2026年3月22日、大阪・隆祥館書店主催の『公教育をあきらめるな!』出版記念イベントが、著者の西郷孝彦先生、宝上真弓さん、本の構成を務めたジャーナリストの木村元彦さん、本にも登場する元木川南小学校校長・久保敬先生、教育研究家・鈴木大裕さん、隆祥館書店店主の二村知子さんらを交えて行われた。
当日は本の中で紹介された宝上さんの元生徒や、西郷先生や久保先生の教え子の人たちも登壇し、この手のイベントとしては一風変わった趣となった。その模様を、著者による対談メインの第一部と、久保・鈴木氏も加わったパネルディカッションの第二部に分けてレポートする。
取材・構成:木村元彦 撮影:集英社新書編集部
大阪の大正西中学で5年間、教師を務め、二人の子どもを出産後にスクールカウンセラーをしていた宝上真弓が、東京の世田谷区立桜丘中学の存在を知ったのは、ちょうど7年ほど前だった。東京で校則をなくしてしまった学校がある、そこは中間や期末といった定期試験も無ければ始業のチャイムも無いという。これだけ聞くとまるでカオスをイメージさせられるが、生徒の平均学力は極めて高くなり、都内の進学校にも多くの卒業生が進んでいる。桜丘中学はかつてイジメや校内暴力が横行していることで有名であったが、今ではそんな暴力も根絶されたというのだ。
学校を劇的に変えたのは、ただ一人、西郷孝彦校長の存在だった。宝上の勤務していた学校は、沖縄や朝鮮(韓国)にルーツを持つ子供たちが何人かいて、シングル家庭やステップファミリーも多く、経済的にも支援を受けている家庭が数多くあった。いわゆる指導難関校で、生徒に舐められたくないと考えていた新卒の宝上は、クラス運営の秩序を第一に考えて校則指導を徹底させ、逆に生徒からの猛反発を食らうという痛い経験があった。
宝上は、ぜひとも桜丘中学を視察したいと熱望し、筆者はそれを繋いだ。訪れた校長室では、初対面でありながら、矢継ぎ早に質問を繰り出すスクールカウンセラーに対し、西郷校長は少しの気負いも見せずに自然体で答えていく。校則をどうなくしていったのか。保護者や教師からの反発はなかったか。さらに学校は荒れなかったのか。なぜそこまで生徒を信じられたのか。等々、
そのやりとりから、宝上の抱えていた悩みは多くの教師に共有されているものではないかと思い至った。何となれば、校則をめぐる攻防はいつしか、教師と生徒の対立闘争になり、自分は良き教師たらねばと厳守させることに腐心し、消耗していった真面目な教師が何人もいる。
対して西郷校長は言った。「教師でさえ、その合理性をしっかりと説明できない校則を守らせることにどんな意味がありますか? 生徒と教師がそれによって分断させられているならば、校則を失くせば、もっと良い交流が学校で互いにできるじゃないですか」。進学実績の向上、不登校・イジメの撲滅など、改革して得た実績が雄弁に物語る。
二人の対話を、公立学校で教壇に立つ教師、あるいは立とうとしている学生の方々に向けて記しておこうと、一冊の新書として編んだ。それが『公教育をあきらめるな!』だ。その構成の建てつけは、「校則」「不登校」「学力」「性教育」「子育てとの両立」など、宝上の普遍的な問いに対して、西郷がその豊富な実践経験から言語化して返すというもの。
対談イベントの冒頭、宝上は教員時代の体験と照らし合わせて、2019年に初めて桜丘中学の門をくぐったときの衝撃をこんなふうに語った。

「私は大阪市中央区の文教地区で育ったので、真面目な生徒がまわりにも多かったのですが、新卒で入った学校は、授業が始まったからといって、じっと座って待っていてくれる子たちばかりではなかった。そこでの校則指導ですから、子どもたちからは、こんなことはしたくないというのを突き付けられる毎日だったんです。服装や頭髪もこれが何でダメなのと聞かれた時に、ルールだからとしか言えない。剃った眉毛を校門で私が鉛筆で書いたり、ボンタンを履き替えさせたり、変形学生服、いわゆる学ランを着てくる子にはそれでは学校に入れてあげられないから、頼むから着替えてというのだけれど、これを着られないなら、学校に行かないほうがましだとまで言われて葛藤しました。それで桜丘中学に行ったんです。一番感銘を受けたのが、校則をなくした理由でした」
それはハナから集団に合わせるのではなく、子どもたち一人一人の特性を重視すること。例えば制服を着る上で、タグにかぶれてどうしても無理な子がいたら、タグをなくす。そしてそれが本当に必要だったのかを全体でも見直すという動きだった。
他にも識字障がいでノートが取れないけれど、黒板を写メで撮れば、勉強ができる子がいれば、スマホを許可する。スマホを持って来ても問題が無ければ、その子だけでなく、公正に全員に許可しましょうとしたら、結果として校則がどんどん無くなっていった。
西郷はスタンドプレーで校則をなくしたわけではなかった。不具合のある立場の子がいたら、まずそこに寄り添う。そしてそれを特例にするのではなく、不具合が無ければ全体に広げるのだ。駅に障がい者のためにエレベーターを付けたら健常者にとっても便利な施設になる。一人のためのユニバーサルデザインが全員を救うというのが、西郷の考えであった。校則も始業のチャイムも無くして、それでもカオスにならなかったのは、生徒に自分で思考することを常に意識させていた学校の方針である。
宝上は生徒が貼りだした校内のポスターの文言にくぎ付けになったという。桜丘中学ではスマホも許可されているので、それで分からないことは調べればいい。そのためにWi-Fiも飛んでいる。その自由を踏まえて、その手書きポスターには、『あなたにとっての自由はどっちですか』という問い掛けがされていた。右側にスマホをずっと使っている子ども、左側にはメリハリをつけてスマホを自分でコントロールしている子どもが対比として描かれている。伝わるのはスマホに依存してしまうことの危険性だ。
結局、それは自分の自由を逆にテクノロジーに操られていないか、生徒自らが気づいて警鐘を鳴らしている。
「こういう事を掲示物として描くのは、自由と同時に考える種がいっぱい蒔いてある学校だと感じました」

