130年目の映画革命 第5回

『カモン カモン』に込められた「切実な願い」を読み取る

宇野維正

 

 ミルズが意を決してこれまで避けてきた領域へと踏み込み、フェニックスが政治的な「間違い」ばかりを侵す作品でもあった『ジョーカー』のリハビリとして選んだ『カモン カモン』は、2020年代において「ストレートの白人中年男性」を主人公にした映画として、いかに「未来」や「希望」を描くかという試みだ。そこでミルズは、主人公を「アメリカの各都市を移動しながらそこで生活する子供たちにインタビューする」という、それでどうやって生計を立てているのかわからないような不思議な仕事に就かせた。本作に収録されているインタビューはどれもリアルなものだが、その前提となっている設定そのものがファンタジーとなっているわけだ。ちなみに、劇中でインタビューを受けた子供の中には「あ、ジョーカーの人だ!」とジョニーを演じるホアキンに反応した子供もいたとのことだが、もちろんそのようなシーンは本編では採用されていない。

 

 『ジョーカー』の主人公アーサーは典型的な「コミュ障」だった。実は自分の話を聞かせることよりも観客とのコミュニケーションこそが肝となるスタンドアップ・コメディアンを志しながらも、アーサーは職場の同僚とも母親とも想いを寄せる異性とも、ほとんどまともにコミュニケーションをとることができず、自分勝手な妄想を膨らませ、その必然的な帰結として凶行に走った。対して、『カモン カモン』の主人公ジョニーは人の話を聞くことそのものを職業としていて、そこで相手を尊重しながらじっくり対話をして、それを録音してラジオの電波を通して発信していく。対話の冒頭、彼は子供たちにこう告げる。「これから君にいくつか質問する。正しい答えも間違った答えもない」。

 

 2017年にハリウッドで#MeTooのムーブメントが起こって以降、キャンセルされるべき何人かの大物プロデューサーや大物俳優(そのほぼ全員が白人男性だ)が映画業界を追われ、映画やドラマシリーズの制作現場ではリスペクト・トレーニングやインクルージョン・ライダーといったハラスメント対策や多様性担保のための新しい制度や試みが導入され、女性や人種的マイノリティや性的マイノリティを主人公とする作品の比率は増えた。その一方で、「キャンセルされるべき人物」の後押しによってキャリアの足場を築いた者たちや、(家族を含む)その周囲にいた者たちの間には、ちょっとした失言や軽口さえも許されない空気が張り詰め、そこで迂闊に口を滑らせた人々は数年にわたって様々な局面でライトなキャンセル状態に追い込まれるようになった。それは、まさにミルズやフェニックスの周囲でも起こっていたことである。

 

 「これから君にいくつか質問をする。正しい答えも間違った答えもない」。その言葉をそのまま素直に受け止めて、本当に自分の思っていることを話すことができるのは、現代社会においてはもはや子供たちだけの特権かもしれない。いや、ローティーンの頃にネットにアップした動画が数年後に炎上して謝罪に追い込まれるようなポップスターを見ながら育った彼ら彼女らの中には、大人たちのように口をつぐむことを覚えた子供もたくさんいることだろう。『カモン カモン』のエンドロールに入る直前、画面が音声とクレジットだけに切り替わった後に「スーパーヒーローのようなパワーがあったらどんな力で何をしたい?」と質問された女の子は次のように答える。「多分、その力は使わないと思う。自分自身でいることがパワーだから」。

 

 人々が「正しい」か「間違っている」かばかりを気にするようになって、リアルワールドが奇妙な静けさに包まれるようになったこの世界。その反動で、ネットではますます攻撃的な言葉が吹き荒れているこの世界。まるでボトルに入れたメッセージを荒涼とした海原に放つように、『カモン カモン』はそんな世界の「未来」に向けて、誰もが自分自身の言葉で分かりあえない他者とも対話のできる日がやってくることを切実に願った作品だ。

 

『カモン カモン』4月22日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー  配給:ハピネットファントム・スタジオ                   ©2021 Be Funny When You Can LLC. All Rights Reserved.

 

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 第4回
130年目の映画革命

トーマス・エジソンが「個人のための映像視聴装置」であるキネトスコープを発明してから2021年で130年。NetflixやAmazonがもたらした構造変化、テレビシリーズを質と量ともにリードし続けるHBO、ハリウッドの覇権を握るディズニーのディズニープラスへの軸足の移行。長引く新型コロナウイルスの影響によって「劇場での鑑賞」から「自宅での個人視聴」の動きがさらに加速する中、誕生以来最大の転換期に入った「映画」というアートフォーム。その最前線を、映画ジャーナリスト宇野維正が「新作映画の批評」を通してリアルタイムで詳らかにしていく。

プロフィール

宇野維正

1970年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌の編集部を経て、2008年に独立。著書に『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(共著:くるり、新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(共著:レジ―、ソルメディア)、『2010’s』(共著:田中宗一郎、新潮社)。

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