ガザの声を聴け! 第35回

第2のナクバ(大災厄)

清田明宏
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「このままでは、第2のナクバ(大災厄)が起こる」

ナクバはパレスチナ人にとって非常に重い言葉だ。アラビア語で大災厄という意味で、パレスチナ人にとって大きな不幸が起きたことを指す。1948年の第一次中東戦争で、当時のパレスチナ人は土地を追われ、この地には大混乱が生じた。戦禍から逃れるため70万から80万人のパレスチナ人がパレスチナの地を離れたと言われていて、そこには、直接の戦闘行為からの避難もあったが、進軍する当時のユダヤ人軍事組織への恐怖もあった。住む家を追われ、避難した多くの人が現在まで続くパレスチナ難民となった。

彼らは住んでいる地域の近くに避難した。当時のパレスチナの地の北にいた人はそのさらに北のレバノンやシリアに。中部・南部の東側にいた人は東側のヨルダン川西岸かその向こうのヨルダンに、中部・南部の西側にいた人はさらに西のガザに逃げた。皆、着の身着のままで逃げた。ただ彼らは、この避難を一時避難と考えていたので、自宅に鍵をかけ、本当に重要な必要書類等だけを持ち、数週間後には帰るつもりでいた。それから今年(2018年)で70年になる。その悲劇は今も続いている。

1948年の5月14日にイスラエルが独立を宣言。その翌日の5月15日をパレスチナ側はナクバの日と認定した。現在のパレスチナ問題の根源と言える。

アマルさんは「それが再び起こる」と言う。もちろん、ナクバという言葉の重みを彼女はよく知っている。慎重に言葉を選びながら、アマルさんが、なぜそう思うのか話してくれた。

「私の祖父は当時のパレスチナ領だった南部、ベールシェバ(Beer Sheva)から避難してきたパレスチナ難民だ。私もパレスチナ難民で、私の母親はUNRWA『ウンルワ』の学校の先生だ。祖父から当時のこと、ナクバについてよく聞いた。

当時と今の状況が違うことは十分承知しているし、それを比べることが不適切な事もわかっている。

ただ、今のように状況がどんどん悪化していき、もし、エジプト側の出口であるラファの検問所が開き、人々の出入りが比較的自由になると、大量の人が避難のためにガザから出て行くと思う。

第2のナクバがそこで起こる。友人・知人の若い人と話すと、この話になる。多くの人が避難した 1948年のナクバと同じように多くの人がガザから避難するかもしれない」

ガザを出たい、という話は私もよく聞く。特に2014年の戦争の後からだ。最初は若い人からよく聞いたが、そのうち年齢に関係なく、その話を聞くようになった。ただ、ガザはもともと自分たちの土地であり、彼らは場所に対する愛着がとても強い。地域の結束も強い。以前にも書いたが、ガザは大家族社会が未だ強く残る。社会の信頼関係、規範、人と人のつながりが強い、ある意味、強い共同体だ。そのガザで、第2のナクバが起こるというのだ。

アマルさんの言葉は非常に衝撃的であった。

もしこの話を、アマルさんではなく、生活に絶望している人から聞いていたら、正直私の反応は違っていたかもしれない。日々の絶望感からそう思うのかと思うからだ。しかし、ビジネスに燃えるアマルさんから聞いたのだ。その意味は重い。

この後、ガザにいる知り合いに、慎重な言い回しでこの話をし、意見を聞いてみた。ナクバの言葉の持つ意味は非常に重く、軽々しく使うべきではないと思ったからだ。しかし、頷く人が多かった。特に若い人は。

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ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
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