自由に伴うのは義務とよく言うが、ここでは自由は自立した主体の形成と対になっている。生徒がこれを理解するまで導いているからこそ、ただのカオスにならない。
宝上の感じ入った桜丘中学のプレゼンテーションが続く。壇上で7年前にもらった桜丘中学の生徒手帳を披歴した。フロントページには校則が無いので、その代わりに「子どもの権利条約」が記されている。
シングルマザーに育てられた宝上が心理学の道を経て教師に辿り着いた背景は、この子どもの権利条約に起因している。両親の離婚も進路も生き方も子どもの意見が一切通らずに大人の都合で自分の人生が決められていく。宝上がその不条理に苦しんでいた思春期に目にしたのが、日本が批准したという「子どもの権利条約」のニュースだった。子どもだって意見を言って良い、そしてそれは本来、聞き入れられるべき言葉なのだと確信が持てた。そこで教師という職に就く時には、自分のように悩んだり葛藤を抱えたりしている子どもたちに寄り添いたいと考えていた。
であればこそ、一方的に校則を守らせる使命を前に葛藤していたのは、当然でもある。
「子どもの頃から、理不尽に慣れておけば、社会に出たときに苦労しないから」などというのは大人が子どもを管理するために作った度し難い詭弁でしかない。おかしな圧力がふりかかってもろくに声を上げることのできない、唯々諾々と従う人間が量産されれば、社会は是正されることもなく、劣化していく。大きな力を持つ人間の言う事に屈服することに慣れさせてどうするのか。一方、桜丘中学は子どもを従わせるのではなく、生徒会で決まったことは、校長が先陣を切って実現させていく。このようにして成功体験が培われれば、子どもたちは社会は自分たちの力で変えられることを信じていける。
西郷はなぜ、かような学校を作ったのか。宝上の紹介を受けて原体験を語った。
「僕なんか、全然偉い教員じゃない。僕は生徒を2人も亡くしているんです。直接の担任した生徒ではないんだけど、若い頃に同じ学校で2人、自殺で失っている。学校に馴染めずに絶望したんですね。大学を卒業して最初に赴任した養護学校の子は、20歳まで生きられない子がほとんどだった。そんな子どもたちをたくさん見てきたので、将来のために今の大切な青春時代を無駄にして、勉強だけしていればいいというような発想にはならなかったんです。亡くなった子のためにも、残った子どもたちが幸せに過ごせるような学校にしたいと思ったのが、最初のきっかけじゃないかなと自分では思う」

筆者は温厚な西郷が真剣に怒った表情を見せたところを一度だけ目撃している。映画『小学校 それは小さな社会』のオンライン試写を観た直後であった。掃除の仕方や給食の配膳など、入学前から集団生活の準備をさせ、課外授業でも高圧的な指導で成長を強いる小学校の在り方を描き、これが世界に誇る日本の教育の良さとして絶賛しているドキュメンタリーにブチ切れてしまったのだ。
皆と同じようにしたくてもできずに苦しんでいる発達障がいの子どもたちと真剣に向き合って来た西郷にとっては、この映画の画面には登場しない子どもたちの姿が思い浮かんでいた。到底看過できない集団管理教育の翼賛映画であり、あまりの怒りに途中で席を立ち、配給会社からのプロモーションコメントを即決で断っている。
「学校は子どもの将来のための通過点ではない」と西郷は主張する。そして魅力ある学校を富裕層の子弟だけが行けるフリースクールではなく、公立でも構築できることを証明した。なぜ実現できたのか?の問いには、「簡単だよ」と答える。
「文科省や都教委の通達などが送られて来ても、僕は一切読まない。校長は学校教育法で自分の学校を自分の意志でデザインできると明記されている。校長も当然、教育委員会に評価されますが、通達も読まなければ、忖度もしない僕はずっとC評価のままです。それでいいんです」
現場を知らない人間に低評価されようが、一向に気にしない。要は自分の評価やキャリアアップよりも学校づくりが人生の中心にある。だからブレない。
プロフィール

木村元彦






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