さて、ここから、四回転半アクセルの話をする。「八分の一」の話でもある。
あと八分の一の回転で、羽生結弦はさらなる高みへ昇る。世界で初めて四回転半アクセルを跳んだ選手になる。
「羽生は、世界選手権で、四回転半を跳びたかったのだと思います。だから、最後の最後まで死にものぐるいで練習した。
それでも、間に合わなかったのは、三回転半の影響が大きいと思います。全日本まで、トリプルアクセルを跳んでいましたからね。
ストックホルムでは、彼が言うように『軸がずれて』いました。
半回転は180度ですが、その回転をつけるための努力が、ちょっとずつ軸を外していった。
練習を重ねたからこそ、バランスが崩れてしまった。自身でそれがわかるのは、羽生が本物のスケーターだからです。
前にもお話ししましたが、彼の四回転半は、もういつ降りてもおかしくありません。また、降りさえすれば、勝てると感じていたと思います。
仮に成功しなかったとしても、三番くらいの順位は取れる、それくらいの計算はあったと思いますよ。彼の場合、ほかの要素でカバーできますから。
『挑戦する』という決断ができなかったのが、今回の大会だったような気がします。やはり自分の納得できる状況ではなかったのでしょう。
彼は口にしませんが、心の中には悔いが残ったと思います」
羽生結弦が「跳ばない」と決断したのは、日本を発つ三日前だ。
ぎりぎりまで、彼は挑戦を続けていた。目的を果たそうとしていた。そんな姿勢が、いかにも羽生らしいと思う。
都築に訊ねる。
ストックホルムへの出発前日に、宮城は地震に見舞われた。東日本大震災の余震とされる。この影響はあっただろうか。
「東日本大震災のあと、羽生は心底傷ついていました。スケートに戻れるかを心配したほどです。だから、心理的な影響はあったと思います。
ただ、彼は人の痛みがわかる。苦しい経験をした人が周りにいっぱいいるから、よくわかっている。
その人たちのために、その人たちを勇気づけるために、いい演技をしようと考えたのだと思います。
喜んでもらえる演技をすることが、羽生の感謝の表れです。経験に培われた人間性が、彼のいちばんの魅力だと私は思っています」
たしかに、彼はそういう選手だ。心が洗われるような演技をする。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。