試合後の会見で、羽生は「四回転半アクセルを跳ばないと一生満足できない」と話している。跳ぶことがモチベーションだと明言する。
そして、その実現のために「あと八分の一」が、どうしても必要なのだ。
羽生は言う。
「あと八分の一回れば、ランディングできます」
話の途中、都築が突然手をたたいた。パンと音が響く。
「これが、あと八分の一です。もちろん、一秒もありません。とんでもなくデリケートな領域なんです」
もう一度、都築は手を打つ。パン。パン。パン。
「こういう感じ、ほんとうに紙一重。完成させるのは、すごく難しい。神業と呼んでもいいと思います。
薄い刃の1ミリもないようなところに、体重を掛けて、つるつる滑る氷上に着氷し、バランスを取り、ランディングする。まさに神業です。
ストックホルムでは、怪我をしてはいけないという意識もあったかも知れませんね。
バランスを崩していると、集中がしにくいので怪我に繋がりかねない。その心配があって、自重したのではないかなとも思います。
羽生は新しい技術を試合に入れる前に、エキシビションあたりで必ず試します。そうやって、イメージを作るんです。
そんな形で今日までやってきていますから、全日本のエキシビションでやらなかったということは、自分の中では『まだ』だったのでしょう。
なにしろ、完璧主義者ですから羽生は。そうでないと満足できない選手ですから。
ただ、羽生は有言実行の人間です。それが生きがいのような生き方をしてきました。だから、神業もいつか達成してくれると思います」
そう言って、都築はまた静かに笑った。
四回転半アクセルは、いつ完成するのだろう。
師の言葉に沿えば、2022年北京オリンピックの前には、必ず挑戦の機会が来る。案外近いかも知れない。神業であっても、それは「もう、いつ降りてもおかしくない」のだ。
手をパンとたたく。その刹那の中、前人未踏の夢が膨らんでいる。夢ではなく、渇望としたほうが正確だろうか。
いずれにせよ、焦らず、信じて待っていればいいのだと思う。
羽生結弦は「誰よりも早く跳びたい」と話している。困難きわまりない「八分の一」を克服する自信があるのだ。おそらく。
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ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。