負の遺産が開く未来 動き始めた日本の“加害”ダークツーリズム 第8回

長崎人権平和資料館

~負の歴史に向きあう優しさ・強さ・人間力について
三上智恵

戦争や原爆の悲惨さはいつまでも深く胸に刻み、これを風化させてはなりません。しかし、悲惨な結果を招いた原因が、残虐の限りをつくした日本のアジア侵略にあったこともしっかりと心に刻む必要があります。受けた苦しみの深さを知ることが、与えた苦しみの深さも知ることにつながらなければ、平和を築くことはできません。

 長崎人権平和資料館のHPの「当資料館が目指すもの」にはこう書かれている。この連載のテーマ「負の遺産が開く未来」と深く響きあう、大事な視点を真正面から提示している。自分の国がどんな間違いを犯し、加害者となってどんな風に近隣諸国や自国民を傷つけたのか、戦争の実相を知らぬままで本当の平和は掴めないと、私も繰り返し書いてきたが、同館はまさに同じ危機感を掲げ、調査、啓蒙だけでなく戦後補償の問題にも取り組み、着実に歩んできた。日本の加害に向きあう資料館として、国内ではおそらく右に出るものはない、「真打ち」の登場という感がある。

長崎駅から徒歩で行ける「長崎人権平和資料館」(写真左)。長崎人権平和資料館入り口正面の展示(写真右)。天井まで広がる写真と資料に圧倒される。

 長崎の原爆資料館に行くなら必ずここにも足を運ぶべきだという声は各所から聞いていて、いつかはと願っていた。今回ご縁を頂いて、知りたいことや期待で胸をパンパンに膨らませて門をくぐった。長崎駅から坂を登って数分でたどり着くこじんまりしたビルがそれで、元々は中華料理店だったそうだ。一歩足を踏み入れたとたん、年表や写真、天井まで説明パネルがびっしり。受け付けにはボランティアの女性がいて、笑顔で理事長の崎山昇さんと、前副理事の新海智広さんを呼んでくださった。そこから4時間を超える怒涛の解説が始まった。

理事長の崎山昇さんは被爆2世でもあり、核兵器と戦争と差別のない世界を求めて熱心に活動してきた。

闇に葬られてきた「外国人被爆者」

 まず目に飛び込んでくるのは、外国人被爆者たちの実態と戦後の苦しみを訴える資料群だ。同館が最も力を入れてきたのは、この闇に葬られてきた韓国・朝鮮人および中国人被爆者の問題だ。というのも、現在の長崎原爆資料館(1996年開館)の前身である原爆資料館(1955年開館)では、捕虜収容所で被爆したアメリカ人やオランダ人について言及されていても、数万人に及ぶと見られている韓国・朝鮮人と中国人被爆者については触れられていなかった。完全に黙殺されていたのだ。

 1965年、「日韓条約」の締結で在日社会の分断や法的地位の不利益が懸念されたのを受けて、長崎では「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が発足。この会が中心となって長崎における朝鮮人被爆の実態や強制労働の歴史を解明が進み、尊厳の回復と、医療や補償につなげる活動が行われてきた。地道な調査でわかったのは、原爆投下時、長崎県には約7万人の朝鮮人がいて、うち被爆したのは約3万人、約1万人が死亡したと推定されること。長崎市の出している数字とは大きく異なるため、その実態を展示につなげるよう長崎市に働きかけてきた。しかし、96年に生まれ変わった現在の長崎原爆資料館の展示も、かろうじて朝鮮人被爆者が存在したと認知した程度の展示にとどまってしまった。それではいけないという強い危機感から、完全民営の長崎人権平和資料館が1995年に誕生した。資金調達から展示物の作成まで一切を行政・企業にたよらず市民の力で完成させた、全国でも稀有な「民衆による民衆のための資料館」である。

