環境のカナリア 第2回

異常気象と政治に翻弄されて、日本のコメはどうなる?

歌代幸子

 何らかの危険が迫っていることを知らせる予兆として、「炭鉱のカナリア(Canary in a coal mine)」という慣用句がある。ヨーロッパなどで炭鉱夫が石炭を採掘する際、鳥かごに入ったカナリアを連れて行ったという歴史に由来する。カナリアが無臭のガスにも敏感に反応して鳴き止むことで、有毒ガスの危険をいち早く察知できる。それによって炭鉱夫の命を守る役割を果たしていた。

 日々、自然に働きかけて農業や漁業に携わる生産者は、まさに異変を察知して危険を知らせるカナリアのような存在。だが、その彼らは、気候変動のみならず、高齢化や後継者不足、耕作放棄地の増加、円安による燃料・飼料の価格高騰、貿易自由化など、様々な問題に直面して苦しんでいる。そして、それは食糧自給率が低下の一途をたどる日本の存亡の危機にもつながりかねない。

 そうした現状を描き出すため、この連載は始まった。その第2回は、米どころ・新潟。今年(2025年)は米が不足して高騰し、備蓄米の放出もあった。石破政権は減反政策を改め増産を指示するなど、農業政策の大転換も行われた(高市政権ではこの方針が再び転換された)。環境被害という“天災”と、政府の政策の誤りという“人災”に見舞われている日本の米生産の現場。その生産現場の声と農業政策の問題点、あるべき姿についてレポートする。

 上越新幹線の車窓から眺める田んぼは黄金色に染まり、たわわに実る稲穂が頭を垂れていた。9月初め、郷里・新潟の知人からコシヒカリの稲刈りが始まると聞いた。「出来は悪くない」という晴れやかな声でほっとした。今夏も猛暑と日照りが続く中、かなり奮闘してきたのだろう。稲刈りの光景を見たくて地元に向かう車中、ここ一年あまりの出来事を思い返した。

 米の値上がりが止まらない、スーパーの店頭から商品が無くなった──。

 そんなニュースが流れ始めたのは昨年春頃だった。やがて新米が出回る時期になっても価格高騰は収まらない。例年、コシヒカリの新米を送ってくれる郷里の母からも、「農家の人に頼んでも手に入りにくくて」と詫びる電話があったほどだ。

 米の生産現場ではいったい何が起きていたのか──。

田んぼの水がお湯のように熱かった

 2024年10月半ば、初めて訪れたのは、国内有数の豪雪地帯として知られる新潟県南魚沼市。魚沼コシヒカリ発祥の地とされる宇津野新田という集落があり、米作りを手がける「うちやま農園」の内山幸一さん(38)に会った。

内山幸一さんは、しいたけ栽培で使う菌床を堆肥にして、田んぼに戻す循環型農業に取り組んできた。(撮影/歌代幸子)

 内山さんによると、8年ほど前から天候が読みにくくなり、年々米作りの難度が上がっているという。冬の積雪が少ないと夏場に農業用水が足らなくなってしまう。ある年は山間地域で水が足らず田植えを諦めたと聞くことさえあった。

 さらに、近年は夏の気温が36、37℃まで上がり、夜になってもほとんど下がらない。猛暑がつのる中、田んぼに異変が起きていた。

「夏になると、田んぼに張った水がお湯みたいになるんですよ。手を入れた瞬間、『熱い!』と感じるほど水温が上がっていました。以前は水を一回抜いて入れ替えることができたけれど、最近の夏は取水制限が出るのでなかなか難しい。猛暑が続くと、高温障害によって『シラタ』と呼ばれるお米が多くなります。ふつうの米は白いけれど、ちょっと透き通っている。でも、それが無くて白く濁った粒になり、炊くと水分が多くて、ベチャッと崩れたようになるんです。ある年、それがやけに多いなあと気づいて……」

 収穫した米は乾燥をかけ、籾殻を剥いた玄米の状態で検査を受ける。検査では、整粒歩合(完全な形状の米粒の割合)、水分量、被害粒(虫食い、変色、病気による変質)や異物の混入などで評価され、一等米、二等米、三等米、規格外と4段階で等級を付けられる。 例年この辺りでは一等米が90%以上を占めていたが、だんだん減っていた。

 そうした異変が続き、田んぼにさらなる打撃を与えたのが2023年の猛暑だったと、内山さんは振り返る。

「5月頃からずっと雨が降らず、梅雨がなかった。ダムの水が涸れて、流れている川から水を吸い上げるけれど、それも2、3日に一回ほど。稲の花が咲く時期にはいちばん水が必要なんですが……。しかも生温かい風がずっと吹いていたので、稲がすっかり乾かされてしまった。本当に気持ちが悪かったですよ。日陰を作ろうにも田んぼは広大なのでなす術がない。水を使いたくても制限されている。何もできなくて、雨乞いでもしたくなるような心境でしたね」

