連載が20回を数える。
担当編集者から、「たくさんの方々に読んでいただいています」と聞いた。それを、ほんとうに嬉しく思う。
読者の皆さまには感謝しかない。これからも、長くお付き合いいただけたら、望外の幸せである。
20回は特別ではないが、節目なので、どんなテーマで、誰を書こうかと楽しみにしていた。
ラヴェルの「ボレロ」についても、書きたかった。宇野昌磨は、この曲をフリーで使用する。振り付けは、ステファン・ランビエールだ。
このプログラムを、宇野はまだ完成させていないが、これからどんどん良くなるだろう。
宇野の「ボレロ」は、往年のランビエールを感じさせる。そして、師弟関係の順調さを思わせる。
来シーズンに向け、宇野は良いスタートを切った。「ボレロ」は難しい楽曲である。だが、宇野昌磨なら心配ない。大丈夫だ。「楽しんで」、美しく演じるだろう。
さて、今回は番外編だ。
このところ、私はずっと体調が悪かった。強い目眩が継続してあった。薬は処方されていたが、それでは抑えられず、立っていられなくなった。
身体の片側が痺れ、頭がざわざわと痛んだ。救急車が来てくれて、病院に運ばれた。コロナ禍の救急病院では、まず院外の待機所のようなところで、問診を受ける。
発熱はありませんか。味覚障害はありませんか。咳が出ませんか。周囲に、コロナ罹患者はいませんか。
ストレッチャーに寝た状態のまま、そのすべてに首を振る。
それから、隔離室のような場所に移される。テレビのニュースで見るような、厚いビニールで仕切られた空間である。
そこで点滴の針が挿された。心電図の管が付き、指先にも管が付いたところで、完全防備の看護師が言った。
「これからPCR検査をします」
この連載の3回目では受けられなかった検査である。
両方の鼻に、綿棒がするりと入ってきた。かなり奥まで入る。違和感は強いが、痛くはない。
PCRに限らず、検査技術には上手下手がある。上手な看護師に当たったということだろうか。うわごとのように、私は「ありがとうございます」と言い続けた。
しばらくして、検査結果は出る。陰性だった。
実は、PCRにはあまり不安を感じていなかった。重症化リスクの高い私は、自粛を徹底している。それに関しては、少し自信があった。
通常の診察空間に移ると、医師が来て言った。
「身長、体重を教えてください」
MRIなどの検査に必要ということだった。
「○センチ、○キロです」
答えながら、愕然とする。体重を2キロもさばを読んでいるではないか。
先に言っておくが、私はそのまま入院をする。だから、真実、具合が悪かった。それなのにまったく、なんてことだ。
ストレッチャーのまま、私は検査室に運ばれ、いくつかの検査を受ける。
MRIの際、付けてもらったヘッドフォンからは、オルゴールの音色が聴こえてきた。ジブリのメドレーである。
音が聴こえてきた瞬間、涙が出た。
フィンランドで観た羽生結弦の「Hope & Legacy 」を思い出す。MRIの音は気にならなかった。
歩こう。歩こう。歩こう。
音色は耳の奥で小さく響き続けた。私も歩いて行こうと、思った。「生きている」、そのなんと幸運なことか。
入院病棟へは車いすで移動した。看護師は明るい笑顔の人だった。病棟の看護師も、皆優しかった。
退院するまで、私は「ありがとうございます」と言い続けた。
次回からはまたスケートの話をする。コロナの影響で、取材があちらこちらで滞っているが、ゆっくりでも歩いてゆく。
どんな状況でも、喜べることはあるし、希望は奪われない。いつも、そう考えている。
ノンフィクション作家、エッセイストの宇都宮直子が、フィギュアスケートにまつわる様々な問題を取材する。