと、私の本(『これからの男の子たちへ』大月書店)も大学生がたくさん読んでくれていて、それは本当に希望を感じています。ただ、「ジェンダーバイアスをもたないようにしたい」という個人のありようは通じやすいですが、社会構造を考える、変えていく、というようなことにはなかなか目がいきづらいように思います。
神谷 そうなんですよね。私も、大学の授業でレポート採点をしていたら、読んでも読んでも「思いやり」だったことがあります。企業や労働組合の研修で話をさせてもらったときにも、最後に話を「思いやり」でまとめられたりして。何なんだろう、と思ってしまいます。
太田 私の言ったこと、聞いてましたか? みたいな話ですね。そういう話を聞くと、現実にすでにある不均衡を知らないはずはないでしょう、と思ってしまうんですけど、そこを見ずに、どの人にも同じように対応する「形式的平等」のことしか考えられない人がいるんですよね。人間はみんな誰でも、多かれ少なかれ不平等を体感しているはずですから、形式的に平等にするのではなく、すでにある不均衡を是正するのが実質的な「平等」なんだということを理解するのはそんなに難しくないはずでは、とも思うのですが……。
いろんな場面で自己責任的な考え方が蔓延しているから、不遇な人がいてもそれは努力でなんとかすべきだと考えてしまって、社会に要因があるからいろんな取り組みによって是正すべきだという発想にはならないということなのかなと思います。
神谷 今、アルバイトの立場でも有給が取れるし、アルバイトで得られる給料は法定最低賃金を上回っている。それも過去の取り組みで状況が是正されてきた結果なんですけどね。大学生たちを見ていると、そもそも不平等に気づいていないということもあるし、関心はあってもどう扱ったらいいのか分からないということもあるのかなと感じます。
太田 そうなんですよね。今自分が法律で守られながら権利を行使できているのも、先人たちがすごい苦労をして獲得してきたものであって。そして、今の社会も当然完全じゃなくて、法律をはじめ足りないものがたくさんあるから、今苦労している私たちも「おかしいじゃないか」と声をあげて変えていけるし、変えていっていいはずなんです。
そのことを認識している人が、多分学生だけじゃなくて全世代において、日本にはとても少ない気がします。「声を上げることで自分の権利が守られた」という実感や経験が少ないからなのでしょうか。
神谷 性的マイノリティのコミュニティにおいても、これまでほとんど法制度が存在しなかったこともあって、「変わるんだ」という実感が乏しい部分があるかもしれません。刑法の性犯罪規定改正など、声を上げることで、制度ができてこう変わったよということを積極的に見せて、強調していかないと、気づかないままになってしまうのかなと思います。
フェミニズムとトランス差別
太田 神谷さんの本の3章では、トランスジェンダー差別の問題、とりわけトランス女性が女性専用スペースを使用することなどに対する女性たちの反発について取り上げられていました。
この問題は、女性差別の解消運動にも深刻な亀裂を生んだと思います。韓国の女性たちが性犯罪への恐怖からイエメン難民の受け入れに反対したという話にも触れられていましたが、違うテーマでの弱者同士の連帯というものがこんなに難しいのかということを突きつけられた気がして、やりきれないですね。
神谷 同感です。僕は、ジェンダーやフェミニズムの世界に育ててもらったという思いがすごく強いんですね。もともと、就職先でセクハラを頻繁に目撃したことがきっかけでハラスメントの問題に関心を持って、そこから「SOGIハラ」の問題に関わるようになったのですが、この「SOGIハラ」という考え方──されると嫌だけど、なんと表現すればいいのか分からなかった行為に名前を付けるという──にしても、セクハラに倣って生まれた考え方ですよね。あるいは先ほど触れた、ハラスメントの被害者が被害の内容を思うように伝えられないという状況なども、フェミニズムの中で発見され、理論化されてきたものだと思います。
それなのに、トランスジェンダーの問題になると、そうした理論が突然通じなくなってしまう。もちろん、女性専用スペースの使用に反対する人の中には性暴力被害の経験がある人もいるわけで、そうしたつらい思いをした人同士の対話が非常に難しいというのはよく分かるんです。でも、専門家であるはずのLGBTQの支援者やフェミニズムの研究者でさえ、まったく対話ができなくなってしまうことがあるのはショックでした。
トランスジェンダー差別について、傍から聞くといわゆる「セクハラ親父」が言ってきたことと同じような論理のことを、そのままトランスジェンダーの問題にあてはめて言っているように聞こえる人、こういう人も珍しくないと思いました。