この資料館は朝鮮人強制連行の実態を展示してきた。

 運営は全国約170人の会員が支え、現在30人余りのボランティアが受付に立つ。役員を含め全員が無報酬だ。昨今、激しくなっている加害の展示に対する歴史修正主義者らの攻撃は、主に公立の施設へ向けられることが多いが、長崎人権平和資料館の最大の強みは、この100%民間の力で維持しているという点だろう。館内には南京大虐殺を始め、日本の軍隊の残忍さに目を背けたくなるような写真や証言も多い。でも疑問や異議を唱える電話はあっても、暴力的な抗議や妨害などにさらされたことはないという。とはいえ、開館して30年、忖度なしに日本の加害責任・補償問題に焦点を絞った展示を維持するのは、並大抵の努力ではなかっただろう。この骨太な資料館の強さの源、関わる人たちの人間力についても、展示内容に加えてぜひ学んで帰りたいと思っていた。

朝鮮人と中国人・強制労働の二つの背景

 解説を受けながら、私は早速自身の認識不足を痛感した。戦争中の労働力不足を補うために動員された朝鮮人と中国人。その背景の違いを私は正確に理解していなかった。朝鮮は当時日本の統治下で、日本人同様に民間人を戦争協力に動員する「徴用」の対象だということもできた。一方敵国である中国人を動員する法的根拠はなく、日本政府はその都度、契約の形を装ったり職業訓練の名目を使うなどの体裁をとるが、のちに奴隷労働と国際社会から追及されるのを恐れ資料は焼却している。そのため、中国人被爆者や、中国人強制労働の実態の解明はさらに遅れたのだという。

 一例を挙げると、世界文化遺産登録後、人気急上昇の「軍艦島(端()島(しま))」。日本の近代化を支えた海底炭鉱の孤島はドラマ化もされ、今は廃墟そのものが観光スポットになっているが、その海底のさらに下、最大で地下1000Mにまで広がる炭鉱の労働は過酷で、かつては事故が絶えなかった。そこに、連行されてきた多くの朝鮮人・中国人労働者が働いていた。資料館には、端島のほかにも高島や崎戸など、逃げ場のない島で地底深く潜って働かされる労働者たちの恐怖が偲ばれる展示がある。前副理事の新海智広さんは、1944年45年の端島の資料「火葬・埋葬許可証」を手に、朝鮮人労働者の死因に窒息・圧死・水死などの事故死が多いこと、そして日本人労働者より死亡率は高く、さらに悪かったのが中国人労働者なのだと説明してくれた。

前副理事の新海智広さんは、韓国・朝鮮人被爆者だけでなく、中国の被爆者や強制労働関係者から聞き取り調査をしてきた(写真左)。端島の火葬・埋葬の記録には労働者の死因が記録されている(写真右)。

新海「朝鮮半島からの労務動員に関しては一応、国家総動員法関連の法令もあって、徴用されてきたと言う言い方もできるんです。ところが中国人は敵国ですから“動員”はできないんですよ。そこで日本は“契約労働者”とかいろいろな形をとるんですが、端島(軍艦島)の事例では204人の中国人が、中国人“捕虜”が来る、と言われていたそうです。全然“捕虜(元軍人)”ではないのに。ほとんどが普通の農民で、ある日突然無理やり、事実上の拉致ですね。長崎地裁の判決文の中でも、裁判官は拉致という言葉を使っています」

長崎県の端島。軍艦島の通称で知られ、世界文化遺産に登録されてからは人気の観光スポットになっている。

 1990年代に、元中国人労働者たちへの聞き取り調査を行ってきた新海さんによると、端島の中で朝鮮人は一応同じ国の人と扱われ、ある程度行動の自由もあったが、中国人は敵国人として居住区も隔離され、賃金もなく、劣悪な環境下に置かれていたという。

 さらに中国本土での強制労働も凄惨を極めた。館内には大同炭鉱を始め、中国各地に残る万人坑=中国人労働者を使い捨てにした「人捨て場」の遺構の写真がある。中国政府の統計によれば、日本占領下で炭鉱やダムなどの強制労働に動員された人数は延べ4000万人で、そのうち1000万人が過酷な労働や虐待で命を落としたとされる。その数には異論があるにせよ、山のように積み上げられた遺体の写真から、侵略という言葉だけでは到底想像が追い付かない規模の迫害が浮き彫りになる。これら、埋葬もせずに人間の尊厳を蹂躙した行為が、軍だけでなく主に日本の企業によって担われていた事実に戦慄した。戦争の加害の主語を「国」や「軍」と抽象的に捉えていては事実を見誤るだろう。

