親孝行、どうしてます? ○○○○を変えるだけでいい!
人気エッセイストの北大路公子さんが、お墓を買う話から新型コロナの感染拡大、新たな家族との出会いという、笑いあり、しんみりありの日々を綴った新刊『お墓、どうしてます? キミコの巣ごもりぐるぐる日記』(集英社)を上梓しました。
発売後たちまち重版が決まったという話題の本書。<親の介護>と<お墓問題>は、いまの40代以上にとって切実な問題であり、親と子の数だけ答えがありますが、老いた親のケアや恩返しに関して悩まない中高年はいないはずです。
父が急逝したことで大いに迷いながらも少しずつ答えらしきものを見つけていった北大路さんに、お墓探しを通して感じた「生きている者の役目」、「親孝行のかたち」についてお話を伺いました。
この年末年始、コロナ禍を経て3年ぶりに親に会うという人も少なくないでしょう。あらためて、親と自分の“居場所”について想いを馳せてみませんか?
父の急逝によってお墓探しが始まった
――「死」は重々しい、「遺産」は生々しい。そのなかで、「お墓」はなぜか清々しいテンションで話せる感じがします。そういう明るさというのが、今回、北大路さんの筆ともぴったり合うテーマだったのではないかと思いますが、お書きになられていかがでしたか。
北大路 本当はあちこちのお墓を訪ねるという企画(編集部註:『小説すばる』連載時のタイトルは「キミコ、墓を買う。 ときどき温泉とカニのデス・ロード」)だったのですが、コロナで普通の日記になっちゃったので。そこはちょっと戸惑いました。でも、いずれはお墓を何とかしなくちゃいけないので、それについて書こうかなというぐらいの……何も考えていなかったんですよ。
――本書にも仁徳天皇陵の話は出てきましたが、ほかにはどこを訪ねたいと思っていらしたんですか。
北大路 高野山に行こうかとかいう話も出ていて。あとは、東京の青山墓地で有名人のお墓を見るとか。まだそんなに具体的な話は進んでいなかったんですが、とにかく仁徳天皇陵をまず書こうと。仁徳天皇陵については連載の担当さんから提案されて、最初は「古墳!?」ってなったんですが、面白そうだから行きたい! と。なので、今後機会があれば、まずは仁徳天皇陵へ行かないとなと思っています。
――この連載が始まる前まで、北大路さんにとってお墓はどんな存在だったのでしょうか。
北大路 そんなに身近ではなかったです。興味もなくて年に1~2回、法事としてお墓参りをする場所。もっと親しい人が亡くなったりすると違ったのかもしれないですけど、まだ連載前は身内も元気でしたし、友達も割と元気な人が多かったので。お墓に行って誰かに語りかけるとか、そういう感じの存在ではなかったです。お骨の収め場所がないと困るから入れておく、みたいな感じのところですね。お墓参りをしないとちょっと後味が悪いかな……と。先祖代々ずっとやってきたことでしょうから、私で途絶えさせるのもどうかなと思って続けてきたようなところはあります。
――北大路さんのエッセイの特徴として、ピンチのときに笑いが生まれるという現象があると思います。本書でもそういったシーンが随所に出てきますが、実際こういった笑いが舞い込んでくるその瞬間は……。
北大路 その瞬間は慌てているだけですよ(笑)。ばたばたして、どうしようと思っているだけで。それを含めて後から思い出すと笑える感じです。だけど、みなさん似たようなことはあると思うんですよ、本当は。でも、忘れちゃうとか、何かもう恥ずかしいから言わないでおこうとか、そうなっちゃうんじゃないかな。私がツイッターでちょっとした失敗とかを書くと、私も私もと、とんでもない話が来たりするので本当はみなさんあると思います。
――初歩的な質問ですが、そういった出来事は記憶されているんですか? それともノートのようなものに書き留めたりなさっているんでしょうか。