太田 そうなんです。フェミニズムの運動は、性差別だ、セクハラだと言われて反発する男性たちに、「まずは1回立ち止まって被害者の声をよく聞いて理解しようとしてほしい」ってずっと言ってきたわけですよね。同様に、「それはトランスジェンダーへの差別だ」という声があがった時、「差別なんかしてない」と反発したくなる気持ちをいったんおさえて、まずは、自分には気づきづらい抑圧があるのではないか、何か誤解してはいないかと真摯に声を聞こうとする、ということを、やっぱりしないといけないということだと思います。もちろん、性暴力被害を受けた経験がある人の場合、それは本当に人生を変えるくらい深刻なものだということは分かっています。私も被害者の1人です。でも、トランス女性を女性専用スペースから一律に排除しても、性暴力対策にはなりません。トランス当事者の人権尊重と性暴力対策は何も矛盾なく両立するということを、丁寧に言語化し続けるしかないと思っています。
すごく先鋭化した発信をされている方の中には、これまで女性の抑圧や性暴力被害者のつらさについて、とても鋭い考察力を持って発信してこられたような人たちもいるんですよね。それが私はとてもやりきれないです。
神谷 はい。それがすごくショックです。
太田 その人たちも、「トランス差別にはもちろん反対」だと言います。でも、「女性スペースを守ることは大事だから、これは差別ではない」と言いながら差別をしているわけです。差別される痛みを知っている人達のはずなのに……。
トランス差別自体は世界的な問題ではあるんですが、日本の場合、ここまでこじれてきてしまったのには、性暴力被害がないがしろにされてきたということが深刻な背景としてあるのではないかと思います。性被害者のケアや権利回復が十分になされてこなかったことのツケが今回ってきているというか。自分の抑圧、自分の被害がずっと後回しにされ軽視にされてきたのに、今度は「トランス差別をするな」という言い方で後回しにされるのか、というように感じられてしまう人もいるのではないでしょうか。
でも、例えば「トランス女性と名乗りさえすればいかなる女性スペースも使わせるべきだ」というような、「トランス差別に抗議している人はそんなことは全く要求してない」という架空の言説を捉えて恐怖してしまっていると感じることばかりです。いわゆる藁人形論法ですよね。「そうは言わないが、トランス差別への配慮に乗じて性差別加害者が女性スペースに入り込む事を懸念する」というようなのも抽象的で根拠がありません。
トランス当事者の声を聞いて、実態をよく理解すればこんな藁人形論法につられることはないはずなのですが。
ただ、そうして性暴力被害が軽んじられてきたことへの怒りは、私の中にも自分の原点として存在していて、それ自体は、「トランス差別」と批判されるような言動をしてしまっている人達の少なくとも一部とは共有していると思うんですね。だから、同じようにそこに原点を持つはずの人たちの行動がこれだけ先鋭化してしまうのは、とてもつらいというか、憤りを感じつつやるかたな思いになるところがあります。性被害者へのケアなどにも同時並行で取り組みを加速化させながら、ある種の化学反応が起きるのを期待するしかないのかもしれないと考えています。
神谷 太田さんは、SNSなどいろんなところで発信をされていて、ありがたいです。
太田 私も最初は知識がなくて、性暴力はたしかに怖いし、何の文脈もわからないまま「男が女性トイレに入ってくるのを怖がってはいけないのか」とだけ聞かれたら、それは怖いのは当然だよねと思うわけですから、一体どういう議論なのかわけがわからず、何も反応できないまま様子見のような状態だった時期がありました。でも、トランス女性と女性専用スペースをめぐる問題は、問いの立て方自体がおかしいという感じなんですよね。私がそう理解するようになった経緯を、そのまま発信したら、同じように考えて「なるほど」って思う方もいるんじゃないかと思って、発信しています。
神谷 僕は「女性」ではないし、トランスジェンダーでもないから、ある意味でこの問題には少し距離があります。でも、だからこそできることがあるんじゃないかと思って、今回の本でこの問題について取り上げました。差別されている当事者たちに語れというのはあまりに酷なので、支援者として語るべきことは語っていかないといけないと思っています。
太田 差別の問題って、当事者ではないアライ(理解者、支援者)があまりに突っ走って代弁しすぎることに危うさもあって、自戒もしつつ色々難しいことはあると前置きしますが、でもやっぱり「こんなことまで当事者が言わざるを得なくならないようにしないといけない」面もありますよね。当事者の経験や思いは大事にしつつも、「ここまでの事態になったら私が自分で言うしかない」と当事者が思ってしまうような状況にならないように、まずはアライとしての差別に反対する発信は非常に大事だと思います。特にトランス当事者は、人口比で非常に少数ですから、当事者の発信だけではとても差別への対抗に追いつかないですね。
ジェンダー・バックラッシュ以降の20年を取り戻すために
神谷 今年夏に、自民党の城内実・元外務副大臣が性的マイノリティの差別解消について「お花畑正義感の人たち」などと発言しましたよね。あのニュースを聞いて、2000年代初めの激しいジェンダー・バックラッシュを思い起こしていました。停滞していたこの20年をどう取り戻していくかが、ジェンダーに関心を持つ人たちの間では課題になっているように思います。