「血塗られた手」

 展示の中で最も衝撃を受けたのは、観衆の中で関東軍麾下の満州国軍が中国人の少年の首をギロチンで切り落とす瞬間の写真だった。まわりにはすでにいくつもの首が転がっている。ある個人(日本人)が所有していたというこの一連の写真群からは、この日少なくとも同じ場所で10人以上の首をはねたことや、公開処刑を見物するように着物を着た女性らも観覧していたことなどが見て取れる。笑いながらこの蛮行を成し得る人々の血が、自分にも流れていると知るのはつらい。人はここまで残酷になれるのだと、目を背けてはならないと頭では思うものの、こんなに堪え難い展示はなかなかない。この写真と万人坑、人体実験をした731部隊、南京大虐殺の展示も合わせて考えたときに、併合した朝鮮半島の人々に対するよりも、中国人に強いた労働がさらに過酷だったことの背景がようやく見えてきた。

日本はアジア各地で残虐行為を働いた。

 私たちは、朝鮮半島の人にも中国の人にも「同様に」申し訳ないことをしたと認識してしまいがちだ。しかし歴史的な経緯も法的な背景も偏見のありようも異なっている。加害国として、その違いを分けて理解する努力くらいしなければ、両国と向き合う資格はない。具体的な「酷いこと」の内容を知ろうともせず、「いろいろありましたが、これからは仲良くやっていきましょう」と血塗られた手を差し出しても、そんな手を相手が握り返してくれるはずがない。自分は白い手を出しているつもりでも、相手からすればまずその血を拭ってから握手を求めるのが礼儀ではないですかと返すだろう。加害の歴史を見つめないということは、関係を修復するスタートラインにすら立てないということだ。資料館の理事長である崎山昇さんは穏やかに言った。

崎山昇理事長。

崎山「日本の人たちは加害責任について認識を持ってないわけですね。伏せられてきた。教わってないんです。だからここの資料館に来て、残虐な写真もありますけど、それを見て初めて認識するわけですよ。どんなに酷いことをしてきたのかということ。同じ過ちを繰り返さないために、知ってもらいたいという思いでこの資料館を運営しているわけです」

歴史を「なかったこと」にできる時代

 一方で、来館者のうち外国人の割合は年々増えているものの、日本の学生が減っていることを憂いていた。

崎山「今、年間4,000人ぐらいの入館者のうち、大体海外から来られる方が半分ぐらいなんですね。そして学生割合はというとわずか18%なんです。以前は7割から5割が日本の学生だったのに。これは日本の学校教育の結果が現れているというふうに思います」

 いま多くの教科書が南京大虐殺という言葉を使わず「南京事件」と記述し、「侵略」を「進出」と言い換えるなど残虐性を薄める方向にある。日本の加害を授業で取り上げるのも歓迎されない。慰安婦問題をテーマに授業をした教員が保護者や上司から責められるような空気がある。日本兵による沖縄戦の住民虐殺もなかったといって憚らない政治家も出てきた。崎山さんは、不都合な歴史を「隠そう」とすることと「無かったことにする」のは全く別のレベルで、しかし「無かったこと」にし易い時代に直面していると指摘する。

崎山「戦争体験者の人たちが生きていらっしゃる時は、無かったことにはやっぱりできなかったわけなんです、隠すことはできても。ところがだんだん戦争体験者や原爆の被爆者も少なくなっていくと、無かったことにしてしまおうという動きが強くなって、教科書にも書かない、教科書に書いてなければ学校でも教えることができなくなって、日本人全体で知らない人たちが増えていくような状況になっていくわけですね」

