1.イーフー・トゥアンと「場所を知ること」
前回は、地方に対する人々のリアリティが欠如しているがために、地方そのものが「ポルノ化」している、という話をした。社会学者のゴーラーが述べたところによれば、ある対象が社会から抑圧されれば抑圧されるほど、逆にそれは極端な形で社会の中に現れる。それがゴーラーの言う「ポルノ」だ。例えば、医学の進歩によって死が遠い存在になった20世紀には、死を題材にした作品がいささか扇情的な形で描かれた。それと同じことがいま、地方で起こっている。地方移住が賛美されるそのすぐ横で、地方消滅がまがまがしく語られる。二極化した語りの中で地方は消費されている。
しかし、そもそもある場所を「知っている」とはなんなのだろう。その場所に対して「リアリティーを持っている」とはどのような状態なのか。場所を知るのであれば、写真や動画や、あるいは統計資料で見ればいい。SNSが発達した現在、私たちは家にいながらにしてさまざまな地方(時には日本を飛び出して海外の、それも奥地さえ)を日々、見ている。それはその場所を「知った」ことにならないのか。
ここで参考にしたいのが、人文地理学者であるイーフー・トゥアンの議論だ。1930年生まれのトゥアンは、統計データを組み合わせることに執心していた地理学の中において、人間と土地の間に起こる「主観的な関わり」を重視する地理学を提唱。ほぼ同時期に類似した研究を行っていたエドワード・レルフの研究潮流と合わせ、「人文主義地理学」を打ち立てた業績で知られている。この教科書的な説明からもわかるとおり、彼が生涯を通じて探求したのが、まさに今私たちが考えている問題、つまり「人間が場所を知る/経験する/リアリティーを持つ」とはなにか、ということだった。
トゥアンの力を借りながら、私たちの疑問に取り組んでみたい。
2.「空間」と「場所」
トゥアンの考察の基底を成す2つの概念が「空間」と「場所」である。
両者の違いを簡単に説明するのは難しいが、ざっくりいえば、「空間」は科学的に計量可能で、数値や座標を使って表せるような幾何学的かつ抽象的な三次元の広がりのこと。一方、「場所」はより個人に紐づいた主観的な三次元の広がりで属人的な個々人の語りからしか表現できない。
トゥアンが「『空間』という観念を定義するためには『場所』という観念がなければならない」と述べている通り、その2つは別々のものではない。人間は生まれてからすぐは周囲の三次元の広がりを「空間」としてしか認識しないが、その中でさまざまな関わりを続けることで、そこが個人の愛着を持った「場所」になっていく。膨大に広がる「空間」の中に人々が「場所」を作っていく……というのが、「空間」と「場所」の関係だ。
少し抽象的だから、これを「移住」の文脈に当てはめてみよう。
首都圏で育った人が、東北のある村への移住を計画しているとしよう。移住前は、その人にとって移住先の村は「空間」でしかない。村の名前や人口、産業の様子を客観的に知ることはできるが、関わりは薄いから個々人の経験が色濃く付いた「場所」ではない。抽象的なレベルの知識にとどまっているのだ。ただ、だからこそその人は村に関する自由な想像を広げることができる。あんなこともしよう、こんなこともしよう……と憧れが湧いて出てくる。
期待に胸を膨らませて、さあ、いよいよ実際に移住開始。すると、その人自身が感じ取ったその村の様子や空気感が理解できる。抽象的な知識が、村の景色や環境と共に具体的な知識になっていく。そして、ある程度そこに住むことで、徐々にそこはその人にとって「場所」に変わる。その移住がうまくすすめば、やがてその場所は移住者にとって安全であり、愛着を持てる場所になるだろう……
その意味で、移住とか引っ越しは「空間」を「場所」にしていくプロセスだということができる。
今の説明でもわかるように、トゥアンの説明によれば、「空間」には自由・憧れ・観念的・抽象的といった特性が、「場所」には安全・愛着・親密・価値といった特性がある。人間にとっての「空間」は抽象的だからこそ、自由の場所として憧れの対象になるし、よく知った「場所」は「我が家」「故郷」といった形で安全かつ愛着を持つ対象になる。
この2つの三次元の広がりを表す言葉から、トゥアンは人間と土地との関わりを説明しようとしたわけだ。
3.「空間」の代償
ここで、前回までの私たちの議論とトゥアンの議論をドッキングしてみよう。