太田 20年かけても取り戻せるだろうかという不安はありますが、今日のお話にも出てきたように、ジェンダーやLGBTQの問題に関心を持つ若い世代が増えてきているのは大きな希望だと思います。ただ、日本社会はまだまだ年功序列社会ですから、このままだと彼らが社会の中で重要なポジションにたどりつくまで、何十年もかかってしまう。若い世代の、アップデートした価値観を持つ人たちを、意志決定を担えるポジションにどんどん送り込んでいかないといけないんでしょうね。
神谷 たとえば女性参政権運動で、市川房枝さんたちが活動されてから、100年くらい経っているわけです。差別をなくすというのも、私たちが生きている間にどこまで進められるかという話かもしれません。「こうすればすぐに解決できる」という夢が振りまかれると、みんなすぐに飛びついちゃったりしますが、そうではないんですよね。闘って権利を勝ち取ってきた先人たちの歩みを、もっと知らせていく必要があると思います。
太田 歴史を知ると勇気が出るし、現実に対して悲観的過ぎることもなくなります。特に、フェミニズムの歴史をたどっていくと、この人たちは自分が死んだ後も残るような種を、後世の人のためにまいておこうと考えて頑張ったんだろうなと感じることがよくあります。そして、実際にその種が今開花していると感じるものもたくさんあるわけです。私たちも、後に続く人たちのことを信じて、自分の寿命が続く限り闘い続けるしかないんでしょうね。
ただ、状況を変えていくためには何よりも政治を変えなくてはならない。そこで選挙のたびにかすかな期待をかけるんですが、投票率は低いままで、そこに統一協会のようなカルトが入りこんで力を持ってしまっているのが現状です。最近だと、参政党が妙に影響力を強めているのもとても気になります。何をどこからどうやったら、私たちの手に政治を取り戻せるのかと、怖くなることもあります。
神谷 でも今、変化を起こしていくための障壁が何かということは、だいぶ明らかになってきていますよね。あとは多くの人が「これが障壁なんだ」と気づいて、動いていくしかないんだと思います。そのためにはいろんなところで、灯台の光みたいなものをいくつも照らしていくしかないんだろうなと。
太田 そうですよね。先日、ある研修会で対談させてもらった大学生の中に、大学院でジェンダーについて研究をしている男子学生がいたんですね。彼がジェンダーに関心を抱いたきっかけは、高校の世界史の授業だというんです。先生が植民地支配などの話に絡めて、ジェンダーについてもいろいろと話してくれたと。すごいですよね。
そんなふうに、ジェンダーの問題や差別構造について教えようと思えば教える機会はいっぱいある。それを実践している先生が現にいて、それに影響を受けて大学院にまで進学した学生がいて……と考えたら、すごく感動しちゃいました。そうして種をまくことに意味があるんですよね。
神谷 そういえば以前、足立区議会で自民党議員の性的マイノリティに対する差別発言がありましたよね。あのときに、LGBTQ当事者として発信を続けている松岡宗嗣さんのおばあさんが怒って、その議員に「あなたの発言は間違っている」と手紙を書いたんだそうです。80代のおばあさんなんですけど、これはすごい希望だなと思いました。
太田 素晴らしい。その世代の方だと、おそらくLGBTQといってもなじみがないでしょうが、お孫さんの人生を通じて勉強されたんですね。
神谷 若い世代に期待しつつ発信を続けていれば、上の世代からもそういう方が出てくることがあるんでしょうね。だから、希望は捨てずにいたいと思います。■
構成/仲藤里美
撮影/三浦咲恵
プロフィール
神谷悠一(かみや ゆういち)
1985年岩手県生まれ。早稲田大学教育学部卒、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。LGBT法連合会事務局長、内閣府「ジェンダー統計の観点からの性別欄検討ワーキング・グループ」構成員、兵庫県明石市LGBTQ+/SOGIE施策アドバイザー。これまでに一橋大学大学院社会学研究科客員准教授、自治研作業委員会「LGBTQ+/SOGIE自治体政策」座長を歴任。著書に『LGBTとハラスメント』、『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』(ともに集英社新書)などがある。
太田啓子(おおた けいこ)
弁護士。2002年弁護士登録、神奈川県弁護士会所属。離婚・相続等の家事事件、セクシャルハラスメント・性被害、各種損害賠償請求等の民事事件などを主に手がける。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバーとして「憲法カフェ」を各地で開催。2014年より「怒れる女子会」呼びかけ人。2019年には『DAYS JAPAN』広河隆一元編集長のセクハラ・パワハラ事件に関する検証委員会の委員を務めた。著書に『これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(大月書店)がある。