長崎原爆資料館が直面する危機

 一旦話はそれるが、いま長崎原爆資料館も、加害の展示が大幅に縮小される危機に直面している。現在長崎の資料館も沖縄の平和祈念資料館同様、展示リニューアルの検討が進められているのだが、アジアへの侵略や南京大虐殺に触れる展示がある「日中戦争と太平洋戦争」というコーナーが丸ごと休憩室に変わる計画だという。横に新たにつくられる「二つの世界大戦」の枠の中で加害の歴史に触れるものの、分量も表現もかなり抑えられると見られている。現在、市が選任した20人の運営審議会が議論を重ねているが、特に加害の展示を削減することについては市民を巻き込んで様々な意見が噴出しているため、取りまとめの期間が延長されている。この運営審議会は、沖縄の資料館とは違って市民にも完全公開で進めていると聞いて驚いた。

 実は、テレビ報道記者の大先輩になる関口達夫さんという、長崎放送で長年原爆や核の問題に取り組んできた方が、今回人権平和資料館のお二人と私を繋いで下さったのだが、その関口さんはこの原爆資料館の展示変更を問題視して、審議会を毎回傍聴しているという。

元長崎放送記者 関口達夫さん。原爆や核兵器の問題に取り組んできた。

関口「2019年長崎市議会で、ある議員が“南京大虐殺はなかった”と資料館の表記修正を主張して、そこから展示見直しの話が始まっています。審議委員の中にも一人、南京大虐殺はでっち上げだと強く主張する人がいる。だから我々も「世界に伝わる原爆展示を求める長崎市民の会」を結成して加害展示の継続を市に申し入れたり、来館者にアンケートとったりしていますが、このコーナーは、外国人にはとても評価が高いんですよ」

長崎原爆資料館には南京の虐殺事件に触れている展示がある。分量はごく少ないものの、今回の変更でなくなる可能性が高い。

関口さんは、外国人を含む数えきれないほどの被爆者を取材してきたという。その思いを背負っている者として、原爆資料館の一つの言葉、一つの展示であっても、平和を維持する最前線と捉え、守っていく責任があると語る。

日本の加害性に言及している「日中戦争と太平洋戦争」のコーナーは残して欲しいという関口さん。

関口「やっぱりね。これはここだけの話や動きじゃなくて。広島ではね、平和教材から“はだしのゲン”が削除された。群馬県では朝鮮人労働者の追悼碑が撤去されたと。関東大震災の朝鮮人虐殺については、政府が公的な記録が見当たらないなんていうね。実際は歴史的な事実の記録はいくらもあるそうじゃないですか。そんなことを否定し始めたわけでしょう。こういう一連の流れだとしか考えられない。踏ん張りどころですよ」

 同じテレビ報道に携わってきた一人として、引退し70代半ばになってなお果敢に社会問題に切り込んでいく関口さんの情熱には胸が熱くなる。原爆資料館の推移は今後も注視していくとして、話を人権平和資料館に戻す。

資料館を支える人々の「人間力」

 理事長の崎山さんは被爆二世だ。核兵器は絶対に許さないという信念で活動しているが、日本の加害を強調すると「その結果として原爆が落とされた。自業自得だ」と原爆投下の肯定に繋がるんじゃないかという人がいるそうだ。「原爆反対」と「加害の展示」は相性が悪いという議論だが、崎山さんは、それは全く筋違いだと言う。確かに、何の落ち度もないのに原爆を落とされたという語りのほうが被害を訴えやすい。けれども、じゃあ他国を侵略したような国は何をされてもいいのか、という暴論は国際人道法の観点からも決して肯定されない。どんな理由があれ、非戦闘員の無差別殺戮は正当化できない。なにより重要なことは、核兵器が敵を倒す兵器の枠を遥かに超え、地球と命の尊厳そのものを根底から破壊するものだと身をもって体験した国の人間が、絶対に使わせないと訴えるのをやめるわけにはいかない。いかなる罪を背負っていたとしても、後ろ指をさされてでも、被爆国である私たちは言い続けなければならない。その時に侵略や加害の歴史に蓋をしながら「核兵器廃絶、一緒に頑張りましょう」と呼びかけても人は耳を貸さないだろう。
 私は一つどうしても聞いてみたかった質問をしてみた。充分苦しんできた被爆者も、加害の歴史を知るべきだと思いますか、と。崎山さんは少し考えてからこう言った。

