「傷だらけの天使」とは何だったのか?

小堺一機×山本俊輔×佐藤洋笑 『永遠なる「傷だらけの天使」』刊行記念
小堺一機×山本俊輔×佐藤洋笑

山本俊輔さん・佐藤洋笑さんの共著『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)刊行を記念し、筋金入りの『傷天』ファンとして知られるタレント・小堺一機さんを特別ゲストに迎えた、刊行記念トークイベントの模様を一部ご紹介。小堺さんと、萩原健一さん・水谷豊さんたちのエピソードも……。
※2024年6月1日、東京・書泉グランデで行われたイベントを採録したものです。

(左から)山本俊輔さん、小堺一機さん、佐藤洋笑さん

『傷天』があるから『探偵物語』がある!

山本 実は、今回のトークショー出演をお願いするために、献本させていただこうとしたら、マネジャーさんから「すでに小堺はポチっています」と言われまして(笑)。

小堺 この本の情報を知った時点でポチりました(笑)。いや、よくぞ書いてくれたと思いましたよ。

佐藤 ありがとうございます。読んでみて、いかがでしたか?

小堺 本当によく調べてある本だと思いましたね。これまで自分が知らなかったこともたくさん書いてあって。

山本 小堺さんはオンタイムでご覧になっていたそうですが、いくつくらいのときですか?

小堺 高校生でした。萩原健一さんが大好きで……やっぱりGSの時代から、ジュリーにショーケン。それに、『太陽にほえろ!』(萩原の出演は72〜73年)のマカロニ刑事の衝撃がありましたからね。だから「ショーケン、次は何やるんだろうな」って周りの友達とずっと話してましたもん。

佐藤 その流れで、『傷だらけの天使』に行き着くわけですか。

小堺 そうです。最初に知ったのは番宣でしたね。まず萩原さんの乱闘シーンが流れて、私立探偵を主人公にした新しいドラマだというんで、期待をふくらませましてね……。

山本 それで1話目からご覧になったわけですね。

小堺 ただ、この本のなかでも触れられていたとおり、家族そろって観るタイプの番組ではなかったんですよ。実は、ウチの親父も萩原さんのことを「ショーケンっていうのは、味があるな」って一目置いていたんですよ。だから1話目を家族一緒に観たんですが、とんでもないバイオレンスな番組だった(笑)。

山本 バイオレンスだけではなく、裸もたくさん出てきますしね(笑)。

小堺 今だったら放送できないですよね。なにせストリップ小屋の回(第3話「ヌードダンサーに愛の炎を」)とかあるじゃないですか。

山本 僕たちの世代(1974〜75年生まれ)は夕方の再放送で入ったクチですけど、そのときには、きわどいエピソードは放送されませんでした。

小堺 おふたりとも再放送からなんですか。

佐藤 ええ。正直なことを言うと、僕たちはどちらかといえば松田優作さんの『探偵物語』(79〜80年/日本テレビ系)の印象のほうが強かったんです。

小堺 やっぱりそうなんだ。木村拓哉くんと話したときも、やっぱり『傷天』より『探偵物語』だったんですよ。

佐藤 ああ、木村さんは同世代ですから……。

小堺 放送は『傷天』のほうが先なのに、時間がたって改めてフィーチャーされたのは、『探偵物語』が先だったじゃないですか。だからいつも「『傷天』があるから『探偵物語』があるんだぞ!」って思っていたんです。

山本 この本では、今だからこそできる『傷天』の再評価をしたいと思ったんです。それも、僕たちにとっては小堺さんがいろんな番組で『傷天』のお話をされていた影響は大きいんですよ。ほら、『コサキン』(TBSラジオ)に『傷天』の初期のキャメラマン・木村大作さんをゲストで呼ばれていたじゃないですか(笑)。

小堺 はははは、大作さんは本当にパワフルな方ですよねえ! この本で証言されている方々も知っている方が多いですから、その人の声で再生されましたよ。加納典明さんとか(笑)。

