宇都宮直子 スケートを語る 第19回

八分の一

宇都宮直子

 試合後の会見で、羽生は「四回転半アクセルを跳ばないと一生満足できない」と話している。跳ぶことがモチベーションだと明言する。

 そして、その実現のために「あと八分の一」が、どうしても必要なのだ。

 羽生は言う。

「あと八分の一回れば、ランディングできます」

 話の途中、都築が突然手をたたいた。パンと音が響く。

「これが、あと八分の一です。もちろん、一秒もありません。とんでもなくデリケートな領域なんです」

 もう一度、都築は手を打つ。パン。パン。パン。

「こういう感じ、ほんとうに紙一重。完成させるのは、すごく難しい。神業と呼んでもいいと思います。

 薄い刃の1ミリもないようなところに、体重を掛けて、つるつる滑る氷上に着氷し、バランスを取り、ランディングする。まさに神業です。

 ストックホルムでは、怪我をしてはいけないという意識もあったかも知れませんね。

 バランスを崩していると、集中がしにくいので怪我に繋がりかねない。その心配があって、自重したのではないかなとも思います。

 羽生は新しい技術を試合に入れる前に、エキシビションあたりで必ず試します。そうやって、イメージを作るんです。

 そんな形で今日までやってきていますから、全日本のエキシビションでやらなかったということは、自分の中では『まだ』だったのでしょう。

 なにしろ、完璧主義者ですから羽生は。そうでないと満足できない選手ですから。

 ただ、羽生は有言実行の人間です。それが生きがいのような生き方をしてきました。だから、神業もいつか達成してくれると思います」

 そう言って、都築はまた静かに笑った。

 

 四回転半アクセルは、いつ完成するのだろう。

 師の言葉に沿えば、2022年北京オリンピックの前には、必ず挑戦の機会が来る。案外近いかも知れない。神業であっても、それは「もう、いつ降りてもおかしくない」のだ。

 手をパンとたたく。その刹那の中、前人未踏の夢が膨らんでいる。夢ではなく、渇望としたほうが正確だろうか。

 いずれにせよ、焦らず、信じて待っていればいいのだと思う。

 羽生結弦は「誰よりも早く跳びたい」と話している。困難きわまりない「八分の一」を克服する自信があるのだ。おそらく。

 

 

 

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宇都宮直子 スケートを語る

ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。

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プロフィール

宇都宮直子
ノンフィクション作家、エッセイスト。医療、人物、教育、スポーツ、ペットと人間の関わりなど、幅広いジャンルで活動。フィギュアスケートの取材・執筆は20年以上におよび、スポーツ誌、文芸誌などでルポルタージュ、エッセイを発表している。著書に『人間らしい死を迎えるために』『ペットと日本人』『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』『羽生結弦が生まれるまで 日本男子フィギュアスケート挑戦の歴史』『スケートは人生だ!』『三國連太郎、彷徨う魂へ』ほか多数。2020年1月に『羽生結弦を生んだ男 都築章一郎の道程』を、また2022年12月には『アイスダンスを踊る』(ともに集英社新書)を刊行。
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