ガザの声を聴け! 第36回

ガザ、崩壊寸前

清田明宏
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Clip to Evernote

実際のデモの日数は10日間だった。こういう比較は許されることではないが、50日間の戦闘で11000人、10日間のデモで13000人。今回のデモによる負傷者の発生の“密度”がいかに凄まじかったかがわかる。

 

しかも、負傷者が発生したのはこの10日間のうちのごくわずかな時間帯だった。デモは、金曜日の昼のお祈りの後(午後1時前後)から日没までの数時間に行われた。負傷者の発生もその時間帯のみだ。

 

ガザの中心病院であるシーファ病院を訪問した。同病院は病床数700を超える総合病院だ。今までの戦争で多くの負傷者の救急医療を行っている。救急対応では、非常に評価の高い病院だ。

 

そうした病院が、今回は、崩壊寸前だ。

 

シーファ病院の救急部は通常のベッドが12床前後だが、緊急時には移動ベッド(ストレッチャー)を動員して30床近くまで増床可能だ。今回も勿論そういう準備を行った。

 

ただ、今回はその数を大幅に超える患者が、数時間で運ばれてきた。病院の責任者によれば、ある日は午後2時から午後6時までの4時間強の間に、500人を超える患者があったそうだ。病院救急部の対応の限界(30床)の20倍近い患者が4時間でだ。その中には銃撃による重傷者も多い。これにきちんと対応することは全く不可能だ。

 

病院はできうることを全てした。院内の空きベッドを全て使い、あらゆる医療従事者を動員した。引退した医師も電話で呼び出した。病院の前にテントを作り、そこで患者のトリアージ(分類)を行った。緊急手術が必要な患者、救急部で治療が必要な患者等をふりわけるのだ。

 

それとともに、国の保健省や世界保健機関はデモが行われている場所に総計10の緊急医療室(テント)を設置した。負傷者をその場で治療するためでTrauma Stabilization Pointと呼ばれる。そこでは軽傷の患者は治療した。

 

我々が病院を訪問したのは5月18日だ。14日に発生したデモから4日後だが、まだ手術の順番が回ってこない患者がいた。病院側は懸命の対応を続けていたものの、ともかく手術室が足りない、医師が足りない。手術を待つ患者の病棟に行こうと思ったが、患者やその家族が当然だが非常に殺気立っている。病院の医師も身の危険を感じながら対応しており、秩序を守るために警察も呼んだ、との話で病棟への訪問は中止した。

 

病院の医師は皆、非常に疲れていた。「いつ寝たのか」と聞くと「覚えていない。疲れた」と笑顔で答えてくれた。質問したこと自体を申し訳なく感じた。

 

緊急に設置した集中治療室も見せて頂いた。本来は通常の病室だが、集中治療室が患者で一杯のためだ。病室には重傷の患者が6人いた。皆、銃で撃たれており、半分以上の患者には人工呼吸器が繋がれており、意識はない。そのうちの一人は15歳。頭を撃たれ、恐らく脳死状態とのことだ。そのほか皆若い男性だ。

 

そこで会った医師が、しみじみと言った。

 

「5月14日は多くの患者が運ばれ、懸命の治療を続けた。しかし、そのうち点滴が枯渇し、点滴用の抗生剤もなくなった。骨折用の外部固定具も在庫が底をついた」

 

「本来ならば、治療がきちんとできれば救える命が、今回は救えなかった。目の前で救えるはずの患者が亡くなっていった。それが本当に悔しかった」

 

それを聞いて、言葉が出なかった。

次ページ  医師が感じる無力感
1 2 3 4 5
 第35回
第37回 
ガザの声を聴け!

1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。

プロフィール

清田明宏
1961年福岡県生まれ。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA=ウンルワ)の保健局長で医師。高知医科大学(現・高知大学医学部)卒業。世界保健機関(WHO)で約15年間、中東など22カ国の結核やエイズ対策に携わった。2010年から現職。中東の結核対策では、患者の服薬を直接確認する療法「DOTS」を導入し、高い治癒率を達成。その功績が認められ、第18回秩父宮妃記念結核予防国際協力功労賞を受賞した。
 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

ガザ、崩壊寸前

;