「地方ポルノ」という言葉で私たちが呼んだ「場所に対する消費」が起こるのは、人々がそこを「空間」として捉えているからではないだろうか。
トゥアンの言葉を借りれば、空間とは自由で観念的で抽象的だから、どのようにでも解釈可能。だからこそ、そこに対する極端な受け止めも生まれる。前々回、イケハヤ氏が地方をある種の「フロンティア」的に喧伝していた、その捉え方とも通底する。彼は『まだ、東京で消耗してるの?』の中で、東京の暮らしにくさを徹底的に強調して、地方での暮らしを美化して礼賛した。それも、地方を一種の抽象的な「空間」として捉えていた(あるいはイケハヤ氏がそう描こうとした)からだ。
ちなみにトゥアンが興味深いのは、人間の空間の獲得に関して以下のようにも述べていることだ。
もっと印象的なのは、思考することと目論むことが「空間の征服」という意味での空間能力の及ぼす影響であろう。人間は、(思考の産物である)海図と羅針盤の助けを得て大洋を横断してきた。また、さらに複雑な機器を用いれば、地球から飛び出して月へ行くことも可能なのである。
(イーフー・トゥアン『空間の経験』p.355)
人間は「空間」を求めて海をわたることができるし、宇宙に行くことができる。逆に言えば、人間にとって未知の大陸や宇宙は「空間」であり、フロンティアの開拓とは人間が抽象的な「空間」を求め続ける運動だともいえるのだ(そもそも、英語にすれば「空間」と「宇宙」はどちらも「space」である)。
そして、エドワード・サイードが明確に言語化したように、そうして開拓された「フロンティア」や「新大陸」は、当時の列強の人々にとって一種理想化された幻想的な土地として捉えられた。いわゆる「オリエンタリズム」だ。オリエンタリズムもまた、ある種の地方ポルノ的な、実態を超えた過度の賛美という側面があるが、こうした現象と「空間」は強く関わっている。
ある三次元的な広がりを「空間」として認識する捉え方がある。トゥアンの考えでは、それは人間が生まれ落とされた環境を認識するときには必然的に会得しなければならない捉え方だが、それがもたらす代償もあるような気がする。
それが「地方ポルノ」に代表されるような、ある土地に対する極端で煽情的な語りであり、オリエンタリズムから地方移住/地方消滅論まで、おそらく人類の歴史の中で連綿と紡がれてきた「負の都市論」である。
4.視覚だけでコミュニケーションをしている時代
では、「空間」が「場所」になるとき、いったい何が起こっているのだろうか。先ほどの私の説明では、それを「ある空間に長く住むことによって、そこが場所になる」とした。ちょっと曖昧だ。それは具体的にどのようなことなのか。空間がリアリティーを持つのは何によってなのか。
トゥアンは人間にとっての「空間」についてこう述べる。
人間の空間を構成し組み立てていくものは、もっぱら視覚であって、他の感覚は、視覚による空間を拡張し豊かにする働きをしている。
(イーフー・トゥアン『空間の経験』p.35、太字は引用者)
つまり、空間とはまずもって「視覚」によって構成されるという。では、そこが「場所」になるためには何が必要か。サンフランシスコを例に取りながら、トゥアンはこう述べる。
サンフランシスコのような都市は、その独特の環境、地形、スカイライン、におい、雑踏によって認識される。われわれがある物体や場所を全体的に経験するとき、つまり活動的で施策的な精神の知的働きを通して経験するだけでなく、すべての感覚を通して経験するとき、その物体や場所は具体的な現実性を獲得するのである。
(イーフー・トゥアン『空間の経験』p.39、太字は引用者)
この引用からわかるのは、「場所」の形成にとって重要なのは視覚も含めた嗅覚や触覚、聴覚といった感覚のすべてだということだ。サンフランシスコを知るためには気温や湿度のような環境(触覚)、地形・スカイライン(視覚)、におい(嗅覚)、雑踏(聴覚)が総動員される。
移住などでもそうだろう。インスタの投稿やガイドブックでその土地を見るだけでなく、その土地の空気を吸い(嗅覚)、その自然に触れ(触覚)、そこで流れる音に耳をすます(聴覚)。それらの要素によって、はじめて、ある人にとってのそこが「場所」になっていく。トゥアンの言葉を借りれば「具体的な現実性を獲得する」。
裏返すと、地方ポルノが起こるとき、人は地方について「視覚」でしかコミュニケーションをしていないということではないか。人々はその地方の様子をInstagramの「映え」写真で見たり、ネットニュースの情報として見たりする。そこには五感が伴っておらず、まさにトゥアンのいう「感覚」が著しく欠落している。