崎山「私は知るべきだと思いますね。被爆者の方が講話しますでしょ。もちろん悲惨な経験を話されるんですが、でも朝鮮半島や中国で日本がどれだけのことをしたのかっていうことを話す人はなかなかいないですよね。調べたり知ろうとしない、それは当然年齢的な問題もあると思うんですけれど、きちっと知った上で、本当に申し訳なかったって。二度と同じようなことは繰り返させない。しかし原爆は絶対許されないから一緒に戦争も核兵器もない世の中を作りましょうと言わないと共感は得られない。それに尽きますよね」

 長崎人権平和資料館は、中国の南京大虐殺記念館や、ハルビンの731部隊の記念館とも交流があり、展示物を提供していただいている。また元慰安婦の女性たちの支援もしてきた。崎山さんや新海さんのお話を伺っていると、負の歴史に向きあう決意をした加害国の側がどのような姿勢で当事者たちと接し、信頼を得ていくのか、それを実践してきた方々だからこそ獲得した、動じない包容力、ブレない優しさのようなものを感じた。それは関口さんにも通じるが、資料に当たってきただけではなく、人に会ってきた経験値の豊富さによって磨かれる人間力なのだろうと思った。
 隣国の脅威を煽り、闘う覚悟を叫ぶ国のリーダーに振り回されつつある日本の中で、着実に負の歴史を超えていこうと交流を産みだす人たちがいる。たった一度の訪問では厳しい展示内容をすべて理解できたとはとても思わないが、私はある種の心強さと大きな希望を長崎人権平和資料館から頂いた気がしている。

三つの資料館が照射する「軍艦島」

 さて、ここでこの稿を終えることも出来るのだが、今回は端島(軍艦島)に関してどうしても触れておきたい資料館があと2つある。一つは端島の詳しい展示がある東京新宿区にある産業遺産情報センター。もう一つは同じ長崎の軍艦島デジタルミュージアムだ。

「軍艦島は地獄島ではありません」と書かれたパンフレット。産業遺産情報センターで配布している(写真左)。軍艦島デジタルミュージアム(写真右)。

 私の手元に、上質なカラー刷りでGUNKANJIMAと書かれた薄いパンフレットが二冊ある。ともに表紙は端島(軍艦島)の写真で「誰が歴史を捏造しているのか?軍艦島は地獄島ではありません」と書かれている。歴史の捏造。美しい印刷の上に何とも不釣り合いな、不穏な言葉だ。発行は「真実の歴史を追及する端島島民の会」、協力は「一般財団法人産業遺産国民会議」となっている。私は端島のことを調べる中でこのパンフの存在を知り、これを入手できるという産業遺産情報センターを訪ねてみることにした。

 その施設は大江戸線の駅から遠くはないものの、案内の看板もなく、近付いても資料館らしからぬ構えで入り口もわかりにくかった。多くの人に立ち寄って欲しいと思って造られてはいない印象だ。それもそのはずで、2020年に総務省の第二庁舎の一部を改装して、内閣官房・内閣府が設置したという、一風変わった資料館なのだ。無料だが予約が必須。そして断ることも出来るが、案内係と回るのを推奨しているようだったので、案内をお願いすることにした。

 時間通りに10時に行くと、私以外に見学者はいなかった。最初に座ってアンケートを書かされた。案内コース2時間のうち、前半は女性で、後半は男性のガイドがつくという。この施設は、2015年に「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されたことから、日本がいかに短期間で産業化を成し遂げたのか、その歴史を最新のデジタル技術や資料を用いて解説・発信するという主旨で、ゾーン1と2にあたるそのパートは女性が案内してくれた。製鉄・製鋼、造船、石炭産業が近代日本の形成にいかに貢献したかを印象付ける内容で、そんなものかと見学した。問題の端島が登場する展示は後半の、第3ゾーンと言われる部分だった。

