環境のカナリア 第1回

海水温の上昇で4500尾の養殖サバが死滅。福井県・小浜市で何が起こっているのか?

歌代幸子

 地球規模の気候変動によって、世界中で異変が起こっている。熱波による猛暑や干ばつ、一方では猛烈な寒波や豪雨による洪水など、極端な異常気象の頻度が増している。

 2021年8月に公表された国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第6次評価報告書では、人間活動の影響で異常気象が激甚化していることが強調された。産業革命前からの世界平均気温の上昇幅は、2030年前後には1.5℃に達する可能性が高いこと。数十年の間に温室効果ガスの排出量を大幅に削減しなければ、今世紀末には2℃を超えてしまうことが予測されている。

 日本もその例外ではなく、各地で異常気象が相次いでいる。その影響を一番受けているのが第一次産業だ。

 “海の温暖化”は、日本の水産業に大きな影響を及ぼしている。北海道のサンマやスルメイカ、岩手のサケなど、漁獲量が急激に減少して深刻な不漁が続く。海水温の上昇によって、ノリの養殖産地も危機に直面していた。

 農業の現場でも、温暖化による異常気象が異変をもたらしている。猛暑の影響で、稲作では白く濁った「白未熟粒」という低品質の米粒が発生。果実では、リンゴやブドウの着色不良など高温被害が多発している。さらに豪雨や大型台風によって、収穫前の農産物に甚大な被害があった。

 こうした気候変動による異変を、肌で感じているのが生産者である。

 何らかの危険が迫っていることを知らせる予兆として、「炭鉱のカナリア(Canary in coal mine)」という慣用句がある。ヨーロッパなどで炭鉱夫が石炭を採掘する際、鳥かごに入ったカナリアを連れて行ったという歴史に由来する。カナリアが無臭のガスにも敏感に反応して鳴き止むことで、有毒ガスの危険をいち早く察知できる。それによって炭鉱夫の命を守る役割を果たしていた。

 日々、自然に働きかけて農業や漁業に携わる生産者は、まさに異変を察知して危険を知らせるカナリアのような存在なのだが、その彼らは、気候変動のみならず、高齢化や後継者不足、耕作放棄地の増加、円安による燃料・飼料の価格高騰、貿易自由化など、様々な問題に直面して苦しんでいる。そして、それは食糧自給率が低下の一途をたどる日本の存亡の危機にもつながりかねない。

 そうした現状を描き出すため、この連載がスタートさせた。その第1回に訪れたのは、北陸・小浜で「よっぱらいサバ」の命と向き合う現場だ。

ヒートショックで息絶えた4500尾のサバ

よっぱらいサバの養殖が行われている若狭湾の田鳥漁港。

 陽光きらめく紺碧の海は澄みわたり、山あいに棚田がつらなっている。入り組んだ路地に黒い瓦屋根の木造家屋が並ぶのどかな集落。 福井県・小浜市街から東へ車で一時間ほど、若狭湾の入り江にある田烏漁港は、古くからサバ漁で栄え、近年は「小浜よっぱらいサバ」の養殖で知られてきた。

 その名は、京都の老舗酒蔵で醸された酒粕をエサに混ぜていることに由来する。酒粕のエサで育った魚は爽やかな香りを放ち、身も健康で鮮度落ちが遅いのだという。独自の養殖技術によって鮮度が保たれるので、刺身で食べることができ、ほどよい脂と甘さで人気を呼んでいる。

 だが、のどかな入り江の光景がにわかに暗転したのは、2020年8月――。

 海面に浮かびあがったのは、おびただしい数の銀色のサバの死骸だ。真夏の最中、海水温が急激に上昇したことで、若狭湾で養殖していた「小浜よっぱらいサバ」に異変が起きていた。

「あのときの気持ちは、とても表現しづらいですね」

 そう漏らすのは、田烏水産株式会社代表の横山拓也さん(55)だ。小浜でサバの養殖を手がけて7年あまり。あの夏、目にした光景はあまりに壮絶だった。一枚の写真も、撮る気にはなれなかった。

「サバは死ぬと一回海底に沈みますが、腐敗が進むとガスが発生するので身が膨らんで、浮力がついて上がってくるんです。うちのスタッフが潜ると、底に沈んでいるのを見つけ、『あそこにもあるわ』と次々に報告を受ける。毎日のように浮いてくるので、網ですくって回収していくんです。夏の盛りなので『臭いな』と言いながら、ただ淡々とやり続けるしかなくて……」