そもそも、現在はSNSが社会における必須アイテムとなったが、これほどまでに視覚が優位なツールもない。インスタグラムはその傾向を顕著に生み出し、「映え」という言葉を一般に浸透させた。Xだってポストをバズらせようと思ったらインパクトのある一枚の写真を貼り付けることがマストだ。
だから、人々は逆に五感が伴わない形で大量の視覚情報だけを永遠に見ている。「スマートフォン(以下スマホ)の使い過ぎが習慣化すると、情報のインプットが多過ぎて「脳疲労」の状態に陥り、脳の情報処理機能が低下」すると警告されているように、現代におけるインプットの量は独特の脳疲労を起こすほど。「場所」の感覚がないまま、「空間」だけがあまりにも広大に広がっているのだ。そうなれば、もはや「地方ポルノ」起こり放題である。
5.「都会ぎらい」は「空間」で起こる
トゥアンが述べた「空間」と「場所」の話から「地方ポルノ」の話を経由しつつ、現代においては地方というものが一つの抽象的な「空間」となっているのではないか、という話をした。そんな時代においては、「地方」は毀誉褒貶の激しい二極化された語りに晒されることになり、「地方ぎらい」までをも生み出すかもしれない。
本連載のテーマは「都会ぎらい」である。どうも前回から「地方」の話ばかりをしてきたから、ここでトゥアンの議論も踏まえつつ、本連載のここまでの流れを改めて整理しておきたい。
そもそもこの連載では、近年の都市再開発や都市化の流れに対して起こる「過度な反対意見」のメカニズムについて考えている。「再開発」と一口に言ってもさまざまなディティールがあるのだが、それは等閑視され、巷ではどこか感覚的な再開発批判が展開されている。しかし、そうなってしまうと本来再開発がもたらすポジティブな側面が語り落とされてしまい、再開発の当事者にとってもマイナスの影響が出てしまう。それを問題視してこのような問題設定を立てたわけである。
また、同時に私たちは開発当初から称賛を受けている再開発案件も考えてきた。ただ、そこも同様に、本当にその開発が良いのかどうかという具体が抜け落ちたまま礼賛されている様子が見受けられる。
いずれにしても、具体性を欠いた状態のまま都会が好かれたり嫌われたりしていたわけである。今回語ってきたような「地方ポルノ」と同じような現象、つまり、都会についてもそのディティールが等閑視された「都会ポルノ」的なことが起こっている、ということだ。トゥアンの言葉を借りるなら、「空間」として都会が認識されている。
ここで「都会ぎらい」がなぜ起こるのか、という連載の問いに答えるとするならば、それはおそらく私たちのコミュニケーションがきわめて「視覚」優位になっているからだ、ということができる。視覚コミュニケーションが圧倒的に優位な時代における土地の捉え方こそ「都会ぎらい」だといえるのだ(そしてそこには表裏一体として「都会ずき」が張り付いている)。
地方だろうが都会だろうが、日本全体が抽象的な「空間」になっている。そこでは、あらゆる土地が「好かれ」、そして「嫌われる」。「都会ぎらい」とはSNSにおける視覚優位の時代がもたらした一種の病なのだ。
6 すべてが「空間」になっていく
SNS的な視覚空間によって、さまざまな場所がリアリティーを失っていく……
こう書くとなんというか、わりと最近の人文系の議論で言われているような結論に辿り着いている気もする。それこそ、SNSが作り出すリアリティーが失われたフィルターバブルの空間を抜け出すために、人はリアルな場所に出ていくべきなのだ……という議論も最近はよく聞く。
一方、コトはそう単純でもない気がする。私見ではあるが、SNS的な視覚世界そのものが実空間のあり方・経験の仕方までをも変えてしまっていると思うからだ。
例えば、観光地。
こんなデータがある。Z世代に「旅の目的」を聞いたところ、「そこでしか撮れない写真を撮る」が目的としてもっとも多く40%を占めたという。私もなんとなくわかるのだが、近年では観光地を見つけるのにInstagramを用いるのが普通になってきた。インスタの投稿で見た場所を目指して旅を進めるのだ。だから、この「そこでしか撮れない写真を撮る」は言い換えれば「インスタで見た”あの”写真を取りに行く」ということだ。つまり、旅の目的そのものが「SNSで”見た”あの風景を”見る”」と、SNS的な視覚情報の後追いになっている側面がある。トゥアン風に言うなら、近年の観光は「空間」を旅している。