 実はこの第3ゾーンこそが、この施設を作った最大の理由なのだ。それは、世界遺産の登録に反対する声に対応するためである。軍艦島(端島)など一部の登録施設では、過去に意に反して連れてこられ過酷な環境下で働かされた人々がいた。そのことを問題視し、登録に反対する声が韓国や市民団体から上がっていた。ユネスコは、その負の歴史も分かるように展示することを条件に登録を進めた経緯がある。平たく言えばここは、世界遺産登録を阻む強制労働問題を収めるために、日本政府が作らなくてはならなかった資料館なのだ。

 後半の案内を担当して下さった眼鏡をかけた男性ガイドさんは開口一番、苦笑しながら「あの、よかったらここに来た目的というか、教えてもらえますか」と聞いた。私は、今度長崎に行くのでぜひ軍艦島に行ってみたいと思って、と答えた。男性はまず、第3ゾーン入り口に並んだ大きく引き伸ばした7、8人の人物パネルを指して「この方々はどなたかわかりますか?」と聞く。「いや、特に有名人でもなくごく普通の、軍艦島に暮らしていた元島民の方々です。私たちは実際にこの島民の方々から証言を得ているので、疑いようがないんですよ」と話し始めた。要は、地獄島ではありませんと歌ったパンフレットにあるとおり、端島は小さいけれど皆が助け合って暮らした良い島で、拉致されてきた人など一人もいなかったこと、朝鮮人を奴隷のように働かせた事実はないことが島民の証言で裏付けられているという趣旨が説明された。証言は、同じ人に3回聞いて、3回同じ答えだった部分だけを使ったから確かだという。また、展示されている給与袋を指して、朝鮮人労働者も学校の先生より多くの給与をちゃんともらっていた証拠だと話した。そして、こちらは「一次資料」をそろえています、とガイドさんは胸を張った。

 ここで問題視されていたのは、世界遺産登録に反対する韓国の市民団体が作った宣伝物に使われている数枚の写真だった。それが、実は朝鮮人ではなく日本の労働者のものであるとか、端島の写真ではないという証拠が示されていて、その誤った写真がさまざまな媒体に使われ、端島の名誉を傷付けていること、嘘の報道が繰り返されて元村民が悲しく思っていることが語られていた。なるほど、写真の出所が特定され、朝鮮人強制労働とは無関係な写真だとわかった以上、その写真はもう使うべきではないだろう。しかし何枚かの写真が誤りだと判定されたからと言って、端島に強制連行がなかったとか、差別がなかったという話にはならない。

 また、パンフレットでは、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」編集・発行の「原爆と朝鮮人」に紹介されている資料を槍玉にあげて「日本の活動家が閉山後の端島に無断で侵入し盗み出した資料と推測される」と説明。資料の読み込みが恣意的であるとして、「日韓の市民団体と活動家」が端島の歴史を捏造している正体だと言わんばかりの論を展開している。そしてガイドさんからも同じような趣旨の話が繰り返された。

 説明が終わると再びアンケートを課された。ちゃんと理解したかを試されているような感じで、一生懸命説明してくれたガイドさんには申し訳ないが、ちょっとぐったりしてしまった。私は双方の主張の食い違いを検証する立場にはないが、公共の資料館でここまで明確に一つの方向に見学者を導く展示を見たのは初めてで困惑した。そもそもここは、本来のユネスコとの約束である「過酷な環境で働かされた朝鮮出身者等がいたこと」を理解できる施設のはずなのだが、程遠く、みんな仲良く助け合って暮らしていた端島だけが印象づけられている。日本の名誉を傷付けることは許されないというガードがそこにあるのだとしても、それは本当に日本の未来のためになるのか?と考え込んでしまった。