 若狭湾で養殖を始めた頃は、いかに暑くても海水温は27℃ほどで高止まりしていた。しかし、2020年の夏はさらなる猛暑となり、30℃、31℃と上がっていき、30℃超えの日が一週間ほど続く。生簀で飼っていたサバはばたばたと死んでいった。

 回収した魚は役所からゴミ焼却場へ持っていくようにと言われ、きっちり梱包して運んでは、焼却してもらう作業を繰り返す。夕方、作業を終えて、すぐシャワーを浴びても、全身についた腐臭はなかなか消えなかった。わずか3日間で数千尾を回収。その後も10日ほど収まらず、生簀で飼っていた7000尾のうち約4500尾が死んでしまった。

「言いようもない悲しみというか、死体を目の当たりにする気持ち悪さと虚無感もあり、いろんな思いがないまぜだった。社員の生活も背負っているので、来月の給料を出せるだろうか、どうやって食っていこうかと、プレッシャーもきつかった」と、横山さんは振り返る。

 この年、サバがなぜこれほど大量に死んでしまったのか。サバが高い海水温で死ぬメカニズムを調べると、酸欠状態になるからだとわかった。

 魚類にとって、周りの温度が1℃上がると、人間にすれば7、8℃上がっているように感じるという。まして3℃も上昇すれば、24℃くらい急激に上がった状況になる。サバはもともと高い温度に弱い回遊魚だが、実はその暑さだけで死ぬことはない。酸欠状態で死に至る現象は、夏の暑さの中でエサを食べたことに起因していた。

「魚たちはエサを食べると、代謝するときに熱を発生します。外界の温度が高いときに、体の中でも熱を発してしまうと、『ヒートショック』を起こして、いよいよ力尽きてしまうのです。もうひとつは『アンモニア障害』が考えられます。夏の暑いとき、魚たちはエサを食べられないと本能的にわかっているので、自分の筋肉や脂肪を分解してエネルギーにしていく。つまり、自分の身をどんどん削って、エサを食べられなくても生きていけるようにシフトするんです。でも、そこでエサを与えると、パクっと食べてしまう。すると体質が変わっているので、エサの中にたくさん含まれているタンパク質をうまく分解できなくて、アンモニアが過剰に発生する。尿素サイクルがまわらなくなって、アンモニアショックで死んでしまいます。だから、夏の間はエサをやれないんですね」

 2019年頃までは夏場にエサを与えても異変はなかったが、海水温が30℃を超えると、サバはヒートショックやアンモニアショックを起こすことがわかった。そこで生き残っていた2500尾ほどのサバにはエサを与えるのをやめて、何とか食い止めた。

 翌2021年の夏は、生簀一つあたりのサバの数を1500尾から300尾に減らして、ストレスを減らす環境づくりに努める。夏前までにしっかり栄養を与え、夏の間はエサを食べなくても持ち堪える体力をつけることで乗り切ったのだ。

 当時はまだ天然の漁獲も安定していたが、2022年にかけて大不漁となった。サバの漁獲時期が不安定になり、養殖用の稚魚を入手するのも困難になっていく。2023年には6月中旬以降、瀬戸内海で漁獲された直後のサバを約4200尾搬入したという。

「漁獲量が減ったことで、理想的な時期にサバの稚魚を入れられなかったんです。海水温が上がる直前に海で獲れたものを入れたので、エサを与えられる時期が短くて、僕らはコントロールできなかった。それでも天然の海でちゃんと食っていてくれたら強いだろうと願っていたけれど、実際は弱かった。エサを食べずに生き延びる体力はなかったんです」

 あの夏は小浜でも38℃以上、40℃を記録するほどの猛暑に見舞われた。海水温が急激に上がる中、途中で力尽きて3190尾が死んだ。餓死のように死んでいく姿を見かねてエサを与えると、またばたばたと死んでいく。

「本当にかわいそうでした。こういうことが繰り返されていることは、子どもたちには絶対に胸を張って語れない。このままではもう未来は見えないと思ったのです」

若狭湾をのぞむ入江、田烏湾に浮かぶ筏でサバの養殖を手がける。
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プロフィール

歌代幸子

(うたしろ ゆきこ)

ノンフィクション作家。1964年新潟県生まれ。学習院大学文学部卒業後、出版社の編集者を経て、独立。『AERA』『婦人公論』『プレジデントウーマン』などで、スポーツ、人物ノンフィクション、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。
著書に『私は走る―女子マラソンに賭けた夢』、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』『100歳の秘訣』(新潮社)、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室)、『慶應幼稚舎の流儀』(平凡社)、『鏡の中のいわさきちひろ』(中央公論新社』など。

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