辰巳役・岸田森は小堺一機の厳しい「先生」

佐藤 小堺さんは勝新太郎さんが作った勝アカデミーに入っていらっしゃったんですよね。

小堺 ええ、1期生です。萩原さん演じるオサムが住むペントハウスって、代々木にあったじゃないですか。勝アカデミーは、代々木のビルで授業があって、近くだったので上まで上がったこともありましたよ。

山本 いいなあ。通称エンジェルビル、今は取り壊されてしまいましたからね。

小堺 1話目が屋上で風呂入っているシーンから始まるじゃないですか。感動しましたよ、「ああ、ここで風呂入ってたんだ。フンドシ一丁になってたんだ」って(笑)。

山本 勝アカデミーでは、先生が辰巳役の岸田森さんだったそうですが、どんな方だったんですか?

小堺 僕にとっては厳しい人でしたね。「オレはお前のことは認めないぞ」なんて言われて(笑)。今思うと、僕が勝アカデミーに入ったときには、もうテレビに出ていたので、「コイツはバラエティから来たヤツだ」という役者さんとしての矜持みたいなものもあったと思いますね。

佐藤 とくにこの時代の役者さんだと、そういう面は大きいかもしれませんね。

小堺 その割には、飲み会があったりすると呼んでくださるんです。その場でやっぱり「認めないぞ」なんて意地悪なことを言うのに、飲みの場の司会を任されたりする(笑)。アキラ役だった水谷豊さんにこの話をしたら、「(水谷の声色で)うーん……僕の知っている森さんはそんな人じゃないんだよね。森さんさ、本当は小堺さんのこと、好きだったんじゃないの?」って言ってくれました。

佐藤 岸田森さんに大きな影響を受けた、水谷さんの言うことですから、そのとおりだと思いますよ。

山本 ところで、水谷さんとは最初にどこでご一緒したんですか?

小堺 たしか、世田谷パブリックシアターに吉川徹さん演出の舞台『陽のあたる教室』(00年)という舞台を観に行ったときに、ごあいさつさせていただいたのが最初かなあ。「僕も吉川さんの『グッバイガール』(98年)に出させていただいたんです」と話したら「(声色で)あー、『グッバイガール』ねー」と。

山本 さすが、絶妙なモノマネだ(笑)。

小堺 だって、みんなマネしてましたもん。マネされるってすごく魅力があるということじゃないですか。あのころはみんな「アニキー」「アキラー」ってマネしていたんですから。……そうだ、この本に書いてありましたけど、このセリフ、本当は「バカヤロー」と言っていたというのはビックリしました。

山本 プロデューサーから「バカヤロー」が多いと言われて、収録後にショーケンさんたちが「アキラー」「アニキー」と吹き替えたそうです。

佐藤 あの当時は同時録音ではなく、アフレコで収録の後にセリフを吹き込んでいましたからね。

小堺 結構エグいことをやっているのに、「バカヤロー」はダメなんだって、驚きましたよ(笑)。

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プロフィール

小堺一機×山本俊輔×佐藤洋笑

小堺一機(こさかい かずき)

1956年1月3日、千葉県出身。1977年5月、TBS「ぎんざNOW」の素人コメディアン道場のチャンピオンになる。専修大学経営学部卒業後、1979年4月、勝アカデミー研究生として一期入学。1980年3月、勝アカデミー卒業後、浅井企画へ所属。

山本俊輔(やまもと しゅんすけ)

1975年生まれ。作家、映画監督。『殺し屋たちの挽歌』でロードアイランド国際ホラー映画祭観客賞を受賞。『カクトウ便/そして、世界の終わり』で劇場公開デビュー。映画の分野をメインに執筆活動中。

佐藤洋笑(さとう ひろえ)

1974年生まれ。音楽雑誌編集者を経て映画、音楽を中心にライターとして活動。山本俊輔との共著に『NTV 火曜9時』『映画監督 村川透』(DU BOOKS)がある。

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