日本の近代化を支えた栄光の島

 もう一つ、いま観光客に大人気の「軍艦島デジタルミュージアム」にも触れておきたい。そこは、端島の世界文化遺産の登録に合わせるように2015年にオープンし注目を集めた施設で、船で島に上陸するツアーの前後に見学できるように乗船所の近くにある。軍艦島ツアーは天候と波の状況で上陸できない日も多くあるため、クルーズ船の会社が最新のVRシステムやプロジェクションマッピングなどを駆使し、上陸できなくても楽しんでもらおうと工夫を凝らしたということだ。人口密度世界一と言われた頃の活気ある島の様子が写真や動画で紹介され、テレビ・冷蔵庫・洗濯機が揃った豊かな生活を再現した昭和レトロな部屋などもある。撮影もOKなので、仲間と写メしてすぐにSNSに上げたくなるような、若い人たちも十分楽しめる展示になっている。VRのゴーグルを渡され装着してみれば、まるでドローンに乗って島を探検したような体感が楽しめ、デジタルミュージアムの技術に進歩には驚かされた。これなら5000円ほど払って船で訪ねなくても、入場料金の1800円で島を体感できるなら十分という気もする。

没入感のあるプロジェクションマッピングなどで軍艦島を疑似体験できる。

 一方で、あの頃の軍艦島にタイムスリップ!という体験を求めてくる観光客には全く必要のない情報なのかも知れないが、もちろんこの施設には、中国人や朝鮮人や強制労働に関する展示は見当たらない。かといって、炭鉱労働の暗いイメージを感じさせない娯楽施設が一概に悪いとも言えない。実は少し斜に構えてミュージアムを訪れたのだが、結果的に行ってよかったと思う。というのは、人権ミュージアムで新海さんが話してくれた、朝鮮半島から突然この島に連れてこられた14歳の少年のエピソードが頭にこびりついていたのだが、その少年の足跡を辿るような体験ができたからである。

二つの悲劇を背負った14歳の少年

 その少年とは、徐正雨(ソ・ジョンウ)さん。15年前に亡くなった彼の生前の講演の動画を拝見したのだが、それによると徐さんは1928年に韓国慶尚北道の農家に生まれ。14歳のある日、祖母と畑にいるときにいきなりトラックに乗せられ、列車と船を乗り継いで下関港に着く。同じ時に海を渡ったおよそ1000人は二十歳未満の若者ばかりで、そこで北海道に500人、長崎に300人……と振り分けられたという。初めて端島を見たときは本物の軍艦と思ったそうだ。それから6帖に6人が暮らす二階建ての長屋生活が始まる。豆かすと玄米が8:2という食事で空腹が満たせない上に、当時600mの地下に降りての炭鉱労働は、地熱の暑さと狭苦しさと恐怖で耐え難かった。仕事を終え、炭鉱の坑口から長屋まで堤防の上を歩いて帰りながら、少年は毎日、この海に飛び込んで死ねたら、とそればかり考えていたという。彼が海を左に見下ろしながら歩いた狭い堤防周辺は、実際に島に渡っても立ち入り禁止のエリアだ。しかしデジタルミュージアムでは徐少年の足跡を辿れるほど、ヴァーチャルではあるが堤防を真上から見て追体験ができたので、胸が詰まってしまった。

徐正雨(ソ・ジョンウ)さんは14歳の時に軍艦島に連行され、その後移動した造船所で被爆。戦後は後遺症に苦しみながらも生涯差別反対を訴えた(写真左)。14歳の徐さんが堤防から朝鮮人宿舎まで歩いた道のりを指さす新海さん(写真右)。

 徐さんはやがて三菱造船所に移動になり、炭鉱から解放されてほっとしたのも束の間、そこで被爆してしまう。強制連行と原爆の被爆者。重い二つの歴史と後遺症を背負いながら、それでも徐さんは調査に協力し、修学旅行の生徒たちに繰り返し体験を語り、差別と闘った。そんな徐さんの話を傍らで聞きながら、新海さんは過去に何度も徐さんと端島を訪れている。のちに軍艦島ツアーで上陸したこともがあるが、もちろん強制連行の歴史は語られず、見えてくるものが全然違っていたという。