実際、国内外の観光地において、Instagramを中心とした視覚装置としてのSNSが観光地に及ぼす影響ははかりしれない。
私は香川と東京で二拠点生活をしているが、香川の小豆島にあるエンジェルロードなどは、まさにこの「視覚優位」の時代を代表する観光地だ。同地が有名になったのは2009年に「恋人の聖地」に制定されたからだが、その時代はちょうどTwitter(現・X)やインスタグラムが出始めたとき。その広がりにはSNSが欠かせなかっただろう。
「エンジェルロード=映えスポット」として広く認識されるようになり、インスタには海の上に浮かび上がる幻想的な砂浜の道が膨大に投稿されている。しかも、大体同じ写真。エンジェルロードは、「映え」を武器にシェアを広げていった。むろん、それを否定するわけではない。ただ、小豆島観光の姿を見ていると「小豆島に行ってあの写真を撮る」がゴール、というのが一つのスタンダードにもなってきている。

いわば、Instagramという視覚的な情報ツールによって、旅のあり方そのものが変わっている。だから、その旅では実際に視覚以外の情報を得ているにもかかわらず、むしろ「視覚的なこと」ばかりが意識されてしまう。相対的に「視覚以外」の情報の価値が低下し、「空間」を観光しているようになるわけだ。
先日、『遊びと利他』で日本の公園空間の変容について執筆した北村匡平さんにインタビューをしたとき、興味深い話をされていた。北村さんは元々旅が好きで、インターネットやSNSが登場する以前から世界各国に赴いていたという。けれど、SNSの登場によって旅の経験が明確に変わったと言っていた。
僕の中での旅とは、偶然性に満ちていて、自分の人生の中で想定できないような人に会ったり、経験をしたりすることでした。けれど、スマートフォンが海外で普通に使われるようになって、そういう出会いや偶然性がどんどん失われていった気がします。正直に言えば、旅がスマホ上で見たものを効率良く見にいくものになってしまった。[…]今は、旅の質的な価値よりも量的な価値が優位になっています。みんなが行きたいところにどれぐらい効率よく行ってその写真をSNSに上げられたのか、ということのゲームになっていて、その旅で味わったものに価値が置かれていません。
(現代ビジネス「教員と学生が互いに首を絞め合う…「過剰管理」する日本の教育に決定的に足りないこと」)
ここで旅の「質的価値」とか「その旅で味わったもの」と呼ばれているものは、視覚だけではない、五感で感じたその土地の様子だろう。いわば「場所」的な価値だといってもいい。
ヴォルフガング・シヴェルヴシュが『鉄道旅行の歴史』で述べたように、これまでも、その時代の技術の進展は私たちの旅の経験、ひいては空間や場所の感じ方までを左右してきた。2010年代からのSNS時代によって、旅もまた「視覚優位」になってきた。つまり、旅先、観光地は我々にとって「空間」になりつつある。
SNSが私たちの三次元の広がりの「経験」の質を変えている。だとすれば、SNS的なリアリティーを失った空間において、リアルな場所に出ていこう!といっても、結局そこに出たとて、私たちは本当の意味でその場所を感じることはできないのである。
このような時代において、「都会ぎらい」の問題を真の意味で解決するのは、なかなか厄介なのである。というより、その解決方法があるのかどうか?難しい気分にもなってくる。
(次回に続く)

東京における再開発ラッシュやそれに伴う反対運動、新しい商業施設への批判、いまだに報じられる地方移住ブーム……なぜ人々は都会に住みにくさを感じるのか。全国のチェーンストアや東京の商業施設の取材・研究を続けているライター、谷頭和希がその理由を探求する。
プロフィール

たにがしら かずき チェーンストア研究家・ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業、早稲田大学教育学術院国語教育専攻修士課程修了。「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。著作に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』 (集英社新書)、『ブックオフから考える 「なんとなく」から生まれた文化のインフラ』(青弓社)。