北大路 この連載のときはほとんどメモせずに記憶していたかな。以前、旅日記を書いていた時はちょっとメモをとっていました。あと、もうだいぶ前ですが、週刊誌の連載では毎週締切りが来るので、何かないと大変! となってノートに書き留めていました。でも、今はツイッターで印象に残ったことを書いているので、それで時系列で思い出したりとか。ああ、この日こんなことがあったなというのはものすごくお世話になっていて、それを見ながら原稿を書いていました。
――備忘録的なツイッターの使い方をされていたということなんですね。
北大路 何か原稿に使えそうだなというのは、全部は書かないで。ちょっとだけ書いたりして、後で見て思い出せるようにという、セコいことをしていました(笑)。もともとメモを取ったりするのが苦手なんです。一応、メモ帳を携帯はしているんですけど、そういう習慣がなくて。打ち合わせとかをしていても、お願いだからメモ取ってと言われたりするんですけど(笑)。だから、ツイッターとの相性がよかったんだと思います。
親の居場所と生きている者の役目
――「お墓」という、いなくなってしまった親の居場所探しがテーマですが、同時に、生きている親の居場所探しにもなっていると思いました。いなくなった親の居場所も必要だけれども、生きている残された親の居場所も大事。お父様のお墓を探しながら、お母様の居場所探しみたいなことを考えるというのはありましたか。
北大路 うちの母親は、父がいなくなってすごく寂しがっているというわけでもなく、普通に暮らしているので、その点は気楽でした。今は母と私の二人暮らしなので、とりあえず仲よくはしていこうかなというぐらいの気持ちですね。何か特別なことを考えるとかではなくて、仲よく暮らせればいいかなと。
ただ去年、自分が病気をしてからは、親の居場所について少し考えたかもしれないです。もし、自分に何かあったら、母をどうしようとか。お金はあるかとか。もちろん元気になった時のことも考えました。その時は、今までうるさいなとか思っていたのを、ちゃんと話を聞いてあげようかなとか、一緒にテレビを見てあげようかなとか。それぐらいのことですけど。
――本書内でも「無駄な親子げんかが減って楽な反面、それはそれでどことなく寂しいような気もする」とお書きになられていました。やっぱり、お父様が亡くなられたことでお二人の関係性も変化したんですね。
北大路 そうですね。あと、母自身も病気になっちゃったので、ちょっと弱気になったり。私が、娘がいないと……というところが多分出てきたんだと思うんですよね。自分ではあまり動けなくなってきちゃったので。だから、父の死が直接のきっかけというわけではなくて、いろんなことが複合的に重なって今の関係になったかなという感じです。母も若い頃はすごく気が強かったので、いろいろぶつかったりもしたんですけど、今は娘に逆らっちゃいけないみたいになっているのかも(笑)。
――生きている者の役目という話で言うと、やっぱりお墓探しは、ある意味、究極の親孝行だとは思うんです。北大路さんが今思われる親孝行とは何でしょうか。
北大路 親孝行って、あまり考えたことがないんですよね。やっぱり仲よくやっていきましょうねぐらいのことだと思いますよ、私にとっては。もう、この年になるとお互いに主張し合うこともないですし、私がこうしたいと言ったら母にはもう止められないですからね。まあ、母親もそんなにめちゃくちゃな性格ではないですし、話が分からない人でもない。だったら、仲よくやっていこうねと。今まではカチンときていたことも、そうだねと言っておこうかとか。
――ぐっとこらえるほどではないけれども、ふんわり折れるぐらい。
北大路 一旦、話を受け止めるだけで、何か向こうもうれしくなるのか柔らかくなってくるところがあるので。まだ頭もしっかりしていて、そんなにコミュニケーションに不自由というか、行き違いは出ない感じだから、今のところはそれでうまくいっているのかな。
今すぐ誰でもできる、親孝行のかたち
――親孝行について考えたことがないとおっしゃっていますが、こんな親孝行はしたぞ、というのはありますか。
