環境のカナリア 第2回

異常気象と政治に翻弄されて、日本のコメはどうなる?

歌代幸子

日本でいちばん暑かった夏

 温暖化による異常気象によって、コシヒカリの生産現場では様々な異変が起きている。その被害はどれほどの状況だったのか。

 2025年1月、長岡市にある新潟県農業総合研究所作物研究センターを訪ねた。当時、センター長を務めていた土田徹さん(60)は長年栽培技術の研究に携わり、2023年の異常気象に際してコシヒカリの被害状況をまとめた。土田さんによると、全国的に見ても新潟県は異例の猛暑だったという。

作物研究センターでは高品質栽培チームで研究に尽力した土田徹さん。(撮影/歌代幸子)

「稲の生育期にあたる7月終わりから8月までの平均気温に注目すると、例えば新潟市は日本で一番暑かったんです。日照時間は日本で一番長く、降水量は日本で一番少なかった。梅雨明け以降、ずっと雨が降らない状況が1か月以上続くという記録的な少雨で、県下どこでもほぼ同様でした。

 さらに日本海を台風が通過すると、新潟県はフェーン現象によって山から高温で乾燥した強風が吹きおろします。2023年は稲が実る時期にフェーン現象が3回起きて、そのダメージが非常に厳しかったのです」

 稲穂が実る時期に高温障害に見舞われると、「白未熟粒」が発生する。整粒は玄米の胚乳の中にデンプンがぎっしり詰まった状態だが、白未熟粒とはデンプンの蓄積が不良で隙間ができ、光が乱反射して白く濁って見えるもの。構造が弱いので割れやすく、白未熟粒を多く含んだものを炊くと食感がやや劣るそうだ。

 コシヒカリは栽培条件に敏感で、白未熟粒が発生しやすい。出穂後20日間の平均気温が27℃以上になると多発すると言われ、2023年は30℃を越える平均気温だったという。

「お米の品種によって、高温に強いものと弱いものがあります。コシヒカリは他の品種に比べると弱い品種になるんです。お米の等級は主に整粒歩合で決まり、整粒が70%以上で一等米に分類されます。2023年はコシヒカリの一等米比率が4%とものすごく低かったので、大問題になった。過去最低と言ってもいいと思います」

 品種によって一等米比率は異なり、早生のこしいぶきは13%、ゆきん子米は62%。コシヒカリより遅く収穫できる晩生の新之助は95%だった。新之助は、高温耐性をもつブランド米として開発された品種だ。

「コシヒカリは暑さに弱く、背が高くなって倒れやすいという特性もある品種です。米の研究に携わって10年以上になりますが、かつては27℃くらいの気温を想定し、肥料のやり方や水管理、苗を植える時期などを考えて対策を練っていた。ところが、今はそれをはるかに超える高温なので、栽培技術だけではなかなか乗り越えられない。そのためコシヒカリに高温の耐性を付与するような品種改良が始まっています」

 コシヒカリの美味しさの特徴は、粘りがあって艶があり、柔らかな甘みがあること。日本で最も生産されている品種であり、そのブランドを守り続けたいと土田さんは語る。

減反政策がもたらしたものは

 新潟県の最南端で長野との県境に位置する中魚沼郡津南町。信濃川の支流に沿って広がる河岸段丘にあり、肥沃な土壌と豊富な水に恵まれた山あいの地である。50数年、魚沼産コシヒカリを作る涌井九八郎さん(75)を訪ねたのは2025年5月半ば、田植えを終えた頃だった。

 涌井さんの田んぼは標高470メートルの台地にある。過去2年間の様子を聞くと、思いがけない返事が返ってきた。

津南町役場では農地開発から森林事業まで手がけ、退任後は農作業に励む涌井九八郎さん。(撮影/歌代幸子)

「うちは米の出来がいちばん良かったんです。一等米が出て、収量も多かった。この辺は夏になると日中は33、34℃の気温が続くけれど、夜は20℃くらいまで下がり、一日の寒暖差が大きいからです。日中はいかに暑くても稲はどんどん光合成をして、夜になって温度が下がると、ゆっくり休んで栄養を貯めることができます。でも、夜も温度が下がらないと、稲は呼吸作用によって栄養を消費してしまう。その繰り返しになると、お米も栄養不足になって完全に充実しない。そうなると味も良くないし、白未熟粒になると米粒が痩せてしまうわけです。この辺は積雪が非常に多く、その雪が溶けると地下に浸透するので、冷たい湧水が潤沢にあるから、水不足の心配もない。そうした環境が美味しい米を実らせてくれるんです」

 だが、津南全体を見ると、2023年米はやはり品質が落ち込んだ。翌24年は降雨が多くて稲が倒れるという惨状に。かつて冷夏による大凶作も経験してきたが、予測のつかない温暖化の影響で米の栽培はより難しくなっているという。

 長年、津南町役場で農政を担ってきた涌井さんは、米の生産調整にも関わった。

 そもそも米の生産・流通は、戦時下で制定された食糧管理法のもとで厳しく管理され、政府が買い上げて販売していた。戦後、機械化や栽培技術の向上によって生産量は上がるが、食生活の多様化も進んで米が余るようになる。政府は在庫を抱えて、財政赤字が拡大。そのため作付面積を減らして、価格を維持する減反政策を70年代から開始したのである。

「我々は農家の田んぼ一枚一枚を検査して、生産調整をしてきました。例えば『○○さんは25%の田んぼを休んでください』と勧め、『その代わりに補助金を出します』というもの。減反政策とは、国が都道府県ごとに生産量の目標を設けて、農家の収入減を補償し、転作する農家には奨励金を出して支援する仕組みです。新潟県は米の主産県だったので、他の作物への転作率はいちばん低かった。生産調整が始まった頃から美味しい米を作ることにシフトし、美味しいと人気があるコシヒカリに力を入れてきたのです」

 食管法は95年に廃止され、流通が自由化された。減反政策も2018年に廃止されたが、その後も農林水産省は毎年生産量の目安を示し、転作農家への補助金も継続している。そうして供給を抑え、価格の下落に歯止めをかけるという狙いがあった。

 だが、長く続いた減反政策のもとで耕作放棄地が増え、後継者がなくて稲作をやめる農家も相次ぐ。一方、流通の自由化によって、生産拡大する農業法人が増えてきた。

 この数年は燃料費や資材、化学肥料などの価格が急激に上がり、米作りの現場は疲弊していく。さらに2023年の猛暑で米の流通量が減ったことで米価の高騰が続くことになる。生産者は当時の状況をどう見ていたのか、涌井さんはこう振り返る。

「かつては農協(JA)が米をほぼ集荷していたけれど、大規模な農業法人などが自分たちで売るようになって販路が多様化したこと、さらに23年、24年は流通量が減るのを見越して、卸売や小売業者が在庫を抱え込んだことで、高価格が維持された。でも、農協も地元の生産者も決して儲かってはいないんですよ」

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 第1回

プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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