新海「長崎には多くの外国人が来ます。例えば中国や韓国の観光客が軍艦島ツアーで島に立った時に、自分たちの祖先がここにいた、その歴史に全く触れない案内をされたらどんな気持ちがするか。現に204人の中国人がいたことも、500人以上の朝鮮人がいたことも事実です。もしも長崎の観光を考える人が、過ちとか、暗い辛い歴史は観光に向かないと思っているとしたら大きな間違いです。世界中の旅人が求めているものの中に、学びの旅というものがある。現に原爆ドームは世界中の人たちを集めているじゃないですか」

ヴァーチャルで海底の採炭現場に降りていく体験も。

 同じ軍艦島を取り上げた3つの施設を並べてみると、長崎人権平和資料館は、島を通して今も解決されていない日本の戦争責任を解像度高く映し出しているし、産業遺産情報センターは国の名誉という視点から数字と証言で潔白の証明を試みている。体験・娯楽型のデジタルミュージアムは、表の歴史をノスタルジーでくるんで見せ、結果的に歴史の透明化に踏み込んでいる要素もあるかもしれない。もちろん優劣ではなく、端島という人気スポット一つを巡っても、資料館によって全く見え方が異なること、それ自体が貴重な学びを提供していると思う。私はぜひ3館めぐりを勧めたい。どの場所で最も共鳴できるのか、それはなぜなのかと、自分の思考の現在地を掘り下げる得難い機会になるだろう。

結びにかえて ダークツーリズムへのいざない

 娯楽寄りの旅も、学びがメインの旅も、私はどちらも大好物だ。旅するなら、街や自然が織りなす風景を楽しむだけでなく、土地の歴史や、住む人々の心の機微にも触れたいと思う。それだけではなく、自分を見つめなおす機会になったり、つまらない価値観が瓦解するのを味わったりすることも、旅の大きな醍醐味だ。沖縄という土地で報道に携わりながら八方塞がりに思えたことが、長崎や長野に出かけて展望が開けることもある。人生を豊かにしたり、楽にしたりする魔法があるからこそ、人は旅にいざなわれ、心さらわれてまた、次の地を目指してしまうのだと思う。

人類が数限りなく犯してきた過ちが染みついた土地は、そこここにある。準備不足で、物見遊山で来てしまった自分を恥じながらでも、そこに立ってみる意味はある。その地に身を置かないとわからない感覚を身体に叩きこんで帰ればいい。
 自分が育んできた「感性」という名の宝物の包みを旅先で広げた時、衝撃でその一部が欠けたり、その貧相さに赤面したりすることもあるだろう。でもその土地を後にする時、実はそっと、新たな玉石が包みの中に仲間入りしていたりする。そんな旅の贈り物を増やしながら、感性という宝物を磨いていく道のりは、人生そのものではないかと思う。
 ダークツーリズムという慣れない言葉に、身構えてしまう人もいるかもしれない。でも負の歴史に向きあうのは、決して過去に絶望するためではなく、誠実に隣人と共に歩むための準備の一つであり、再び過ちを犯さない最大の処方箋だと私は思う。少なくとも連載の中で紹介してきた日本の黒歴史を辿るスポットは、訪れる価値が十分にあると思っている。さあ、心の中の宝石がどう変化していくのかを楽しみに、出かけて見ませんか?

写真撮影:筆者

 第7回

関連書籍

戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録
証言 沖縄スパイ戦史

プロフィール

三上智恵

(みかみ ちえ)
ジャーナリスト、映画監督。毎日放送、琉球朝日放送でキャスターを務める傍らドキュメンタリーを制作。初監督映画「標的の村」(2013)でキネマ旬報文化映画部門1位他19の賞を受賞。フリーに転身後、映画「戦場ぬ止み」(2015)、「標的の島 風かたか」(2017)を発表。続く映画「沖縄スパイ戦史」(大矢英代との共同監督作品、2018)は、文化庁映画賞他8つの賞を受賞。著書に『証言 沖縄スパイ戦史』(集英社新書、第7回城山三郎賞他3賞受賞)、『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記憶』(集英社新書ノンフィクション)、『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』『風かたか「標的の島」撮影記』(ともに大月書店)などがある。

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