北大路 どうだろうな。親にしたら、結婚して、孫を連れて来てくれたほうがよかったのかもしれないですし。親が年を取って弱ったら、そばにいてあれこれ面倒を見てくれるのはよかったのでしょうけど……。もっと仕事で成功してお金持ちになって、というほうがよかったのか、結婚して孫をたくさん連れてきたほうがよかったのか、今みたいに一緒に細々と暮らしているのがよかったのか、ちょっと分からないですよね。でも、自分の今の環境でできることをやるしかないというか。
――親孝行って、答え合わせが難しいですよね。
北大路 じつは、今住んでいる家の不動産の名義とかが全部、父個人じゃなくて父の会社のものだったんです。社員もいないし、父が死んだ後の整理などを考えて、弁護士さんにも相談して、父が生きている間に私が家を買い取るという形で名義変更しました。両親がずっと住めるようにしたんです。それは自分でも偉かったなと思いますね。“もういらないよ、こんなぼろぼろの藁の家”って思いながら(笑)。
あと、母親にはどうかな。今、それこそ通院に付き添うとか、そういう日常の手助けは多分、助かっているんじゃないですかね。若い頃はいろいろぶつかりましたけど、最近はもう絶対、嫌な顔はしないようにしようと思って。二人で暮らすんだし、そういうのはやめようと思ったら、向こうからも優しい感じになってくるんですよね。今までは、何でそんな言い方をするのみたいな感じで喧嘩になっていたんですけど、そういう喧嘩もなくなりましたし。
――生きている人は元気で仲よく生きようね、と。
北大路 そうですね。だって、仲よくするぐらいしか、もうできないですものね。やっぱり言葉遣いを変えていくだけでも違うんじゃないですかね。話をちゃんと聞くというか。頼まれごとも、できるかできないかは別として、いったんは聞くとか。丁寧に接するだけでもだいぶ違う。自分の気持ちがですけどね。親はどう思うか分からないですけど、丁寧に接するというのはやっぱり大事かなと。もちろん、親子の関係性や親の性格によっても違うとは思いますし、例えば何でもかんでも「あんたはダメ」とか言ってくる親御さんだと力関係みたいなのも変わってくるだろうし。簡単な話ではないんですけど。
――どんなに個人差があっても、言葉遣いをちょっと変えるだけというのは、すべての親子関係において有効な気がします。
北大路 言葉遣いを変えると、自然に丁寧に接するようになるんですよね。そうすると、やっぱりそれは向こうにも伝わるんじゃないかなと思います。ああ、大事に扱ってもらっているなとか、ぞんざいにされていないなと感じると思うので。「あとにして」みたいなこともあまり言わないようにして。嫌な声も出さないようにして。そうすると、何か丁寧に扱われている感じがするじゃないですか、相手も。別に「お母さん、どうちたんでちゅか」みたいなわざとらしいことじゃなくて、本当にちょっとした言葉遣いの柔らかさを意識しています。
――これは誰でもすぐにできるし、すごく大きな親孝行のヒントですね。
北大路 時々、身内にきつくなるというか、お母さんと話しているとき無意識にちょっと言葉が強くなったりする人を見かけることがありますけど、そこをちょっと変えるだけでもいいんじゃないかなと思います。周りで聞いているほうも違うんですよ、家族も他人も。だって、店員さんに威張っている人を見たら嫌じゃないですか。親だけじゃなくて、やっぱり人に丁寧に接するというのは自分の気持ちも変わってくるなと思いますね。
(イラスト/丹下京子 構成・文/集英社新書編集部)
プロフィール
北海道札幌市生まれ。2005年『枕もとに靴 ああ無情の泥酔日記』でデビュー。各紙誌でエッセイや書評を執筆。エッセイに『生きていてもいいかしら日記』『苦手図鑑』『石の裏にも三年 キミコのダンゴ虫的日常』『晴れても雪でも キミコのダンゴ虫的日常』『ロスねこ日記』『いやよいやよも旅のうち』、小説に『ハッピーライフ』など著書多数。