 稲穂の粒は白いままで黄金色にならず、虫食いが多くていびつな形に。稲刈り後の収量は大幅に減り、すべて二等米という評価に終わったという。

「うちの父親は冷害の凶作を経験していて、『あの時も悲惨だったけれど、今年はもっと酷いな』と。ただもう呆れるしかない感じでした」

 それが、米価格高騰への引き金となっていく。

安心、安全な米づくりを目指す

 うちやま農園は米作りとしいたけ栽培を手がける農家。内山さんで5代目になる。

「僕は長男だけど、もともと農業をやるつもりはなかったんです。子どもの頃は親が始めたことなのに、何で自分もやらなきゃいけないのかと思っていて……」

 小学生の頃から高校時代まで、クロスカントリースキーに打ち込んでいた。冬場は4メートル近い積雪がある山の中でタイムレースを重ね、春から秋には路上でトレーニングに励んだ。全国大会を目指していたが、練習中の転倒で左膝じん帯断裂と肩の脱臼をしたことで、選手生活を断念せざるを得なくなる。卒業後の進路を考えた時、かつて父親が自衛隊にいたこともあって同じ道へ進むことを選んだ。

「先のことは考えられなくて、とりあえず大学へ行く気持ちで4年間行ってみようかと。でも、あまりに厳しい環境だったので、行っている間は苦しかったですよ」

 基礎教育を3か月、続いて専門教育を受けると、いよいよ部隊へ配属される。内山さんが志願したのは、茨城にある施設科の部隊だった。戦闘部隊を支援するために、地雷原の処理、道路や橋などの建設にあたる。

 山中での訓練は夜を徹して作業にあたり、地雷の処理は命の危険をともなう任務。全寮制の生活も先輩との上下関係や規律が厳しく、逃げ出す仲間もいた。最初の頃は自由がない毎日が辛く、辞めたいと思うことは幾度もあったという。

「寮の部屋に居たくなくて、外へ走りに行くこともありました。でも、一年経って後輩が入ってくると、ちょっとずつ楽になっていく。部隊対抗の競技会があって、同期と出るのは楽しかったし、めちゃくちゃ絆が強くなりました」

 いずれは災害派遣やPKO活動を目標にしていたが、それは叶わなかった。自衛隊では入隊から6年以内に上の階級へ昇進しなければ、部隊を去ることになる。そのため昇進試験を受け続けたが、筆記は通っても体力試験が壁になった。高校時代の転倒がもとで故障を抱えていたため、どうにも検定の基準に及ばない競技があったのだ。

「がんばっても受かりっこないと分かっていたんです。4年目でこれが最後と臨んだ試験もダメだったとき、『もう実家へ帰ろう』と決めました」

 郷里へ戻ると父親は喜んで迎えてくれる。それから4年、地元の精米工場で働いた。工場には全国各地から様々な品種の米が集まり、その米に合わせた精米をしている。品種によって食感が違い、精米具合で味も変わることなど、学ぶほどに興味が湧いた。

「自分の家の米はやっぱり美味いんだなと思いました。自衛隊から戻ってきて、30キロぐらい太ったほどで(笑)」

 やがて父親から「家の仕事を手伝ってくれないか」と言われた。父は会社勤めをしながら、田んぼを15町歩(約45000坪)まで増やし、しいたけのハウス栽培も手がけていた。息子が戻ってきたことで、農業に専念したいと考えたのだ。内山さんは工場を辞めると、親子二人三脚で米作りに取り組む。2014年、26歳のときだった。

「最初は、“えっ、そこまでやるの?”と正直、驚きましたよ。親父のこだわりはいっぱいあって、だからこそ美味しいお米ができるんだなと。『安心安全な米作りが大事』だと常々言っていた。それは健康な苗作りから始まるんです」

 父は「ポット苗」による栽培法を手がけていた。4月初旬、まず稲の種を塩水に漬けて、軽くて浮かんでくるものを除く。次に水中に残った種を真水に漬けこみ、種の芯まで水を吸わせ、30℃のぬるま湯に入れる。まもなく種から小さな芽が出たら、3、4粒ずつポットに入れて、専用の田んぼにすべて並べる。40~45日ほどで苗が15センチくらいまで育つと、容器から取り出して耕作用の田んぼに植えるのだ。

「普通のやり方より手間はかかりますが、田んぼに植えた後は強く育ちます。株で育てた苗は植えるときに根をちぎるので一回しおれたようになるけれど、ポット苗は根を傷つけることなく植えられるから、ストレスがかからない。成長が進んだ状態で田んぼに植えるので雑草にも多少強いし、病気が少ない。通常行われる温湯消毒という作業をうちではやりません」

 化学肥料をできるだけ使わないことにもこだわっていた。ハウス栽培のしいたけは、木のチップに糠や小麦のふすまなどを合わせた菌床で培養し、廃棄する際はその塊を粉々にして籾殻などを混ぜる。それを堆肥にして、田んぼに戻していた。有機の堆肥には微生物が多いので、田んぼは土壌改良されて豊かになるのだという。

 ポット苗で栽培した稲の力強さを実感したのは、不作に終わった2023年のときだ。高温障害の影響で等級は下がったものの、美味しさは変わらなかった。

 翌24年には夏の猛暑を見据え、地元では例年より多めに肥料を入れるという営農指導が出た。丈が伸びた上に穂は重くなり、長雨や豪雨が襲来した際にいっせいに倒れていく。畳のように折り重なる惨状になった。

 一方、うちやま農園では田んぼに入れる肥料を少なめにしたので、大半の稲は倒れずに済んだ。収穫した米は前年より質が良く、収量も上回った。内山さんは異例続きの2年間をこう顧みた。

「天候はどうなるか先が見えないし、いつ来るかわからないゲリラ豪雨や災害に備えて作づけもできない。猛暑といっても水不足になるか、降雨が多いかで毎年出来が変わるので、僕らも手探りなんです」

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 第1回

プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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